農家と需用者とで科学を共有する

体も機械も使う農業
体も機械も使う農業ですが、実はいちばん使うのは“頭”です

体も機械も使う農業
体も機械も使う農業ですが、実はいちばん使うのは“頭”です

戦後、農地は実際に耕作する農家のものになりました。彼らの、自分の農地を愛する心と知恵が日本の土をよくしてきました。しかし、農家が持つ知識と技術は完全ではありません。科学的に理解し、それを需用者と共有することで、これからの新しい農業が進展します。

頭脳と愛情が土を育てる

「農業は肉体労働」――そう思っている人は多いのではないでしょうか。農家自身がそう思い込んでいる場合も少なくないものです。

 しかし、私は農業は高度な頭脳労働と考えています。勤勉な農家は、1年365日、たいへん頭を使っているものです。だからこそ、彼らは試験場の技師さんや大学の先生方よりもよいものをたくさん取るのではないでしょうか。

 さらに、農家の人たちが研究者とは絶対的に異なる点が一つあります。それは、我が子同様、いやそれ以上に自分の田や畑への限りない愛情、いとおしく思う気持ちを持っているという点です。

 古今東西の農業のすべてが持続可能な営みとして成功してきたわけではありませんが、私が日本や海外のさまざまな農業の現場を見て確信するのは、永続する農業を支えるものは、まさにこの親同様かそれ以上の思いです。

 企業が農業をやるとうまくいかないとよく言われますが、その主な原因は、携わる人がこの気持ちになり切れていないことにあるのかもしれません。

 半面、多くの農家が経営的に拡大していけないことや、市場を見据えて変化していけないことの原因も、この強い思いにあるのかもしれません。

 いずれにせよ、田や畑の土は、農家のこの心によって培われ、育てられてきた、まさにその結果であるように感じます。つまり、米、麦、豆、野菜、果物が農家の作品であるのと同じように、圃場の土も、実は農家によって作り上げられたものなのです。

土を育てる役割は新しい人たちへ

 日本の場合、戦後あるいはそれ以前からの土地所有によって田畑はよく育まれてきましたが、それは同時に、農民という、職業を変えにくい人々を生み出したことも確かでしょう。しかし、そんな歴史に終止符が打たれようとしています。

 戦前の日本の農業は比較的少数の大地主が多数の小作人に耕作させる形をとっていましたが、これが農地解放によって多数の小地主が銘々に耕作する形になりました。ところが今、農家の子女が都市へ流出するなどし、家業を継がないケースが増え、後継者不在の農地が多数出現しています。

 日本の農業は今、土地所有制度の崩壊という大きな転換点に立っているわけですが、そこで台頭してくるのが、多数の小地主から農地を借り集めて耕作する“大小作”たちです。これから日本の農業の主導権を握るのは、彼らです。

 従来型の農村は、村の中だけが生活圏で、仕事は農産物を育て、誰がどう食べるかまではあまり考えることなく出荷するまでで終わりでした。しかし、その時代は終わります。大小作の人たちは、自分たちが育て上げた農産物を食べてくれる人たちの元へ適切に届けるまでを仕事として、新しい職種として生まれ変わらせることを目指しています。

 この大小作たちこそ、圃場の土を育てる仕事を引き継いでいくはずの人たちです。

 この考え方を持つ人たちにとって、良質な食材を求める人たちの意見を聞くこと、考え方を知ることは、新しい農業の羅針盤となります。そのとき、両者が土壌や肥料に関する基本的な知識を持っていれば、よりスムーズにお互いの目標に近づくことができるでしょう。

見えないことこそ科学で考える

 ところで、かつて私たち人類は、自分たちが立っている地面の遙か下に同じように大地があり、人が住んでいるなどとは夢にも思いませんでした。しかし、その同じ人類が考え、組み立てた科学は、大地は実は球形であることを突き止めました。また、太陽は自分たちが住む世界の周りを回っているのではなく、地球が太陽の周りを回っていることも発見しました。

 この地球球体説と地動説は、ロケットも飛行機も全くない時代、地上を歩くだけだった人類が見つけたものであることを、私たちは深く肝に銘じなければなりません。

 肉眼で確かめられないことは、往々にして誤った理解や迷信を生みます。しかし、事実を丁寧に集め、論理的に読み解き、組み立てていけば、実際に目で見ることができなくても、地球は丸く、それが太陽の周りを回っていることに気付き、証明することができるのです。

 その科学の力を素直に認め、自然界には人類がまだまだ誤解していることが数多くあるに違いないと疑ってみることは大切です。

 今回の冒頭で、農家が農業のために使う頭は学者のレベルではないと述べましたが、実は、その農家が持っている知識や技術の中にも、誤った理解や迷信、思い込みがいくつもあります。土なり泥なりは目に見えますが、土の中で何がどのように動き、働いているかは、目に見えないからです。

 そして、その誤りを、食材を求める人も農家から聞いて共有してしまっていることが多いのです。そのために、せっかく取り組んだ農産物の品質が期待通りになっていないということが多いのです。

 あるべき食材の品質、目標を、農家と需用者とで共有するならば、それに迫っていくための正しい知識と技術も、両者で共有するべきでしょう。そのために、科学は欠かすことのできないものです。

 しかしながら、土の科学は、残念ながら他の学術情報と同じく、特殊な用語とこなれない言い回しを多用しています。それはまるで、一般の人がなるべく理解できないように、現場で利用することが困難になるように、わざわざそうしているのではないかと疑ってしまうほどです。

 優れた道具も、使いやすくできていなければ役に立ちません。次回から、この使いにくい道具を、持ちやすく扱いやすい、使える道具としての土壌学に加工して紹介していきます。

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About 関祐二 101 Articles
農業コンサルタント せき・ゆうじ 1953年静岡県生まれ。東京農業大学在学中に実践的な土壌学に触れる。75年に就農し、営農と他の農家との交流を続ける中、実際の農業現場に土壌・肥料の知識が不足していることを痛感。民間発で実践的な農業技術を伝えるため、84年から農業コンサルタントを始める。現在、国内と海外の農家、食品メーカー、資材メーカー等に技術指導を行い、世界中の土壌と栽培の現場に精通している。