有機栽培は作物の安全・安心のためではなかった

農薬にはどのような危険があるだろうか。また、どの程度危険なものなのだろうか。これはものによって一様ではなく、時代によっても異なる。たとえば、化学合成農薬の中でも、かつて販売されていたり広範に使用されていたものには、かなり危険なものがあったが、今日流通している農薬は、それらとはまた事情が異なる。

農薬の急性毒性・残留性・催奇性

 農薬の危険性として、まずいちばんわかりやすいものは、飲むと死んでしまうといった急性毒性だろう。これを利用した殺人事件や自殺などもあったし、誤飲による事故も相次いだ。こうしたことが、「農薬は恐ろしいものである」という認識が広がった原因の一つだろう。これらへの対策として、販売される農薬が薄められるようになったり、保管や販売に厳しい規制が行われるようになった。

 ただ、農薬はもともと人が飲むためのものではないので、急性毒性の強さを根拠に農薬の使用が有害であると考えるのは短絡というものだろう。蛇足ながら、食品である醤油でも、大量に飲むといった誤用をすれば生命の危険はあるのだ。

 他に問題視されるのは、残留性、催奇性(被ばくした次世代に奇形を生ずるなどの障害を起こす性質)、発がん性、その他の副作用による健康障害などといったものがある。

 残留性で有名なのはDDTだ。DDTは非常に安定している物質であるため、環境中に長く残留する。したがって、散布されたりそれが流れ着いた場所では長期にわたって殺虫効果を発揮する。だからこそ高い効果が持続するわけだが、問題は影響があるのは害虫とは限らないということだ。害虫の天敵が減れば害虫を増やすことにもなるし、虫を食べて生きているより大きな動物にも影響がある。また、土壌中の有益な生物が減り、土壌の劣化を誘発することにもなる。

 さらに、安定した物質であるということは、人間を含む動物が取り込んだ場合、そのままの形で体内に蓄積しやすいということにもなる。

 ただし、現在流通し使用されている農薬は、散布後数日などごく短期間で分解してしまい、残留しにくいものが多い。そのため、今日ほとんどの農薬は残留して環境に影響を与えたり、動物などに蓄積するなどの心配はないと言える。

 催奇性で有名になったのは枯葉剤である。ベトナム戦争中、米軍は戦地での病虫害撃退を名目に、実際にはゲリラの隠れ場所である森や生産基盤である田畑を破壊するために、ダイオキシンを含む枯葉剤(要するに除草剤)を大量に散布した。この結果、ベトナム戦争に従軍した兵士や現地の住民に健康障害が発生し、子には奇形を生じたと言われている。

 枯葉剤散布地域では、「ベトちゃんどくちゃん」と呼ばれた結合双生児(両者の体が結合した双生児)が生まれたが、これは枯葉剤の影響であると言われている。これが催奇性と言われるものだ。

 また、農薬ではないが、サリドマイド薬害による先天的な障害児が日本でも多く生まれたことにより、薬剤の催奇性が関心を集めることになった。

 発がん性は、動物や人が体内に取り込むことで、がんを発生させるという性質だ。

有機栽培は農産物の品質を保証するものではない

 1960年代から1970年代には、農薬による問題だけでなく、各種の公害や環境破壊が注目され、科学の進歩には裏面があることを人々が意識するようになった時期である。それを反省する思潮の中で、科学技術に過度に依存しないほうがよいという考え方、あるいはアンチ科学技術の考え方や態度が発生し、広まった。

 有機栽培(オーガニック)が普及し始めたのもこの時期だ。

 とは言え、有機栽培を手掛ける人も、それを利用する人も、最初から多かったわけではない。筆者が農業の世界に足を踏み入れたのは30年前の1980年代だが、当時有機栽培はさほど行なわれていなかった。むしろ、ごく一部の人がやっている特殊な農業の一つだったが、その後、90年代に拡大して現在に至っている。

 ここで注意しておきたいのは、有機栽培というものはあくまでも栽培の方法に着目したもので、出来た農産物の品質がどのようなものであるかを表すものではないということだ。化学肥料を使用せず、化学合成農薬を使用しないことによって、化学物質への依存をやめようとする栽培方法がそもそもの有機栽培なのである。したがって、本来のコンセプトから言って、有機栽培であることと、出来上がった作物の安全や安心とは必ずしも関係するものではなく、農産物の品質を保証するものでもなかったのである。

 もちろん、栽培方法の違いによって味や栄養価などの品質が違ってくるということはある。それについては回を改めて述べる。

アバター画像
About 岡本信一 41 Articles
農業コンサルタント おかもと・しんいち 1961年生まれ。日本大学文理学部心理学科卒業後、埼玉県、北海道の農家にて研修。派米農業研修生として2年間アメリカにて農業研修。種苗メーカー勤務後、1995年農業コンサルタントとして独立。1998年有限会社アグセスを設立し、代表取締役に就任。農業法人、農業関連メーカー、農産物流通業、商社などのコンサルティングを国内外で行っている。「農業経営者」(農業技術通信社)で「科学する農業」を連載中。ブログ:【あなたも農業コンサルタントになれるわけではない】