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ラキアの蒸留所と果樹園訪問

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運ばれてきたパプリカーシュのまっかなスープをおそるおそる口に運んでみる。ハンガリー滞在中は久しく感じていなかった魚介系のだしを舌先に感じて日本人だったことを再確認する。

名物料理「鯉のパプリカ煮込み」は臭みも無く、日本を出国して以来の魚料理に顔がほころぶ。

名物料理「鯉のパプリカ煮込み」は臭みも無く、日本を出国して以来の魚料理に顔がほころぶ。

 このスープ自体は優しい味でサワークリームと辛いパプリカのソースで味を調製するのだが、お世辞抜きでうまかった。川魚特有の臭みや泥臭さがないのは、裏のいけすで餌止めをした鯉を使っているかららしい。

 容赦なく辛い青パプリカ入りのサラダに苦戦する筆者を笑顔で眺めながらショーベルさんは懐かしいセルビア料理を堪能している。どこか昭和を感じさせるヴァラディン橋の素朴なライトアップが「あぁ、ここは外国だった」と感じさせる。

 17年前のコソボ紛争ではヴァラディン橋を含むノビサドの3つの橋がNATO軍によって狙い撃ちされ、ドナウ川の交通を遮断されたセルビア市民は大変な苦労をしたという。そんな話を聞くと川面に浮かぶ色とりどりの心細げな灯りが一層の哀愁を誘う。

昭和の郷愁を感じさせるヴァラディン橋のライトアップに17年前のコソボ空爆の面影は残っていない。

昭和の郷愁を感じさせるヴァラディン橋のライトアップに17年前のコソボ空爆の面影は残っていない。

楽園の朝焼けと朝食

セルビアの宿泊先となった山の上のコテージからは典型的なヨーロッパの朝の風景が一望できる。

セルビアの宿泊先となった山の上のコテージからは典型的なヨーロッパの朝の風景が一望できる。

 右側通行の国で車の助手席に座っていると、いつも左折で足がすくむ。そんな筆者の思いを知らぬかのようにアウディは快調にノビサド市街を走り続けた後、山に向かう小さな道標を曲がった。小道に入って100mも行かないうちに舗装がなくなり、街灯もなくなった。

 セルビアでの宿泊と視察の日程は、ブダペストのカフェでの待ち合わせ時間とアエロフロート便のベオグラード空港の出発時間を伝えたくらいで、どういう日程でそもそもどこに泊まるのかといった観光旅行のパンフレットでは肝心要のことさえ知らされていない。

 車のヘッドライトだけを頼りに山道を進んでいるうちは何も感じなかったが、道が下りに入ったときはさすがにヒヤリとした。「セルビアで邦人男性が1名行方不明に」と数日後にNHKの顔立ちが整ったアナウンサーが表情一つ変えずに報じることになるのだろうか。気をもむ筆者を乗せたアウディは再び山道を登り始め、10分ほど走った頃、眼前に光り輝くシャングリラ(下界と隔絶した理想郷)が忽然と現れた。どうやらNHKニュースへの嬉しくないデビューは免れたらしい。

 翌朝は、ブダペストとはまた別の香しい朝焼けがセルビア初めての朝を飾ってくれた。山頂の凛とした空気、山の緑、いっとき強く雨が降った後、鮮やかに広がる晴天。まるで絵に描いたような風景を堪能した後は、これもセルビアに来て最初の朝食が渡り廊下でつながるレストランに準備されている。

カイマックを散らしたサラダ。

カイマックを散らしたサラダ。

 刻みタマネギを散らしたオムレツとライ麦パン、そして「ショプスカ」と呼ばれる新鮮な紫タマネギと皮をむいたキュウリ、トマトのサラダに塩気のあるカイマック(セルビア特有のチーズに似た乳製品。厳密に言うと牛乳を煮沸して固めたカード=curdの一種で、インドのパニールからレモンを抜いてイギリスのクロテッドクリームを固めたものに近い)を山ほど振り掛けたサラダはなかなかの味だ。乳製品の塩気で味を作るサラダというのも筆者には初めての経験だった。

 豆を直接煮出すトルココーヒーに似たセルビア風コーヒーを挟んで今日の視察の打ち合わせをする。今日はセルビアのラキア(何度もパーリンカと言いかけて冷や汗をかいた)を製造するプロモント蒸留所の所長と顔合わせをした後、ラキアの原料となる果物を作っている果樹園に向かう。

蒸留は化学である

今年のカリンの出来に目を細めるミレタ技師。

今年のカリンの出来に目を細めるミレタ技師。

 FOODEXにも今年・去年と2回出展していたプロモント社までは宿泊先のロッジから30分。ハンガリーの瀟洒なディスティラリーとは異なり、機能的、もっと直截に言うと工場然とした建物の中にあった。

 隅々まで清掃が行き届いている点はハンガリーと変わらない。ちょうど蒸溜技師のミレタ・マノビッチさんが蒸溜のフォアショット(蒸留器から出る液の最初の部分。通常製品に用いない)を切るタイミングを図っているところだった。狭い通路には収穫したばかりの梨を詰めたプラスチックケースが山積みになっている。彼は大学の醸造科を出たパリパリの技術職だ。わかりやすい英語で蒸留器の説明をしてくれる。

 彼が強調したのは、近代的なシステムだった。ドイツから輸入した蒸留器で、単式から連続式にスピリッツが移動すると各コラムの温度からアルコール度数までがコントロールパネルに表示される。蒸留機の操作もタッチパネルで可能だという。

プロモント蒸留所のミレタ・マノビッチ蒸溜技師はベオグラード大学で発行を学んだエリートだ。

プロモント蒸留所のミレタ・マノビッチ蒸溜技師はベオグラード大学で発行を学んだエリートだ。

 ここまでは筆者もなんとか付いていけたのだが、ここで思い出したことがあった。日本の蒸溜所を取材するときもそうなのだが、蒸溜技師は職人であると同時に技術職であり、彼らの専門分野は化学記号で埋め尽くされた世界だ。日本ではブレンダーに芸術家を求める。それはあながち外れではないのだが、彼らの基本的な仕事は去年出した同ブランドの商品と、寸分も区別がつかない味を同じ原価で出すことであったりする。

 専任の蒸溜技師となるとさらに技術職寄りになるから、たとえばニッカの宮城峡でカフェ式蒸留器で造られるグレーンの取材にうかがったときは化学記号、それも化学者でなければ聞いたことのないような化学記号が次々に並べられて目を白黒させたことがある。プロパノール、イソプロパノール、ベンツピレン……。

 予感は的中し、プロモント社の研究室でガスクロマトグラフィーのグラフを見せて説明してくれたミレタさんの口からも化学記号の集中砲火が繰り出される。アセトアルデヒドやフーゼル油くらいまでなら筆者にも何とかわかるのだが、ブチレングリコールまで来ると文系の筆者の頭が白煙を吹きそうになってくる。化学記号の容赦ない十字砲火に筆者が白旗を上げそうになったとき、ようやくプロモント社のボージョ・ツィツミル社長が姿を見せた。

 彼も同行してくれるという。セルビアでは(たぶん、ヨーロッパの他の多くの国でも)助手席が上席だということで、筆者の2回りは体格がいい社長が後席に収まってアウディは果樹園に向かう。

「ゴッドファーザー」にそのまま出て来そうなプロモント社社長のボージョ・ツィツミルさん。

「ゴッドファーザー」にそのまま出て来そうなプロモント社社長のボージョ・ツィツミルさん。

執筆者

石倉一雄
石倉一雄
Absinthe 研究/洋酒ライター いしくら・かずお 1961年北海道生まれ。周囲の誰も興味を持たないものを丹念に調べる楽しさに魅入られ、学生時代はロシアの文物にのめり込む。その後、幻に包まれた戦前の洋酒文化の調査に没頭し、大正、明治、さらに江戸時代と史料をあたり、行動は図書館にバーにと神出鬼没。これまでにダイナースクラブ会員誌「Signature」、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)に誰も知らない洋酒の話を連載。研究は幻の酒アブサン(Absinthe)にも及び、「日経MJ」に寄稿したほか、J-WAVE、FM静岡にも出演。こよなく愛する酒は「Moskovskaya」。