IV 赤くなかった“赤富士”(2)

マウントフジ・カクテル
左から、筆者が推定した「大日本基準」レシピ通りの材料を使ったオリジナル、同じレシピで透明なバカルディを使ったもの、現在一般に作られているマウントフジ・カクテル。オレンジビタースは「ヘルメス」(サントリー/終売)、ベルモットは今回の復元のために購入した「マルティニ・エ・ロッシ(白)」を使用している
「バカルディ」(右)と「マルティニック・ラム」
戦前の「バカルディ」(右)と「マルティニック・ラム」/「西洋酒及日本酒」(1939、大嶽六郎著、太陽閣)。資料を当たると、「バカルディ」の色はマルティニック・ラムよりは薄いが、ホワイト・ラムの無色透明ではないことがわかる。そのため、当時一般的に「バカルディ」と言えば色が付いたものを指していたと判断し、今回のマウント・フジ復刻には「バカルディ・ゴールド」を使用している。

オリジナルのJBA版「マウント・フジ」に使うベルモットが「マルティニ・エ・ロッシのベルモット(白)」だとすると、どうしても仕上がりは赤にならない。目の前で起こった現実が受け入れられず、実際に作ってみてもらうために、筆者はバーに向かった。

頼みの綱はオレンジ・ビタースだが

 心優しい読者の中には「ラム酒って茶色だったのでは?」と助け船を出してくれる方もおられるだろう。茶色のラムにビタースの赤が加われば、見ようによっては「マウント・フジ」が赤く見えるのでは、と。

 確かに、「マウント・フジ」の現行レシピではホワイトと指定されているラムだが、オリジナルの「大日本基準コクテール・ブック」(以下「大日本基準」)には色の指定はなく、ただ「バカルディ・ラム」と記されているだけだ。色付きの方を使えば赤に近付くかもしれない。ところが残念なことに、「バカルディ」はキューバ・ラムの特徴として、濃褐色のジャマイカ・ラムに比べて色が薄いのだ。

 ベルモットが白で、ラムも淡い黄金色ならば、「大日本基準」の指定レシピに従いながら“赤富士”に近付ける最後の頼みの綱は、オレンジ・ビタースしかない。「1滴」ならば動かしようがないが、オリジナル「大日本基準」の指定は1 dash(1振り)。ルール違反ギリギリにはなるが「でえぇぃっ!」と力強くシェーカーに振り入れればどうか。オレンジ・ビタースはとくにメーカーに指定がないが、アンゴスチュラ・ビタースなら少しは色が付く。

 日本で最も一般的なアンゴスチュラ・ビタースに比べて、現在のオレンジ・ビタースは総じて色が薄いものが多い。「リーマーシュミット」(Riemerschmidt)リーガンスNo.6(REGANS)、終売になった「ヘルメス」(サントリー)も同様で、アンゴスチュラが2008年に発売したオレンジ・ビタースに至っては透明に近い。

 しかし1960年代以前のオレンジ・ビタースには「ゴードン」(GORDON)や「パレス・ローヤル」(PALACE ROYAL)のように色の薄いものから、「フィールドサン&カンパニー」(Field. Son & Co)やアメリカでとくに人気があった「オールドハウス」(Old House)のように、現在のアンゴスチュラに近い濃い色のものまでさまざまだったから、これをアンゴスチュラ・ビタースで代用しても色の再現に関してはあながち外れてはいないはずだ。

差し出されたオリジナル・レシピの「マウント・フジ」の色

マウント・フジ
左から、筆者が推定した「大日本基準」レシピ通りの材料を使ったオリジナル、同じレシピで透明なバカルディを使ったもの、現在一般に作られているマウント・フジ。オレンジビタースは「ヘルメス」(サントリー/終売)、ベルモットは今回の復元のために購入した「マルティニ・エ・ロッシ(白)」を使用している

 ともあれ、現在一般に「マウント・フジ」に使われている赤ではなく、白のベルモットと「バカルディ」を指定通りに使った場合、どんな色になるかを確かめねばならない。藁にもすがる思いで寒空に出た筆者は、片端から行きつけのバーに当たっていった。どこのバーにも若者向けの「マイヤーズ」や「キャプテン・モーガン」は置いているが、色付き、すなわち「バカルディ(ゴールド)」を置いている店が見つからない。

 ようやく見つかったのは5軒目のバーだった。前の4軒で飲んだ酒の勢いも加わって転がり込むように店に飛び込んできた筆者の剣幕に驚くバーテンダーに、あいさつもそこそこに「大日本基準」のレシピを伝える。味の再現には「大日本基準」の指定通りの「マルティニ・エ・ロッシのベルモット(白)」(甘口)が必要なのだが、今は色の確認が先だ。忠実な再現は後日の宿題として「チンザノ」のベルモット(白)で作ってもらう。

 昭和8(1933)年の色を再現した「マウント・フジ」がカウンターの上に差し出された。……万事休す。“赤富士”は赤ではなかったのだ。

※ ついこの前までは小さなスナックにも置いてあった「ヘルメス・オレンジ・ビタース」が、むしろ海外のビタース愛好家の間で評価が高く、奪い合いになっていることは、日本ではほとんど知られていない。「昔のオレンジ・ビタースにいちばん近い」「1930年代のカクテルを作るときはこれに限る」という愛好家の声がある理由は、「ヘルメス」のベースは南欧産のオレンジピールで、十数種の草根木皮という至極ベーシックな作りだからのようだ。残念ながら数年前に販売を終了しており、筆者も10店以上の酒屋を探したが新品は入手できなかった。そのため今回はバーからお借りしている。「ヘルメス」を見つけたら「マウント・フジ」の再現以外のためにも、プレミアが付く前に買っておいて損はないようだ。

About 石倉一雄 129 Articles
Absinthe 研究/洋酒ライター いしくら・かずお 1961年北海道生まれ。周囲の誰も興味を持たないものを丹念に調べる楽しさに魅入られ、学生時代はロシアの文物にのめり込む。その後、幻に包まれた戦前の洋酒文化の調査に没頭し、大正、明治、さらに江戸時代と史料をあたり、行動は図書館にバーにと神出鬼没。これまでにダイナースクラブ会員誌「Signature」、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)に誰も知らない洋酒の話を連載。研究は幻の酒アブサン(Absinthe)にも及び、「日経MJ」に寄稿したほか、J-WAVE、FM静岡にも出演。こよなく愛する酒は「Moskovskaya」。