心を和らげるパン作り菓子作り

「モロッコ、彼女たちの朝」から

現在公開中の「モロッコ、彼女たちの朝」を紹介する。

 本作は、モロッコ最大の都市であるカサブランカを舞台に、パン屋を営みながら女手一つで幼い娘を育てている未亡人と、すべてを失った未婚の妊婦が、モロッコ独特のパン作りを通じて心を通わせていくストーリーを、女性監督のマリヤム・トゥザニが、ジェンダーギャップの問題を絡めながら描いた初長篇映画である。

優しくこね紡ぐ「ルジザ」が心を繋ぐ

 臨月のお腹を抱えながらカサブランカの路地をさまよう未婚の妊婦、サミア(ニスリン・エラディ)。イスラム社会のモロッコでは未婚の母はタブーとされているため、サミアは美容師の仕事と住まいを失い、故郷の両親にも頼れずに仕事と寝る場所を求めて家々を訪ね歩くが、世間体を気にして誰も関わろうとしない。パン屋の女主人、アブラ(ルブナ・アザバル)もその一人だった。しかし、店の前の路上で野宿しようとしたサミアへの同情と、おしゃれなサミアとお腹の赤ちゃんに興味津々の一人娘ワルダ(ドゥーエ・ベルカウダ)の後押しもあり、一晩だけなら泊めてあげるとサミアを家に招き入れる。

サミアは、小麦粉の生地を麺のように細く薄く伸ばしてルジザを作っていく。
サミアは、小麦粉の生地を麺のように細く薄く伸ばしてルジザを作っていく。

 あと何日か泊まることを許されたサミアは、かつて祖母に教わった得意のパン作りで恩返しをする。モロッコのパンの一種である「ルジザ」は、生地を薄くひも状に伸ばす作業に手間がかかるため、アブラが作るのをやめてしまったものだが、サミアが作ったルジザを試しに店に出してみたところ、客の反応は上々で即完売となった。

 ルジザの作り方をワルダに教えるサミアの様子を見たアブラは、娘がサミアになつく前にとサミアを家から追い出すが、「お母さんは冷た過ぎる」とワルダに責められ、二人でサミアを探しに行く。バスで故郷に戻ろうとしたサミアを見つけたアブラは、この家で出産したらいいと告げ、周囲にはアブラの姪ということにしてサミアを受け入れる。

 サミアは引き続き店のパン作りを手伝うことになる。そこで我々の目を引くのがモロッコの珍しいパン、スイーツの数々である。薄く伸ばした生地を何層にも四角く折りたたんで焼いた“モロッコのクレープ”「ムスンメン」、平たく円形の“モロッコのパン”「ホブス」、セモリナ粉をこねずに混ぜ丸めて焼いた“モロッコのパンケーキ”「ハルシャ」などなど。また、イスラム教の祭り「イルド・アル=アドハー」(犠牲祭)の日には、三日月形の餡を生地で包んで焼いた“モロッコのクッキー”「ガゼルホーン」(現地名:カーブ・ガゼル)、レーズン、ナッツ等が入った“モロッコのビスコッティ”「フッカス」等のお祝いのお菓子がアブラの店で売られる。これらをサミア、アブラ、ワルダの三人でまさに踊るように作るシーンは幸福感にあふれている。

 上記のパン、スイーツのうち、ムスンメンについてはクッキング動画が配給会社ロングライドのYouTubeチャンネル、ルジザ、ガゼルホーン、フッカスについてはレシピがロングライドのFacebookで公開されているので興味のある方はご参照いただきたい。

「ムスンメン」クッキング動画
https://www.youtube.com/watch?v=eK7bWviwpgw
映画配給会社ロングライドFacebookページ
https://www.facebook.com/movie.longride/

かたくなな心を溶かすパン作り

 アブラは、漁師だった夫が死んで以来、シングルマザーとしてワルダとのささやかな家庭を守るために笑顔をしまい込み、パンを焼いては売るだけの毎日を繰り返してきた。そんな自分の殻に閉じこもったようなアブラの心が、ジェンダーについて進歩的な考えを持つ若い世代のサミアが来たことで解放されていくのが本作の見どころの一つである。

 たとえばワルダの名前はアブラがファンだった「アルジェリアのバラ」と呼ばれたアラブ女性歌手、ワルダ・アル・ジャザイリアにちなんだものだが、アブラは夫の死後ワルダの歌が入ったカセットテープを封印し聞くことはなかった。それを知ったサミアはわざとワルダのカセットをかけてアブラに聞かせることで過去と向き合い未来に向かうよう促す。パン作りでも、アブラのかたくな心を映すような力の入ったこね方を、サミアは急がず優しくこねるように諭す。ストーリーの進行とともに女主人と居候の立場が逆転していくのが興味深い。

 本作ではミクロ的視点でのジェンダーギャップを描いているが、マクロ的視点では、世界経済フォーラムが公表した2021年の世界男女格差指数でモロッコは156の国・地域中144位である(ちなみに、オリンピック組織委員会前会長の女性蔑視発言等で改めて性差別が浮き彫りになった日本は120位。また、現在、米軍撤退とタリバン復権で注目を集めているアフガニスタンは最下位の156位である)。

Global Gender Gap Report 2021(World Economic Forum)
http://www3.weforum.org/docs/WEF_GGGR_2021.pdf

作り物と本物のカサブランカ

「カサブランカ」と聞いて誰もが思い浮かべるのは1942年の映画「カサブランカ」(本連載第152回参照)だろう。ただし、あの作品におけるカサブランカの街はすべてハリウッドのスタジオ内に再現されたもので、フランス植民地時代の異国情緒のみが強調されていた。対して本作は現地ロケであり、アブラとワルダがサミアを探しに行くバスターミナルの雑踏や、イルド・アル=アドハーのお祭り騒ぎ等、現在のカサブランカの姿を生で伝えている。


【モロッコ、彼女たちの朝】

公式サイト
https://longride.jp/morocco-asa/
作品基本データ
原題:ADAM
製作国:モロッコ、フランス、ベルギー
製作年:2019年
公開年月日:2021年8月13日
上映時間:101分
製作会社:Ali n Productions, Les Films du Nouveau Monde, Artémis Productions
配給:ロングライド
カラー/サイズ:カラー/アメリカンビスタ(1:1.85)
スタッフ
監督・脚本:マリヤム・トゥザニ
製作・共同脚本:ナビール・アユーシュ
共同製作:アミン・ベンジェリュン、パトリック・キネ
撮影監督:ヴィルジニー・スルデー
カメラ:アディル・アユーブ
美術:ピラール・ペレド、ラシッド・エル・ユサフィ
音響:ナッシム・ムナブビ、サイード・ラディ、ティエリー・デロール
編集:ジュリー・ナース
衣裳デザイン:アイダ・ディオウリ
キャスト
アブラ:ルブナ・アザバル
サミア:ニスリン・エラディ
ワルダ:ドゥーエ・ベルカウダ
スリマニ:アジズ・ハッタブ

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。