マリッジ・ストーリーの甘味

VOD映画の食べ物(3)

VOD配信を前提に制作され、配信の前後に劇場公開された、または公開予定の作品を取り上げていくシリーズの最終回として、Netflix配信(配給)の「マリッジ・ストーリー」を紹介する。本作は今年の第92回アカデミー賞で作品、主演男優、主演女優、助演女優、脚本、作曲の主要6部門にノミネートされ、女性弁護士ノラ役のローラ・ダーンが助演女優賞を受賞した。

 監督・脚本を務めたノア・バームバックは、「イカとクジラ」(2005)、「フランシス・ハ」(2013)、「ヤング・アダルト・ニューヨーク」(2014)等の作品で知られるが、本作は自身の体験を基にした離婚裁判劇で、現代の「クレイマー、クレイマー」(1979、本連載第75回参照)ともいうべき秀作である。今回はドラマのキーとなるシーンの節々に登場する食べ物に注目して述べていく。

フレンチトーストへのオマージュ

 映画の冒頭は、ニューヨークの舞台演出家の夫チャーリー(アダム・ドライバー)と、ロサンゼルス出身の元ハリウッドスターで、今はチャーリーの主宰する劇団の花形女優である妻ニコール(スカーレット・ヨハンソン。モデルはバームバック監督の元妻ジェニファー・ジェイソン・リー)が、互いの長所をまとめたメモの絵解きから始まる。

 ニコールから見たチャーリーは家事が得意で子煩悩。一人息子のヘンリー(アジー・ロバートソン)と一緒に料理を作るシーンは明らかに「クレイマー、クレイマー」のフレンチトーストのシーンへのオマージュである。理想の父親&夫像と離婚という現実のギャップが絶妙の“つかみ”となっている。

マヌカハニーとビスコッティの“魔力”

ノラのオフィスで出されたマヌカハニー付きの紅茶とビスコッテイ。
ノラのオフィスで出されたマヌカハニー付きの紅茶とビスコッテイ。

 チャーリーとニコールは当初は弁護士を立てずに円満な協議離婚を望んでいたが、ニコールがヘンリーを連れて実家のロサンゼルスに戻り、映画女優として再スタートを切った撮影現場で、離婚裁判を経験した女性スタッフからやり手弁護士のノラ(モデルは数々のハリウッドスターの離婚裁判を担当したローラ・ワッサー)を紹介された辺りから話がややこしくなっていく。

 ノラはいわゆる“人たらし”で、くつろいだ雰囲気のオフィスでニコールの出演した映画や舞台での演技をほめちぎり、自らの離婚経験などを話しながら顧客(ニコール)から離婚を決意するまでの詳細を聞き出していく。

 会話のツールの一つとして使われるのがマヌカハニー入りの紅茶とビスコッティである。マヌカハニーはニュージーランドやオーストリアで栽培されているマヌカの花からミツバチが採取した蜂蜜で、独特の香りと強い殺菌作用が特徴。ニコールがクッキーと呼んだビスコッティはイタリア・トスカーナ地方発祥の伝統的な焼菓子。つらい体験を話すニコールにとってマヌカハニーの香りとビスコッテイの甘さは癒しであり、よりおいしく感じられたと思われる。こうしてニコールがノラのぺースにはまっていくことが、離婚話がこじれていく第一歩になったのである。

ペカンパイの苦い味

 ノラを弁護士に立てて裁判に臨む決心をしたニコールは、離婚書類を渡すためチャーリーをロサンゼルスの実家に呼び寄せる。ニコールは法律上直接チャーリーに書類を渡せないため、姉で舞台女優のキャシー(メリット・ウェヴァー)に代役を頼んだところにチャーリーが到着。彼のマッカーサー・フェロー(天才助成金)受賞というビッグニュースやヘンリーのトイレ騒動等でなかなか切り出せなかったが、キャシーがキッチンで思わず手に取ったペカンパイについてチャーリーが尋ねたことをきっかけに、キャシーが今取り組んでいる演劇の話になり、イギリス北部訛りのセリフの掛け合いをやっているうちにチャーリーが書類の入った封筒を見つけ、結果的に書類の受け渡しが完了してしまう。

 ペカンパイはシロップをからめたペカンナッツが詰まった甘いパイであるが、一連の流れはコミカルゆえにチャーリーの受けた衝撃を増幅させていて、チャーリーにとってこのパイは苦い味に感じられたことだろう。

ランチを決められない夫と代わりに注文する妻

 チャーリーも対抗上弁護士のバート(アラン・アルダ)を雇わざるを得なくなり、ついに離婚調停が始まる。双方が親権を主張し議論が白熱する中、ノラのアシスタントがランチを頼みませんかと提案すると空気は一変。ノラやバートが楽し気にサンドイッチやサラダを注文する様子は、これまでの議論はビジネスライクな芝居だったのではないかと思わせるほどだ。

 そんな空気に違和感を覚えたのか、なかなか注文を決められないチャーリーの代わりにニコールがグリークサラダをレモンとオリーブオイルのドレッシングで注文する様子は、まだ夫婦仲が良好だった頃の内助の功が残っているようにも見える。しかしそんな気持ちとは裏腹に、調停は互いの非をあげつらう泥沼の様相を呈してゆくのである。

おわりに それでも映画館に行く理由

 3回にわたりVOD配信の映画について述べてきた。VODのメリットは、端末さえあればどこでも、サブスクリプションであればいつでも、何度でも映画が楽しめるということ。じっくり作品を楽しみたい向きには便利なサービスと言える。

 一方、コロナ禍による緊急事態宣言が解除され、6月に入って再び映画館で映画を観ることが可能になった。第二波への懸念が残る中、座席間隔を空けての鑑賞等、以前の状態に戻るにはまだ多くの時間がかかりそうだが、映画好きにとって一期一会の映画体験を与えてくれる映画館はホームであり、可能な限り映画は映画館で観たいと思っている。


【マリッジ・ストーリー】

公式サイト
https://www.netflix.com/title/80223779
作品基本データ
原題:MARRIAGE STORY
製作国:アメリカ
製作年:2019年
公開年月日:2019年11月29日
上映時間:135分
製作会社:ヘイデイ・フィルムズ、Netflix
配給:Netflix
カラー/モノクロ:カラー
スタッフ
監督・脚本:ノア・バームバック
製作総指揮:クレイグ・シャイロウィッチ
製作:デイヴィッド・ヘイマン、ノア・バームバック
撮影:ロビー・ライアン
美術:ジェイド・ヒーリー
音楽:ランディ・ニューマン
音楽監修:ジョージ・ドレイコリアス
編集:ジェニファー・レイム
衣装:マーク・ブリッジス
キャスト
ニコール:スカーレット・ヨハンソン
チャーリー:アダム・ドライバー
ヘンリー:アジー・ロバートソン
ノラ:ローラ・ダーン
バート:アラン・アルダ
ジェイ:レイ・リオッタ
サンドラ:ジュリー・ハガティ
キャシー:メリット・ウェヴァー

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。