「無言歌」――極限状況下の食

砂漠にかすかに生える草から食べられる部分を探す人(絵・筆者)
砂漠にかすかに生える草から食べられる部分を探す人(絵・筆者)

映画の中の食を鑑賞するコラム。今冬、注目すべき「中国映画」が公開される。「中国映画」と記したが、ワン・ビン(王兵)監督初の劇映画「無言歌」(2010)は、香港、フランス、ベルギー合作で中国籍の作品ではない。1960年の中国を舞台にした、中国人のスタッフとキャストで製作された映画でありながら、これはなぜなのだろうか?

隠された歴史

 1949年に中華人民共和国を建国した中国共産党政府は、当初共産党以外の民主派とも協調する姿勢をとっており、初代国家主席の毛沢東は1956年に講話を発表して、党の政策に対する批判を歓迎する「百花斉放 百家争鳴」の方針を打ち出した。

 ところが実際に批判が出始めると1957年にこの方針を転換。党の政策を批判した知識人たちを弾圧する「反右派闘争」を発動し、批判派55万人が失職のうえ辺境の収容所で労働改造と称する強制労働に従事させられた。

 党指導部は、これに続いて1958年から1960年にかけて、農工業の大増産を目的とした「大躍進政策」を打ち出したが、無理なノルマがかえって生産力の低下をもたらし、天災も重なったため大飢饉となり、一説には4000万人とも言われる大量の餓死者を出す事態となった。

 これらの出来事は、この後の1966年から始まった文化大革命の衝撃に隠れてあまり語られることはなかったが、中国の大きな負の歴史として記憶されるべきものであろう。

 この大躍進政策の失敗による大飢饉の影響を真っ先に被ったのが、この映画で描かれる反右派闘争で辺境の収容所に追いやられた知識人たちである。その犠牲者たちを真正面から描く作品を中国当局が許可しないことは明らかであり、中国国内で製作するリスクを避けるため、「無言歌」は、海外資本で製作されたのである。

恐ろしい光景

砂漠にかすかに生える草から食べられる部分を探す人(絵・筆者)
砂漠にかすかに生える草から食べられる部分を探す人(絵・筆者)

 中国西部、甘粛省。ゴビ砂漠の収容所は、原題「夾辺溝」の通り“うなぎの寝床”のような天井の低い溝の中にある。収容者たちは、夜は戦場の塹壕のようなスペースに拘束され、昼は砂漠を開拓して農地化するという、壮大な無駄にも見える事業のための強制労働に駆り出されている。

 食事は、一日一食のお粥、というか飯粒のない重湯のようなもの。当然足りるわけがなく、ネズミを捕まえてスープにしたり、腹が膨れるという怪しげな草を採ったりして飢えをしのいでいる。食あたりを起こして吐く者がいれば、すかさずその吐瀉物を横からかすめ取って食うという、人間の尊厳を喪失するような信じがたい光景がワンカットで写し出される。

 そんなある日、飢饉を背景にした食糧事情の悪化から、労役を免除するとの通達が出される。その代わり収容者は砂漠に出て自分で食料を探せというのである。大地に這いつくばってかすかに生えた雑草を手にとってみても、食べられるものなどほとんどない。こうして一人、また一人と倒れていく収容者たち。死亡者は、使っていた毛布で簀巻きにされ、砂漠に穴を掘って埋められる。

 するとそれに乗じて食料を得るために、穴を掘り返して毛布を引き剥がし、近くの村に売りに行く者が現れる。さらに死者の尻の肉はえぐり取られ……(これ以上は書けない)。

美しさと哀しみと

 薄れゆく意識の中、収容者たちは溝の中で、豊かだった時代の食の記憶を語りあう。ある者は豚肉の醤油漬けの味が忘れられないと言い、別の地域出身のある者は、うちの方は醤油漬けはなかったな、でも豚肉の白菜煮込みは最高だと返す。これらの料理がどんなものなのかが想像できないとしても、狭く薄暗い溝を巧みに捉えた撮影技法も相まって、悲哀の中にも美しさをたたえた名シーンとなっている。

 このうち自らの死期を察した上海出身の男は、仲間の一人に、自分はこんな場所に埋められたくはない、上海に埋葬するよう妻に伝えてくれと言い残し、ほどなく息絶える。すると数日後、虫が知らせたかのように彼の妻が面会にやってきて……。

 公開前のためこれ以上は割愛するが、砂漠に埋められた夫の遺体を妻が探し回る場面でのスカイライン(日の出・日の入りの短い時間に地平線に沿って帯状に現れる光)狙いの映像の美しさは目を見張るものがある。

ワン・ビンについて

 旧満州国時代に中国東北部の大都市瀋陽(旧奉天)に建設された鉄工所の変遷を追った総上映時間9時間に及ぶドキュメンタリー「鉄西区」三部作(1999~2003)でデビュー後、反右派闘争や文化大革命の粛清運動で迫害された不屈の女性のインタビューシーンのみで構成された、本作と姉妹編的な意味合いを持つ「鳳鳴―中国の記憶」(2007)、「鉄西区」を超える14時間という上映時間を持つ「原油」二部作(2008)、中国の片田舎で原始人のような生活を営む一人の男に密着し、全編セリフなし、手持ちカメラの長回しで撮られた「名前のない男」(2009)等、数々の意欲作を発表してきたいま世界最も先鋭的な映画作家の一人である。冒頭にも述べたが、本作は彼が初めて手掛けた劇映画である。中国の歴史に関心のある方、映画好きの方は、劇場に足を運んで損はないことを保証する。

作品基本データ

【無言歌】

◆公式サイト
http://moviola.jp/mugonka/

原題:夾辺溝
英語題:THE DITCH
製作国:香港、フランス、ベルギー
製作年:2010年
公開年月日:2011/12/17
配給:ムヴィオラ
上映館:ヒューマントラストシネマ有楽町
上映時間:109分
◆スタッフ
監督:ワン・ビン(王兵)
脚本:ワン・ビン、ヤン・シエンホイ(楊顕恵)著「告別夾辺溝」と多くの生存者たちの証言に基づく
◆キャスト
ルウ・イエ
リェン・レンジュン
シュー・ツェンツー
ヤン・ハオユー
チョン・ジェンウー
ジン・ニェルソン
リー・シェンニェン
(宣伝用チラシより)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。