震災15年。人びとの暮らしと食

377 「ロッコク・キッチン」から

2024年、本作監督の川内有緒と三好大輔ら撮影クルーは、福島県の浜通りを南北に貫く国道6号線(通称ロッコク)を、約1年かけて車で何度も往復し、帰還した住民、移住してきた人、仕事や復興のために訪れる人がモザイクのように入り混じった被災地の現状を撮影・取材した。その撮影・取材の過程を映画としてまとめた本作は、生きるための基本である「何を食べているか」をテーマに、さまざまな背景を持つ人々の暮らしを見つめたドキュメンタリーロードムービーである。

 東日本大震災と福島第一原子力発電所事故から、さる3月11日で15年目を迎えた。放射性物質の飛散によって、原発の周辺は避難指示区域に指定され、ピーク時には約16万人が避難を余儀なくされた(※1)。その後、避難指示は段階的に解除され、住民の帰還が始まったが、まだ多くの帰還困難区域が残されている(※2)。

※注意!! 以下はネタバレを含んでいます。

“ファーストペンギン”のチャイ

 川内と三好は、ロッコクで出会った通りすがりの人々に「昨日の夜は何を食べましたか」と尋ねていく。鶏の照り焼き、カップうどん、豚の味噌焼き、イクラの巻きずし、コロネーションチキン(チキンのカレーソース和え)、具だくさん味噌汁、卵かけご飯などなど、答えはさまざま。

 川内は当初、撮影・取材活動と並行して、ロッコク周辺の住民に、広報誌への折り込みやポスティングなどを通して、食をテーマにしたエッセイの募集をかけていた。集まった原稿は、後述するエッセイ集「ロッコク・キッチン」として結実する。川内と三好らは、エッセイ集の執筆者の一人で、「F-Discover Lab. 双葉ツーリズム研究所(双葉郡地域観光研究協会)」でマネージャーとして働いているスワスティカ・ハルシュ・ジャジュのもとを訪れる。

 スワスティカのエッセイは、映画「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」(2023、本連載第323回参照)で、ウォンカの母がウォンカに言うセリフ「大事なのはチョコじゃなくて、分かち合う人なのよ」を枕詞に、故郷インドの日常的な飲み物であるチャイを、遠く離れた日本でれることが、“大切な人”を思い出させる力になっているというものだ。

水をゆっくりと沸騰させ、茶葉を加えると、寮にスパイスの香りが広がる。あのときは分からなかったが、チャイが大好きな祖父のことを思い出させてくれた。

(中略)

一口のチャイで長い間祖父からもらってきた愛情をしみじみと感じた。

(エッセイ「チャイと愛」より)

 スワスティカはニューデリー生まれ。デリーの大学に在学時、日本行きの交換留学プログラムを利用して、福岡女子大学へ留学した。エッセイの一節は、慣れない寮生活でホームシックになったときの心情をつづったものだという。

 短期留学を終えるとインドの大学を卒業したが、もっと日本語を勉強したいという思いが募り、奨学金を得て東北大学の大学院生として日本に戻った。双葉町に初めて足を踏み入れたのは、2021年1月のこと。大学の友人に声をかけられ、双葉町で行われたウォーキングツアーに参加した。そのツアーの中で、現在はF-BICC(双葉町産業交流センター)のフードコートにあるハンバーガー店「ペンギン」をはじめとする、いくつかのストーリーを聞いた。

「ペンギン」は震災前は双葉駅前にあり、ボリュームのあるハンバーガーやソフトクリームなどが地元高校生たちに人気だったが、震災により閉店。2020年10月にF-BICCがオープンして、双葉町に人が出入りできるようになると、横浜で避難生活を送っていた店主の娘・山本敦子がいち早く戻り、まるで“ファーストペンギン”(群れで最初に海に飛び込むペンギン)のように、店名とメニューを引き継いで店を再開した。スワスティカは、土地を離れたあとも自分のアイデンティティを大切にしようする山本に感銘を受けたという。

牛乳を加えたチャイは、とろりとした薄茶色に変化する。
牛乳を加えたチャイは、とろりとした薄茶色に変化する。

 スワスティカは、ツアーを主催していた双葉郡地域観光研究協会代表の山根辰洋に手伝いを申し出て、ツアーを手伝うことに。2022年には修士号を取得して博士課程に進んだが、大学を休学して正社員として働き始めた。スワスティカ自身がファーストペンギンになったのである。双葉町で300年続く年中行事で、帰還困難区域の一部の避難指示が解除されたことで再開したダルマ市では、2024年にチャイの店を出店。インドから訪ねてきた家族と協力して住民にチャイをふるまい、親睦を深めたという。

 スワスティカが実際にチャイを淹れてみせるシーンでは、鍋に少量の水を入れて加熱・沸騰させ、2種類の茶葉とスパイスを入れて煮立せ、牛乳をゆっくり注ぐまでの行程をじっくりと見せる。スワティカが好きだという瞬間を、カメラは余すことなくとらえる。牛乳と水が混ざると茶葉やスパイスがくるくると踊りはじめ、それが静まると同時に、鍋の中の色がとろりとした薄茶色に変化するのである。

 出来上がったチャイを皆で飲んでいるとき、ハプニングが起こる。詳細は本編をご覧いただきたいが、ハプニングの間、ゆっくりと被写体に寄っていくカメラワークは秀逸である。

“おれ伝”と惜別の焼肉

 南相馬市小高区で「おれたちの伝承館」(おれ伝)を運営する写真家・中筋純。震災伝承施設としては、双葉町に公立の「東日本大震災・原子力災害伝承館」があるが、民間の施設である「おれ伝」は、アートの力で震災と原発事故の記憶を映し出すことをコンセプトにしている。吹き抜け2階建ての館内には、絵画、彫刻、ビデオ作品、絵本、漫画、短歌、詩といったアート作品や本がびっしりと並ぶ。

 ハーレーダビッドソンにまたがる白髪長髪で長身の男性。「イージー・ライダー」(1969)のピーター・フォンダを思わせる風体の中筋は、和歌山県出身。雑誌媒体でカメラマンとして働くかたわら、ライフワークとして産業遺構や廃墟を撮影してきた。1986年に発生したチェルノブイリ原発事故の現場を取材した経験がある中筋は、福島原発事故が発生したとき、安全だと思っていた日本の原発でも深刻な事故が起きたことに衝撃を受けたという。

 中筋はフクシマに何度も足を運び、許可をとったうえで避難指示区域内に入り、無人になった商店街などを定点観測的にカメラにおさめていった。2017年には、知り合いのアーティストたちに声をかけ、フクシマを伝えることを目的としたアート作品の展示会「もやい展」を東京・練馬美術館で開催。中筋の活動に共感した南相馬市小高区にある双葉屋旅館の女将・小林友子の協力で、震災後使われていない大きな倉庫を確保し、2023年におれ伝は開館した。

 小林が準備し、中筋が滞在する民家にアーティストたちが集まった夜。中筋が慣れた手つきで羽根付き餃子の下ごしらえをするかたわらで、湯豆腐の鍋を準備する今野寿美雄は、元原発関係のエンジニア。浪江町にあった今野宅の解体を撮影した映像作品「九年目の津波」(2020)の共同製作者である。2020年の冬、解体という苦渋の決断をし、自宅で過ごした最後の夜。友人らを自宅に呼んでのバーベキューが好きだった今野は、しんしんと雪が降る中、電気もガスも水道も通じていない自宅で、キャンプ用のバーナーで火をおこし、ランタンの灯りのもとで中筋らと焼肉を楽しんだという。その後に起こった出来事の述懐が、今野の無念の思いを表していて印象的だった。

星空の本屋とクラムチャウダー

 大熊町にある「読書屋 息つぎ」。エッセイ集の執筆者の一人、武内優が営む夜だけ開く屋外本屋である。武内は大熊町出身で、震災当時は小学校6年生だった。震災後は栃木県で避難生活を送り、12年ぶりに故郷の大熊町に戻ってきた。昼は廃炉作業が続く福島第一原発内で板金加工の仕事をしながら、夜は祖母の家が建っていた更地の上で、息つぎを営業している。

 息つぎは、ビニールハウスの骨組みに電球をぶら下げ、廃材を利用した本棚の上に本を置いただけの無骨な空間である。周囲には住宅の灯りもなく、まるで暗闇の海に浮かぶ一隻の小舟のように見える。武内は息つぎを開くにあたり、ある理由から普通の本屋にはしたくないと考え、「序章 星空の見える夜」という詩を書いたときに、現在の店のスタイルを思い付いたのだという。

大熊の夜は、星がよく見える

人のいなくなったこの町の夜は、空しいほどに暗い。

(「序章 星空の見える夜」より)

 普通のものは明るいときに見えるが、星は暗いときに見える。キラキラ光る世界の中では、自分の輝きすらわからなくなる。これから復興していくフクシマにも、自分を見つめ直す場所が必要なのではないかという思いを込めた詩だ。

 川内らが武内に取材していたときに現れたのが、大熊町周辺で建築や空間づくりのプロジェクトを行っている石井美優。石井は三重県出身で、大学院の研究調査で訪れたことをきっかけに大熊町に移住した。更地を生かした息つぎの空間のアイデアを出したのは石井である。

 石井が持って来た鍋に入っていたのは、アサリではなくムール貝を使ったクラムチャウダー。ジャガイモやニンジンがごろごろ入った具だくさんのおいしそうなクラムチャウダーを、冬の寒空のもとで焚火にかけていただく。まさに身体が芯から温まるように映った。

 武内が次に考えているのは、「あったかい」をキーワードにした「あったかキッチンプロジェクト」。大熊町の冬、とりわけ夜は寒い。でもそれがわかることが大事。寒くても心が温まるキッチン(台所)を作ることが目標だ。2024年12月1日、一周年を迎えた息つぎで「あったかキッチン」は実現するのだが、詳細は本編をご覧いただきたい。

食から見通すフクシマの“いま”

 本作は、ロッコク沿いの町に暮らす人たちに、いま何を食べ、どう生きているのかを自由に書いてもらおうという川内のアイデアが出発点になっている。いわき市の印刷会社・植田印刷所の代表取締役・渡辺陽一とプランナーの宮本英実が、この川内のアイデアに賛同。川内とドキュメンタリー映画「目の見えない白鳥さん、アートを見にいく」(2023)を共同監督した三好と写真家の一之瀬ちひろが加わって企画は拡大し、2023年の秋に「ロッコク・キッチン・プロジェクト」が始動した。

 当初構想したエッセイ集の出版に加え、ドキュメンタリー映画の製作と並行して、川内によるノンフィクションエッセイ「ロッコク・キッチン」が、「群像」誌上で連載された後、2025年11月に単行本化。映画ではカットされたエピソードもふんだんに盛り込んだ川内の著作は、「食卓という暮らしのど真ん中に直球を投げ込むジャーナリステックな視点をもちながら(中略)普遍的な物語に昇華させようという強い意志を宿している」(選考委員:最相葉月)ことが評価され、第35回(2025年度)Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞している。

筆者註:本稿の「フクシマ」表記は、福島第一原子力発電所事故による避難指示区域を指しています。

参考文献

※1 避難者数の推移 – ふくしま復興情報ポータルサイト – 福島県ホームページ
https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/hinansya.html
※2 経済産業省 避難指示区域の概念図(2025年4月1日時点)
https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/kinkyu/hinanshiji/2025/250401_hinansijikuikinogainen.pdf

ロッコク・キッチン(エッセイ集)
https://6kokukitchen.official.ec/
F-Discover Lab. 双葉ツーリズム研究所(双葉郡地域観光研究協会)
https://f-discover.com/about/
ウォンカとチョコレート工場のはじまり
Amazonサイトへ→
本連載第323回
https://www.foodwatch.jp/screenfoods0323
ペンギン(F-BICC 双葉町産業交流センター内)
https://www.f-bicc.jp/eat/
おれたちの伝承館
https://suzyj1966.wixsite.com/moyai
東日本大震災・原子力災害伝承館
https://www.fipo.or.jp/lore/
イージー・ライダー
Amazonサイトへ→
双葉屋旅館
https://futabaya-inn.jp/
九年目の津波
https://www.youtube.com/watch?v=T-4QuYYZFL8&t=18s
読書屋 息つぎ
https://ikitsugi.jimdosite.com/
植田印刷所
http://ueda-printing.com/
目の見えない白鳥さん、アートを見にいく
https://shiratoriart.jp/
ロッコク・キッチン(ノンフィクションエッセイ)
Amazonサイトへ→
第35回(2025年度)Bunkamuraドゥマゴ文学賞
https://www.bunkamura.co.jp/bungaku/winners/new.html

【ロッコク・キッチン】

公式サイト
https://rokkokukitchen.com/
作品基本データ
製作国:日本
製作年:2025年
公開年月日:2026年2月14日
上映時間:122分
製作会社:植田印刷所(制作:ALPS PICTURES INC.)
配給:植田印刷所
カラー/サイズ:カラー/16:9
スタッフ
監督・編集:川内有緒、三好大輔
プロデューサー:渡辺陽一、宮本英実
撮影・録音:三好大輔
ドローン撮影:森下征治
音楽:坂口恭平
サウンドデザイン:滝野ますみ
写真:一之瀬ちひろ
アニメーション制作:森下征治、森下豊子
キャスト
スワスティカ・ハルシュ・ジャジュ:
山本敦子:
中筋純:
小林友子:
今野寿美雄:
武内優:
石井美優:

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。