日本農業の真の産業化は天候への挑戦から

30年ほど前、チェーンストアが勃興してきた時期には、卸、仲卸、市場を介さずに直接取引を行う“中抜き”が、消費者に低価格で販売するための正義のように語られた。しかし最近は、スーパーなどの小売、外食、中食、加工業者などの多くは、あまり直接取引に熱心ではなくなったようだ。それは、農産物供給のリスクを自社で取るのは不利であり、卸、仲卸、市場にリスクを取らせたほうがいいということに気づいたからだろう。

量の安定が市場を拡大する

雨の圃場
雨は降る。しかし量と質の安定を担保できないのはその天候のせいだけなのか(イメージ。記事とは直接関係ありません)

 だが、もし仮に農産物の安定供給が実現できればどうなるか、考えてみていただきたい。それは、流通業者にも、生産者にも、そして消費者にも大きな価値をもたらすことになる。

 天候の影響を受けやすい、出荷量が非常に不安定な農産物があるとする。そういうものは、契約栽培の拡大が行われないものだ。契約量の農産物を確保できなかったときのリスクが大きいためである。一般的に、農産物を安定的に供給するためには、天候不順などに対処するために契約量に必要な面積の1.5倍もの栽培面積を確保するものだ。まずこの点からして、安定供給ということがいかに難しいものであるかがわかる。

 しかし、もし狙った量の農産物を確実に生産できるという見込みが立てば、不必要に面積の拡大を行う必要もないし、欠品時に高値の農産物を買い集めて売り渡すなどもしなくて済む。となれば、安心して契約栽培の拡大が行える。

 さらに、生産者も流通業者も利益を確保したまま、農産物の価格を低く抑えることができる。なぜなら、生産者にしても、流通業者にしても、一般に不足や欠品のリスクを考慮して、利幅を大きく取らざるを得ないのが現状だからだ。そこで不足や欠品のリスクがなくなれば、流通業者は生産者からは高く購入し、お客には安価に提供するということも可能になるわけだ。これは何を意味するか。その農産物の市場が拡大するということだ。

 つまり、量の安定を担保する技術が出来れば、生産者、流通業者、消費者の三者とも直接的にメリットを享受し、しかもその流通量が増えるということだ。

 おそらく、多くの人は、こんなことは夢物語だと考えることだろう。しかし、筆者は諸外国の農業事情を見るにつけ、これを不可能なこととして切り捨てていることが、日本農業の停滞を招いているとしか思えない。たとえば、アメリカでは加工野菜大手は2社に絞られているという。上述のとおり、安定供給できなければ契約栽培を拡大することは危険であり不可能である。それでもアメリカにこのような巨大生産者が誕生しているということは、安定供給を実現するノウハウがあったからこそのはずだ。安定供給できるノウハウがあればこそ、そのノウハウを持っている業者に注文が集まるのが当然であり、巨大生産者も誕生するはずである。

不良率の低減は産業化の基礎

 そして、このように量の確保ができたとした場合に、初めて質への言及が可能になってくるし、大きな意味を持ってくる。その際に重要なのは、「高品質のものを作る」という発想ではなく、「不良になるものを減らす」という発想である。

 工業製品を考えればすぐにわかるように、100個に1個いいものが出来てもなんの意味もなく、いかに不良率を減らすのかという歩留まりが重要になる。この問題に正面から向き合い、統計的・科学的に解決するのが品質管理(QC/Quality Control)というものである。戦後、日本の工業が躍進したのは、このQCに真剣に取り組んできたからこそと言える。

 ところが、従来の日本の農業界にはQCの概念が存在しない。不良率を無視したまま高品質を目指すという、明らかに技術的に間違った方向からのアプローチがされているのである。仮に、自動車を作って10台に1台最高の車が出来て、後の9台は廃棄ということであれば、果たして今日のトヨタやホンダのような企業は生まれただろうか? 何台作ってもほとんど不良が出ないしくみを真剣に作ったからこそ、彼らは成功したのだ。

 農業でも本来は同じに考えるべきである。いや、むしろ不良を減らすことのインパクトは工業よりも大きいかもしれない。農業生産で、ある圃場(田畑など栽培を行う現場のこと)の不良率が下がるということは、まず、その圃場で穫れるもの全体の品質レベルが向上しているということになるからだ。もちろん、捨てるものが少なくなるということで、直接的にも収益が改善する。

 農業でも、品質を語るならば、わずかな最高のものを得ることではなく、悪いものを作らないと考えることが重要なのである。

 従来の農産物流通でも、品質基準というものがなかったわけではない。ただしそれは、穫れたり穫れなかったりする場合があり、良品もそうでないものもあるという中で、A品とB品以下を選別してそれぞれに価格をつけるための基準であったと言っていいだろう。とかく批判の多い、見た目だけというような品質基準である。

 穫れない場合がある中でも量の確保が最重要視されるために、「おいしさ」「栄養価の高い」ということに真っ正面から取り組む動きは起きにくかったとも言える。しかし、量の確保ができれば、品質の問題に踏み込むことが可能になるはずだ。車でも家電製品でも、量がそろうようになったから、品質競争の時代に入ったのである。

天候リスクへの挑戦者が勝者となる

 以上のように、今後の日本の農業生産に必要な技術というのは、安定供給、安定品質を目標としたものであると、筆者は考える。

 生産者と流通業者が、このことに真剣に取り組み出せば、まず現在のゆがんだ契約栽培の実態も是正されるだろう。というのは、現在の契約栽培とは、天候がよくて多く穫れたときにはさほど儲からず、むしろ天候が悪く普通以下しか穫れなかったときのほうが儲かりやすいというのは、間違いない。なにしろ、天候のいいときには価格が下がる上に、農産物があふれているので誰もほしがらず、天候の悪いときには価格が高い上に誰もがほしがるのだから。このような不作を願うようなしくみは、仕事としてゆがみがあるだろう。

 量と質の安定が確保されれば、流通業者だけではなく、生産者にもメリットが大きく、しかも流通全体の無駄が少なくなり、消費者まで含めた関係者が全員がメリットを享受できる“最適化”を図ることになるのである。そしてさらに、市場拡大、それに伴う用途開発、新しい品質上の価値への取り組みなど、多くの新しい可能性が開ける。

 ところが、従来、「農産物は天候の影響に左右されるもの」という“常識”にとらわれ、生産者も流通業者も判断停止の状態で、このことに真剣に取り組んでこなかった。ここは、現場の人間にとっては反省すべき点である。

 実は、世界の歴史を振り返れば、栽培技術は天候の影響を克服するために発達してきたと言っても過言ではない。そして、現在の諸外国には、日本より進んだ安定供給・安定品質の技術があるのだ。したがって、現在の日本が天候による影響を克服なり軽減なりできていないのは、技術の問題ではなく、「不可能」「できなくていい」といった心の問題である。

 しかし、それは同時に、日本の農業技術には幸いなことにまだ発展の余地があるということである。多くの人が不可能だと思い込んでいるこの夢に真剣に取り組み、技術を身に付ける生産者、流通業者は、誰も想像できないほどのアドバンテージ(競争優位性)を勝ち取るだろう。

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About 岡本信一 41 Articles
農業コンサルタント おかもと・しんいち 1961年生まれ。日本大学文理学部心理学科卒業後、埼玉県、北海道の農家にて研修。派米農業研修生として2年間アメリカにて農業研修。種苗メーカー勤務後、1995年農業コンサルタントとして独立。1998年有限会社アグセスを設立し、代表取締役に就任。農業法人、農業関連メーカー、農産物流通業、商社などのコンサルティングを国内外で行っている。「農業経営者」(農業技術通信社)で「科学する農業」を連載中。ブログ:【あなたも農業コンサルタントになれるわけではない】