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「ルーム」のケーキとアイス

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現在公開中の「ルーム」は、2008年にオーストリアで発覚した「フリッツル事件」をモデルに、アイルランドの作家エマ・ドナヒューが創作を加えて2010年に発表した小説「部屋」(土屋京子訳、講談社刊)を原作に、ドナヒュー自身が執筆した脚本を「FRANK フランク」(2014)のレニー・エイブラハムソンが監督した、カナダ/アイルランド合作映画である。

 17歳の時に変質者に誘拐され、電子錠付きの納屋に7年間も監禁された女性が、レイプの結果として生まれた息子と監禁部屋からの脱出を図る前半と、その後の心のケアの過程を描いた後半の2部構成になっている。

インサイド――ロウソクのないバースデーケーキ

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 変質者による女性監禁を描いた映画は、1965年のウィリアム・ワイラー監督作品「コレクター」をはじめとして幾多の作品が公開されているが、本作は5歳の少年ジャック(ジェイコブ・トレンブレイ)の視点で描かれているところが従来の作品とは異なる。部屋での撮影も被写界深度の浅い望遠レンズ(ピントが合う距離が限られる)を使い、子供の見た目の再現を試みている。

 生まれてこのかた部屋の外に出たことがない(出られない)ジャックのためにママのジョイ(ブリー・ラーソン)はこの部屋の内側が世界の全てで、外の世界で起こっていることを伝えるテレビも箱の中で作り出された偽物だと教え、ジャックもその言葉を信じていた(表1)。窓は天井から光が差し込む小さな天窓ひとつで、暗く狭く臭い部屋であったが、女の子のように髪を伸ばしたジャックは部屋にある全ての家具や道具に名前を付け、あいさつをし、ママといつも一緒の二人きりの生活を楽しんでいるようにも見える。ジャックにとって部屋とはいったんは生まれたものの引き続きママの庇護のもとにあるカンガルーの袋のようなものなのだろう。

 ママの教え現実
部屋の内側世界のすべて世界の一部、監禁部屋
部屋の外側宇宙空間
(人が行けない)
世界そのもの
テレビすべてが偽物お芝居は偽物だが俳優は本物
アニメは偽物

 ある冬の日、5歳の誕生日を迎えたジャックはママとバースデーケーキ作りに挑戦する。バターや卵といった本物の材料を使って出来上がったケーキにはジャックの歳の「5」が描かれていたが、テレビドラマの誕生日のシーンで見るようなロウソクはなかった。ジャックはママに不満を述べるが、ママは厄介なものは「あいつ」には頼めないという。

ジャックがママと“部屋”で作った5歳のバースデーケーキ

ジャックがママと“部屋”で作った5歳のバースデーケーキ

「あいつ」とは、ママが「オールド・ニック」と呼ぶ犯人の男(ショーン・ブリジャース)で、食材をはじめとする生活必需品は彼が定期的に差し入れているものだ。彼が来る日、ママはジャックを洋服ダンスに隠し、彼の凌辱に黙って耐えていた。差し入れは彼らを生かしておくための最小限のもので、栄養補給のためにビタミン剤を飲んではいるものの、ママがリンゴを齧ったはずみで歯が抜けてしまう等栄養状態の悪さは明らかだった。しかしニックは失業による困窮を理由にそれすらも減らし、電気まで止めてしまう。

 そんな状況の中、ママはある事件をきっかけに、以前にも単独で試みた部屋からの脱出を、今度は息子を使ってなしとげようとする。これは母親としては究極の決断だった。

 彼女はまず、ジャックにこれまで隠してきた事実を話すが、彼はそれに対して激しい拒否反応を示す。これまで世界の全てだと信じてきた部屋が牢獄だったという事実を受け入れることは幼い子供にとって酷なことだろう。しかしママを独占できる現状維持を望む一方で、ママを苛めるニックへの憎しみと、まだ見たことのない部屋の外側に広がる世界への憧れを抑えることのできない感情の葛藤を、本作の子役は見事に表現している。

 そしてジャックを動かすきっかけとなったのは「じいじとばあばのいる家の庭のハンモックでアイスクリームを食べる」という食べ物を通じて外の世界の素晴らしさを伝えるママの一言であった。

 ママが立てた作戦はジャックが高熱を出したことを装ってニックに病院に連れて行かせ助けを求めるというものだったが、ニックは事件の発覚を恐れてジャックを外へ出そうとはしなかった。しかし彼女はあきらめず、今度はある著名な文学作品の描写をヒントに、ジャックをだしに使う難しいミッションを計画する。そのための特訓をジャックに課すママの眼には、母親の立場を越えた狂気が宿っており、後半への伏線となっている。

 そして、ついにジャックは“カンガルーの袋”から未知の世界へ“二度目の誕生”を果たすのだが、落涙必至の一連のシークエンスは、ただ見てくれという他ないだろう。

アウトサイド――宇宙食のようなパンケーキと、痛いアイスクリーム

病室に運ばれてきたパンケーキがジャックの外の世界での最初の食事となった

病室に運ばれてきたパンケーキがジャックの外の世界での最初の食事となった

“部屋”からの生還を果たしたママとジャックはメディカルチェックのため大きな病院に入院する。ここで注目すべきは、眩いほどの光にあふれ、街のパノラマが一望できる高層階に設定された病室とこれまでいた“部屋”の落差である。ジャックにとってはこの病室の光景はテレビで見たSF映画の宇宙船のようなものとして映ったことだろう。ドクターが回診の際に運んできたメロンとブドウが添えられたパンケーキも、あの“部屋”での食事に比べると何やら滅菌された宇宙食のようで手がつけられられなかったのも頷ける。しかしこの後ジャックは“部屋”での単調な食事にはなかったいろいろなものを食べることで外の世界を実感することになる。

 退院した二人はママの実家に身を寄せるが、ジャックの「じいじとばあばのいる家の庭のハンモックでアイスクリームを食べる」という夢はそのまま現実にはならなかった。じいじのロバート(ウィリアム・H・メイシー)とばあばのナンシー(ジョアン・アレン)は離婚し、ばあばはレオ(トム・マッカムス)と再婚していた。あったはずのハンモックもどこかに行ってしまい、ジャックがアイスクリームを食べることができたのは新旧の家族5人で囲む夕食でのことだった。その第一印象は、誰もが体験する“鼻が痛い”というもので、外の世界が甘いだけではないことを暗示している。

 ここでもう一つ重要な“部屋”が出てくる。それはママことジョイの部屋で、誘拐された7年前のまま保存されたタイムカプセルである。浦島太郎となったママは、誘拐されていなかった場合の自分の人生を想像せずにはいられなかっただろう。それに加え連日押しかけるマスコミと野次馬、お金のために仕方なく出演したテレビのインタビュー番組で女性インタビュアーが発した心ない言葉等がどんどん彼女を追い詰めていき、そのストレスはジャックやばあばにも向けられていく。

 そんなつらい状況の中、ジャックの心を慰めたのは意外にも血のつながりのないレオだった。彼はママ以外の人になかなか心を開かないジャックを巧みにキッチンに誘導し一緒にシリアルを食べることに成功する。これはジャックがママと“部屋”でも食べていたもので、ジャックは「今でもときどき戻りたくなる」とレオに心情を打ち明けるが、それが叶わないことは彼にもわかっていた。

 そしてある“事件”によってママとしばらく離れて暮らすことになったジャックは、次第に外の世界と順応していく。“部屋”でのケーキ作りをばあばに再現してみせるシーンは彼の自立に向けてのステップの象徴と言えるだろう。そして彼はママへのあるプレゼントをばあばに提案する。それが何なのかは是非映画をご覧になってご確認いただきたい。

関連作品も注目

 本作でママを演じたブリー・ラーソンはその迫真の演技でアカデミー賞の最優秀主演女優賞をはじめとする演技賞を独占した感がある。彼女は2013年製作の「ショート・ターム」では親からの虐待等で心の傷を負った未成年者を保護するシェルターのケースワーカーのグレイスを演じている。本作とはケアする側とされる側の違いはあるものの、実はグレイスも過去に親から性的虐待を受けた過去を背負っていて共通する要素の多い秀作である。

 また冒頭に挙げたレニー・エイブラハムソン監督の「FRANK フランク」は、マイケル・ファズベンダー演じる片時も被り物を外さないバンドリーダーが周囲を巻き込んで騒動を起こす音楽ドラマで、被り物の内側に引きこもった彼の素顔と仮面を被った外向きの顔を対比させたという点で、本作に向けてのジャンピングボードとなった作品と言える。


【ルーム】

公式サイト
http://gaga.ne.jp/room/
作品基本データ
原題:ROOM
製作国:アイルランド カナダ
製作年:2015年
公開年月日:2016年4月8日
上映時間:118分
配給:ギャガ(提供 カルチュア・パブリッシャーズ=ギャガ)
カラー/サイズ:カラー/シネマ・スコープ(1:2.35)
スタッフ
監督:レニー・アブラハムソン
原作・脚本:エマ・ドナヒュー
製作総指揮:アンドリュー・ロウ、ジェフ・アーカス、ジェシー・シャピラ
製作:エド・ギニー、デヴィッド・グロス
撮影:ダニー・コーエン
プロダクションデザイン:イーサン・トーマン
音楽:スティーヴン・レニックス
編集:ネイサン・ヌーゲント
衣装デザイン:リア・カールソン
キャスト
ジョイ(ママ):ブリー・ラーソン
ジャック:ジェイコブ・トレンブレイ
ナンシー(ばあば):ジョアン・アレン
オールド・ニック:ショーン・ブリジャース
レオ:トム・マッカムス
ロバート(じいじ):ウィリアム・H・メイシー

(参考文献:KINENOTE)

執筆者

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。