店の内幕/衛生からSNSまで

[284] 「ボイリング・ポイント 沸騰」から

おしゃれで洗練されたイメージがある高級レストランの舞台裏はどうなっているのか? 現在公開中の「ボイリング・ポイント 沸騰」は、シェフとして15年間働いた経験を持つフィリップ・バランティーニが、2018年に監督した短編がモチーフ。90分間全編(オープニング・エンドロールを除く)を通して編集やCGを一切使わない、正真正銘のワンカット撮影で、ロンドンにある高級レストランの問題点をあぶり出した長編フィクションである。

※注意!! 以下はネタバレを含んでいます。

衛生検査でキャラクターを浮き彫りにする

 映画は、オーナーシェフのアンディ・ジョーンズ(スティーヴン・グレアム)が携帯で通話しながら店(ロンドンのイースト・エンド・ダルストン地区にあるレストラン「Jones & Sons.」でオール・ロケーションを敢行)に入っていくところから始まる。アンディは料理人としての腕はよいのだが、私生活に問題を抱えていて妻子と別居中。多忙のため事務所に寝泊まりする毎日であったことが通話内容からわかる。この私生活の乱れが、すべての問題の源である。

 店の中では、抜き打ちの衛生検査に来た衛生監視官のラブジョイ(トーマス・クームズ)が、各スタッフの衛生状況、冷蔵庫の温度、食材に貼付するラベルなどを厳しくチェックしているところだった。そこへ遅れて入って来たアンディは、ラブジョイから店の安全評価を「5」から「3」に落とすと通告される()。

 問題とされたのは、厨房スタッフのカミール(イーズカ・ホイル)が、食品用のシンクで手を洗っていたり、厨房見習のトニー(マラカイ・カービー)が、手袋をしないで牡蠣の殻むきをしていたりなどなど多々挙げられるが、いちばん問題となったのは、アンディがHACCPの記録簿の記入を、最近2カ月ほどサボっていたことだった。記録していないことは、すなわち衛生管理ができていないととられてしまう。今この時代に食に携わる方であればHACCPの重要性はご承知かと思うが、他山の石としたいところである。

 一方、映画として本作の巧みなところは、衛生監視官がキッチンの各パートをはじめ店内のあちこちを歩き回ることで、スタッフそれぞれのキャラクターが見えてくるところにある。本作は、アンディの物語であると共に、店のスタッフや訪問者(客)たちの群像劇でもあるのだ。

現代のレストランを襲う問題が満載

アンディの店の看板メニュー「カモ肉のしょうゆソース」。アリステア・スカイとの因縁の料理である。
アンディの店の看板メニュー「カモ肉のしょうゆソース」。アリステア・スカイとの因縁の料理である。

 衛生検査のゴタゴタの後は、開店前の全体ミーティング。この日は1年で最も混み合うクリスマス前の金曜日である。ホールのリーダーで共同オーナーの娘でもあるベス(アリス・フィーザム)から、100名以上の予約が入っていると報告される。そしてその中にTV番組で人気のシェフ、アリステア・スカイ(ジェイソン・フレミング)がいると聞いたアンディに緊張が走る。アンディはスカイの店で働いていたことがあり、スカイはこの店の出資者でもある。因縁浅からぬ関係なのだ。

 案の定、スカイはグルメ評論家のサラ・サウスワース(ルルド・フェイバース)を伴って来店。このプレッシャーは、アンディから冷静な判断力を奪う一因となる。

 これ以外にも本作では、スタッフ−スタッフ間、スタッフ−客間でさまざまな人間関係のドラマが展開され、さらにそれらがリンクし合うことで濃密な90分となっている。

 そこにはたとえば、他店からの引き抜き、昇給の要求、出資者間の経営権の順位の問題などが描かれ、さらに、人種差別、モンスター客、アレルギー対応、ホールとキッチンの対立、そしてSNSの影響力など、関係者・経験者には“あるある”の連続である。それら複雑で多岐にわたる問題と人間模様を簡潔明瞭に描き出す演出術は、見事という他はない。

全編ワンカット映画の系譜

 本作で採用された全編ワンカットという手法。古くはアルフレッド・ヒッチコック監督の「ロープ」(1948)が有名である。ただし、当時の35mmフィルムの撮影時間は1巻10〜15分が限界のため、巻の終わりと始めを人物の背中や棺の蓋などのクローズド・ショットにすることで繋がっているように見せる疑似的な全編ワンカットであった。

 第87回アカデミー賞で、作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞を受賞したアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」(2014)、第92回アカデミー賞で撮影賞、視覚効果賞、録音賞を受賞したサム・メンデス監督の「1917 命をかけた伝令」(2019)も、実写と特殊効果を織り交ぜた疑似全編ワンカット映画である。

 現在では、デジタルシネマカメラなど撮影機材の進歩により、真の意味での全編ワンカット撮影が可能になった。サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館を舞台にしたアレクサンドル・ソクーロフ監督の「エルミタージュ幻想」(2002)、三谷幸喜監督のコメディ映画「大空港2013」(2013)、ゼバスチャン・シッパー監督の犯罪映画「ヴィクトリア」(2015)、ノルウェーで実際に起きたテロ事件を題材とした「ウトヤ島、7月22日」(2018)など、多くの作品が製作されている。

 現在フランス版リメイク「キャメラを止めるな!」(2022)が公開されている上田慎一郎監督のオリジナル版「カメラを止めるな!」(2017)も、劇中劇のゾンビ映画は全編ワンカット映画である。

※ イギリス食品基準庁(FSA)による食品衛生格付けスキーム(FHRS)では、飲食店や食品小売店を衛生面で評価し、0〜5までの6段階で格付けする。


【ボイリング・ポイント 沸騰】

公式サイト
http://www.cetera.co.jp/boilingpoint/
作品基本データ
原題:BOILING POINT
製作国:イギリス
製作年:2021年
公開年月日:2022年7月15日
上映時間:95分
製作会社:Ascendant Films, Burton Fox Films
配給:セテラ・インターナショナル
カラー/サイズ:カラー/シネマ・スコープ(1:2.35)
スタッフ
監督・製作総指揮:フィリップ・バランティーニ
脚本:フィリップ・バランティーニ、ジェームズ・A・カミングス
製作:バート・ラスポリ、ヘスター・ルオフ
撮影:マシュー・ルイス
美術:エイミー・ミーク
衣装:カレン・スミス
キャスト
アンディ・ジョーンズ:スティーヴン・グレアム
カーリー:ヴィネット・ロビンソン
アリステア・スカイ:ジェイソン・フレミング
フリーマン:レイ・パンサキ
エミリー:ハンナ・ウォルターズ
トニー:マラカイ・カービー
ベス:アリス・フィーザム
ビル:タズ・スカイラー
カミール:イーズカ・ホイル
サラ・サウスワース:ルルド・フェイバース
ジェイミー:スティーヴン・マクミラン
ジェイク:ダニエル・ラカイ
ソフィア:ガラ・ボテロ
アンドレア:ローリン・アジュフォ
ロビン:エイン・ローズ・デイリー
ディーン:ゲイリー・ラモント
フランク:ロビン・オニール
メアリー:ローザ・エスコーダ
ラブジョイ衛生監視官:トーマス・クームズ

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。