「百試千改」で「花心」を追う

[276] 「吟ずる者たち」から

映画「吟ずる者たち」は、広島の酒どころ三津(東広島市安芸津町)を舞台に、新旧二つの物語が並行して描かれる。一つ目は明治時代初期、何度もの失敗を乗り越えて「軟水醸造法」を考案し、吟醸酒の基礎を築いた三浦仙三郎の伝記。二つ目は現代、東京で夢破れ帰郷した酒蔵の娘が、父の想いを継いで新酒造りに情熱を注ぐストーリー。この二つに共通するのは、仙三郎が提唱した「百試千改」の精神である。

※注意!! 以下はネタバレを含んでいます。

腐造との戦い

 明治9(1876)年、米屋と肥料問屋を営んでいた三浦仙三郎(中村俊介)は「三浦醸造場」を創業。しかし、最初の数年間は腐造(火落菌による酒の腐敗)を繰り返し、人が飲めるまともな酒は出来なかった。仙三郎は杜氏に原因を尋ねるが「酒の神様に嫌われた」と言うばかり。当時、蔵元は酒造りの責任者である杜氏には口出しできないという暗黙のルールがあった。

 酒蔵に棲む火落菌に原因があると推測した仙三郎は、蔵の清潔を徹底するが、それでも駄目。ついには蔵の新築を計画する。銀行からは融資を断られ、酒造業の失敗で本業の経営も苦しい中、弟・忠造(中尾暘樹)は反対。しかし、父・忠兵衛(渋谷天外)の後押しもあり、明治14(1881)年に蔵を新築する。しかし、それでも腐造は止まなかった。

 追い詰められた仙三郎は、明治16(1883)年、酒造りを休んで日本一の酒どころ・灘へ。一年間蔵人として働き、灘流の酒造りを学ぶ。そして翌明治17(1884)年、杜氏に頼んで実験用の樽を確保し、灘で学んだ「ぎりもと法」を試す。これは、手間と労力と適切なタイミングが必要な高度な仕込み方法である。仙三郎はさまざまな仕込み配合を試し記録することで最適解を目指す。その結果、やっと腐造しない酒が出来たのだった。

 百回試して、千回直す。「百試千改」は、これら腐造との戦いの中で、仙三郎が生み出したモットーである。

軟水醸造法の確立

 この間、仙三郎はこのほかにも関係者の協力を得ながら仕込みの改善に挑戦している。たとえば、酒造りに必要なデンプンだけを残す酒造用の精米機を、サタケ創業者で「精米機の父」・佐竹利市が考案し、これを導入する。

 明治25(1892)年、県の醸造試験場に醸造技師の橋爪陽が赴任してきた。橋爪は広島で杜氏の育成に尽くし、後に「杜氏の父」と呼ばれることになる人物である。仙三郎はその橋爪から、水の硬度が酒造りに影響することを聞かされる。仙三郎が手本にしてきた灘の宮水は、ミネラル分が豊富な硬水。一方、三津の水質は、酒造りには適さないと言われている軟水だった。仙三郎は、酒造りについて根本的な見直しを迫られる。

 この軟水での醸造を突破する方法のヒントは、京都の酒造家・大八木正太郎(螢雪次朗)の講演から得た。最終的に、米のデンプンを糖に変える麹造り、糖をアルコールに変える酛(酒母)造り、麹・酛・米・水を合わせ発酵させる醪(もろみ)造りの各段階において、温度等の管理を、勘ではなく実測値に基く科学的な酒造りに変えるというのが、仙三郎がたどり着いた解決だった。すなわち、醪/酛/麹の最高温度を、華氏70度(約21℃)/90度(約32℃)/100度(約38℃)にする「七、九、十法」である。仙三郎はこの方法から、新しい酒「花心(はなごころ)」を完成させる。

 明治31(1898)年、仙三郎は自らの成果を「改醸法実践録」として公表。これは広島の酒造家全体の技術を向上させた。明治40(1907)年の第一回清酒品評会では、優等1等「龍勢」、優等2等「三谷春」、1等は「花心」他17点が受賞。広島酒の受賞率は灘・伏見を凌ぐ約75%という好成績で、広島は灘・伏見と並ぶ「日本三大酒どころ」と称されるようになった。

「吟味して丁寧に醸す」。仙三郎の手法は後の吟醸酒に受け継がれ、仙三郎は「吟醸酒の父」と呼ばれるようになる。

 しかし、仙三郎がこうして軟水醸造法を確立するまでの間、私生活では悲しい出来事が続いた。「花心」の誕生にまつわるそれらのエピソードについては、映画本編をご覧いただきたい。

父から娘へ、花心から追花心へ

明日香は父が造ろうとしてしていた「追花心」に百試千改で迫る。
明日香は父が造ろうとしてしていた「追花心」に百試千改で迫る。

 さて、「現代編」の主人公、永峰明日香(比嘉愛未)は、東京のデザイン会社で働いていたが、クライアントの要求に妥協する恋人のデザイナーに幻滅。会社を辞め、恋人と別れて故郷・三津に戻ってくる。明日香の実家は、三浦仙三郎の杜氏の末裔が継いだ永峰酒蔵で、明日香の父・亮治(大和田獏)は、仙三郎の業績に並々ならぬ関心を寄せていた。

 そんな亮治は、明日香が帰郷した日も、明日香の幼馴染で販売店の営業マン・山中慎一(篠原篤)に、佐竹利市が日本で最初に作った酒造用精米機を取り寄せさせ、娘の明日香には無関心の素振り。明日香の方も、幼少期は酒造りに興味津々だったが、あるときから家業に距離を置き、親子仲はギクシャクしていた。

 ところが、亮治が脳卒中で倒れ意識不明となってしまう。永峰酒造は亮治のワンマン経営で営業もすべて仕切っていたので他にわかる者がいない。明日香の弟で亮治の実子・創太(奥村知史)は、家電量販店勤務のサラリーマンで、家業を継ぐ気はない。今年の仕込みを前に、永峰酒蔵は存続の危機に立たされる。

 悩める明日香は父の所蔵していた三浦仙三郎による「仕込配合検査簿」と「回顧録」を見つける。「回顧録」を読んで仙三郎の私生活を自分の境遇に重ねた明日香は、父の志を継ぐことを決意。亮治の手帳のメモから「花心」の文字を見つけ、亮治の酒造りの相談に乗っていた、広島県食品工業技術センターの職員・立花志保(川上麻衣子)に会いに行く。亮治が、仙三郎が醸した酒「花心」をベースに、現代の嗜好にマッチした味に仕上げた新酒「追花心」(おいはなごころ)を造ろうとしていたことを知った明日香の「百試千改」がはじまる……。

 明日香のモデルは、ドキュメンタリー映画「カンパイ 日本酒に恋した女たち」(2019、本連載第216回参照)に出演し、「BBC 100 Women 2020」に選ばれた今田美穂だろう。彼女は三津の今田酒造の代表取締役兼杜氏であり、東京でのOL生活からの転身、三浦仙三郎の「改醸法実践録」を所蔵している点でも似通っている。

映画製作も苦難の連続

 本連載で広島の酒を主題にした劇映画を紹介するのは、広島のもう一つの酒どころである西条を舞台にした「恋のしずく」(2018、本連載第189回参照)に次いで2本目である。本作は2018年に製作発表が行われ、同年11月にクラインイン。2019年6月に広島県先行公開を予定していた。しかし、さまざまな理由で撮影スケジュールが遅延し、さらにコロナ禍が追い打ちをかけた。最終的に2020年12月にクランクアップ。2021年11月5日に広島県先行公開。東京公開初日は2022年3月5日にとなった。映画製作も映画の内容さながらの苦難の連続だったと言えるだろう。


【吟ずる者たち】

公式サイト
https://ginzuru.com/
作品基本データ
製作国:日本
製作年:2021年
公開年月日:2022年3月25日
上映時間:115分
製作会社:ヴァンブック
配給:ヴァンブック
カラー/サイズ:カラー/アメリカンビスタ(1:1.85)
スタッフ
監督:油谷誠至
脚本:仁瀬由実、安井国穂、油谷誠至
プロデューサー:竹本克明
現地プロデューサー:古川康雄
音楽:南方裕里衣
主題歌:みやぎけいご
題字:熊谷哲心
キャスト
永峰明日香:比嘉愛未
永峰亮治:大和田獏
永峰敏江:丘みつ子
永峰和子:中村久美
永峰創太:奥村知史
立花志保:川上麻衣子
山中慎一:篠原篤
三浦仙三郎:中村俊介
三浦ソノ:戸田菜穂
三浦忠兵衛:渋谷天外
三浦マチ:ひろみどり
三浦直子:今井れん
三浦忠造:中尾暘樹
木村和平:山口良一
大八木正太郎:蛍雪次朗

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。