希望のイチゴと禁断のイチゴ

[222]映画が扱った感染症とその食(1)

今回から数回にわたって、伝染病・感染症を描いた映画を食べ物との関わりという視点から取り上げていく。

 東京オリンピックに向け「スポーツ映画の食」をシリーズで取り上げてきたが、ここに来て新型コロナウイルス感染症の流行と、それによる大規模イベントなどの自粛要請という難題が立ちはだかってきた。過去の伝染病・感染症を扱った映画が、これから想定し得るさまざまな事態への心構えの一助になれば幸いである。

 今回は、そうした映画の中でキーとなる食品として登場したイチゴに注目した。

「第七の封印」の“希望のイチゴ”

 1957年製作のスウェーデン映画「第七の封印」は、中世ヨーロッパの暗黒時代を舞台に“神の不在”というテーマに挑んだイングマール・ベルイマン監督の代表作である。

 十字軍遠征から帰還途中の騎士アントニウス(マックス・フォン・シドー)と従者ヨンス(グンナール・ビヨルンストランド)。十年にわたる苦難に憔悴しきったアントニウスの前に死神(ベント・エケロート)が現れる。彼は死神にチェスの勝負を挑む。長引く勝負の間彼の死は猶予され、彼は旅を続ける。

 疫病(ペスト=黒死病)の蔓延による大量死、デマの横行、魔女狩り、堕落した聖職者、怪しげな儀式を行うカルト集団等々……、終末観漂う世界にあっても沈黙を続ける神の存在に疑念を感じるアントニウス。その彼の心の救いとなったのが純朴な旅芸人夫婦ヨフ(ニルス・ポッペ)とミア(ビビ・アンデショーン)と、彼らの子ミカエルとの出会いであった。

 ミアが山で摘んできた木の大皿いっぱいの野イチゴを、皆で囲み、ミルクと一緒に食べる場面は、死の影が支配する本作にあって唯一生への希望を感じさせる。

 アントニウスは旅芸人夫婦と一緒に旅を続けるが、それを死神が見逃すはずがなかった。彼らのたどる運命については、本作を実際にご覧いただきたい。

「ベニスに死す」の“禁断のイチゴ”

「ベニスに死す」より。シロッコの吹くビーチでタジオに目を奪われたアッシェンバッハは、喉の渇きから衛生面でリスクのある生のイチゴを口にしてしまう。
「ベニスに死す」より。シロッコの吹くビーチでタジオに目を奪われたアッシェンバッハは、喉の渇きから衛生面でリスクのある生のイチゴを口にしてしまう。

 1971年製作のトーマス・マン原作、ルキノ・ヴィスコンティ監督作品「ベニスに死す」は、20世紀初頭のベニス(ヴェニス、ヴェネツィア)が舞台である。静養のために訪れたドイツ人の作曲家アッシェンバッハ(ダーク・ボガード)と、ポーランド貴族の美少年タジオ(ビヨルン・アンデルセン)の出会いを、折しもベニスを襲ったコレラの流行に絡めて描いた“ラブストーリー”だ。

 原作「ヴェニスに死す」はマンの実体験に基づくもので、アッシェンバッハは作家という設定だが、モデルとなったのはマンと親交のあったグスタフ・マーラーと言われていて、映画でも作曲家に修正され、音楽もマーラーの交響曲第5番第4楽章「アダージェット」がテーマ曲として使われている。

 アッシェンバッハは自分の音楽を通して美を追求していたが、新曲の発表では聴衆からブーイングを受け、友人のアルフレッド(マーク・バーンズ)からは「君の芸術の根底にあるのは平凡さだ」と酷評されてしまう。彼はその傷心を抱えてベニスに来たのだった。

 チェックインしたホテルのレストランで初めてタジオを見かけたアッシェンバッハは、続いて訪れたビーチでもタジオに遭遇する。シロッコ(アフリカ大陸から地中海を越えて吹き寄せる砂混じりの季節風)による不快な蒸し暑さの中、アッシェンバッハはタジオの整った面立ちとすらりとした体躯に理屈を超えた完璧な美を見い出す。それは彼が努力して追い求めてきた美とは次元の違うものだった。

 タジオに目を奪われ、喉に渇きを覚えたアッシェンバッハは、暑さの中では避けた方がよいと言われている生のイチゴを思わず口にしてしまう。

 実はこの時、すでにベニス市中ではコレラが発生していたのだが、観光産業へのダメージを恐れた地元民によって隠蔽されていたことが後にわかる。つまりこのイチゴは、衛生的な意味での危険を示唆しながら、危険な美しさへの接近を象徴する。その両方の意味において禁断の果実だったということになる。

 イチゴを口にした後、アッシェンバッハは何度もこの地を離れようとするものの、タジオの持つ抗いがたい魅力に囚われてしまい、あろうことかこの状況を利用してタジオに接近する妄想まで見るようになってしまうのだ。

 やがて噂が広がり、観光客が逃げ出してゴーストタウンと化したベニス。火が焚かれ、白い消毒液が撒かれた街路には異臭が漂う……。近々にこのような景色が現実にならないことを切に願うものである。

新型コロナウイルスに関する基本的な知識と最新の情報については厚生労働省をはじめ公的な機関の発表や呼びかけに注意してください。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html


【第七の封印】

作品基本データ
原題:Det Sjunde Inseglet
製作国:スウェーデン
製作年:1957年
公開年月日:1963年11月18日
上映時間:96分
製作会社:スヴェンスク・フィルム
配給:東和
カラー/サイズ:モノクロ/スタンダード(1:1.37)
スタッフ
監督・脚本:イングマール・ベルイマン
製作:アラン・エーケルンド
撮影:グンナール・フィッシャー
美術:P・A・ルンドグレン
音楽:エリク・ノルドグレン
振付:エルス・フィッシャー
キャスト
騎士アントニウス:マックス・フォン・シドー
従者ヨンス:グンナール・ビヨルンストランド
ミア:ビビ・アンデショーン
ヨフ:ニルス・ポッペ
死神:ベント・エケロート
鍛冶屋:オーケ・フリーデル
鍛冶屋の妻:インガ・ジル
少女:グンネル・リンドブロム
ラヴァル:ベティル・アンデルベルイ
魔女:モード・ハンソン

(参考文献:KINENOTE)


【ベニスに死す】

作品基本データ
原題:Death in Venice
製作国:イタリア、フランス
製作年:1971年
公開年月日:1971年10月2日
上映時間:131分
製作会社:アルファ・チネマトグラフィカ・プロ
配給:ワーナー・ブラザース
カラー/サイズ:カラー/シネマ・スコープ(1:2.35)
スタッフ
監督:ルキノ・ヴィスコンティ
脚色:ルキノ・ヴィスコンティ、ニコラ・バダルッコ
原作:トーマス・マン
製作総指揮:マリオ・ガッロ
製作:ルキノ・ヴィスコンティ
撮影:パスカリーノ・デ・サンティス
音楽:グスタフ・マーラー
編集:ルッジェーロ・マストロヤンニ
衣装デザイン:ピエロ・トージ
キャスト
グスタフ・アッシェンバッハ:ダーク・ボガード
タジオ:ビヨルン・アンデルセン
タジオの母:シルヴァーナ・マンガーノ
タジオの家庭教師:ノラ・リッチー
ホテル支配人:ロモロ・ヴァッリ
アルフレッド:マーク・バーンズ
アッシェンバッハ夫人:マリサ・ベレンソン
エスメラルダ:キャロル・アンドレ

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。