「ポップコーン・イクスプロージョン」の“型”と“塩加減”《特別寄稿》

最近は電子レンジで作るポップコーンが主流とのことで、アルミフライパンを直火にかけて作るポップコーンをあまり見かけなくなった。失敗、事故などのクレーム? あるいはIHの普及のせいだろうか?

ゲイリー・バートンの大失敗

「タイム・スレッド」(ゲイリー・バートン&小曽根真)

 ともあれ、アルミフライパンを加熱すると脂が溶け、爆裂種のコーンがはじけてポップコーンが出来上がるというもの。これの蓋の役割を果たしていたのが、購入時点では内側に貼り付いていたフィルム。爆裂とともにこれが広がって、アルミフライパンの上にこんもり膨らむという仕組みだ。

 今回は、そんな簡単なことで大失敗をしてしまった人がいたというお話から。

 その人とは世界的なビブラフォン奏者、ゲイリー・バートンである。ゲイリー・バートンといえば、片手に2本ずつの4本マレット奏法を駆使したコンテンポラリー・スタイルのプレイヤーとして1960年代半ばから頭角を現し、1970年代には独ECMレーベルの看板アーティストとして確固たる地位を築いた。また1971年から2002年まで、米国ボストンのバークリー音楽大学で教鞭をとり、後年は副学長として後進を育成。パット・メセニー、エバーハルト・ウェーバー、ラルフ・タウナー、タイガー大越、小曽根真らを育て、自身のリーダー・グループのメンバーや共演相手として世に紹介してきた。

 今年6月、小曽根真(ピアノ)&ゲイリー・バートン(ビブラフォン)のデュオ・コンサートが、小曽根真の世界デビュー30周年およびゲイリー・バートンの70歳を記念したジャパンツアーとして行われた。6月22日にはサントリー・ホールでも行われるなど日本13カ所を巡るツアーだったのだが、筆者はその内の6月9日千葉・青葉の森芸術文化ホールで行われたコンサートを鑑賞した。この青葉の森芸術文化ホールはキャパ800人の規模であり、ノーマイクで2つの楽器のやりとりを生音で鑑賞できたのはラッキーだったと思う。両者の息づかいが聴こえてきそうなほどに生々しい音のタペストリーを、存分に堪能した。

 コンサートは、バークリー時代のこと、ゲイリー・バートンのグループのメンバーとしてツアーをしていた頃のエピソードを交えながらプログラムが進められた。そしてアンコールで演奏されたのが、「ポップコーン・イクスプロージョン」という曲だ。これは小曽根真&ゲイリー・バートンデュオの最新作「タイム・スレッド」にも収録されている。

バートン先生のポップコーン
バートン先生のポップコーン(絵:筆者)

 さて、この曲のいわれである。

 ツアー中のある日、珍しくゲイリー・バートンが台所に立っていると思ったら、ポップコーンを作るところだった……そしてほどなく事故は起きた。

「Help! Makoto! Help me!」

 突然叫ぶバートン先生。ポップコーンはアルミフライパンを直接火にかけるだけのこと、何事が起こったのかと行ってみると、アルミフライパンからポップコーンがポンポンとはじけ飛び、彼にも当たり、それで大慌てになっているところだった――彼はアルミフライパンの表面を覆うフィルムをわざわざ外して加熱してしまったのだった……。

 この、次々に爆裂するポップコーンが周囲に飛び散り、大騒ぎになったときのエピソードをモチーフに、小曽根真は「ポップコーン・イクスプロージョン」を作曲したという。

最強の替え歌フォーマット=ブルース

 前回のコラムで、既存の曲のコード進行を拝借してオリジナル曲を作るコントラファクトという手法を紹介したが、ジャンルを超えて最もコントラファクトされているのは、言うまでもなくブルース進行だろう。ここで言うブルースとは“ジャンルとしてのブルース”や、“渋いムードの音楽”という意味ではなく、ブルースの典型的な進行とフィーリングを借りてきた“形式としてのブルース”のことである。

 国語で習った“起承転結”に照らし合わせて説明するならば、最初の4小節が“起”、次の4小節が“承”、次の2小節が“転”で、最後の2小節で元に戻るので“結”。ちなみに黒人の最も原初的なブルースは、最初の4小節“起”と次の4小節“承”の繰り返しで、“転”“結”の部分はなかったという。その繰り返しを延々と続ける労働歌、“かあちゃんのためならエーンヤコーラ~♪”をイメージしてもらえばわかりやすいかと思う。原初的なブルースはそういうものだったのが、やがて黒人たちが賛美歌等の教会音楽を通じて西洋音楽に触れるようになり、そこで学んだ最後の4小節分“転”“結”を、歌の終わりに使うようになっていった。

 ここで学校の音楽の時間を思い出してほしい。先生が弾くピアノの最初の和音で背筋を伸ばし、次の和音でおじぎをして、最初と同じ和音が再度出てきて元に戻る……おじぎをしているときの和音は響きが不安定であり、それゆえ元に戻ろうとする性質がある。音楽用語でこういう和音を“ドミナント”、元に戻ることを“解決”と言う。

 黒人の労働歌は“ドミナント”と“解決”を獲得することで、歌を終わらせる、あるいは次の歌につなげられるようになり、これによってブルースという音楽スタイルが成立したと言っても過言ではない。

 定型フォーマットとしてのブルースは、その形式の範囲内であれば何を歌ってもいいし、どんな楽器が入ってきても構わない。ちょっと節回しを変えたり、重ねる声の響きを変えたりと、型が決まっているからこそ無限の可能性があるのだ。このような“型”は音楽だけに限らない。たとえば食事のメニューに前菜、副菜、主菜があるように、流れを構成するための“型”“お約束”あるいは“黄金比”的なものが、必ずいくつかあるものだ。

 R&Bならブルースのフィーリングを重視した歌として発展していったし、形式はそのままに8ビートのリズムを強調したロックンロールに異ジャンルの要素を追加していくことでロックは進化していった。そしてジャズは、その定型内でのアドリブの可能性とハーモニーの拡張によって変容していったのである。ブルース定食(さしずめモツ煮込み定食か?)は、ポピュラー音楽の定番中の定番なのだろう。

 一聴しただけではブルースには聴こえないメロディとスピーディーなテンポ、緊張感を煽るようなリズムの仕掛け~「ポップコーン・イクスプロージョン」はスリリングかつ現代的なブルースナンバーだ。

ポップコーンの塩加減

「ガイデッド・ツアー」(ゲイリー・バートン)

 さて、ポップコーン作りで愛弟子の前で大失態を演じてしまったゲイリー・バートン。ジャンルを超えた影響力を持つビブラフォンのイノベーター、過去6回のグラミー賞に輝く最高峰のアーティスト、数多のトッププレイヤーが師と仰ぐ指導者は御歳70歳。2002年には大学を離れ、これまで以上に精力的な演奏活動を続け、今年は前述の「タイム・スレッド」のみならず、リーダー・グループの新作「ガイデッド・ツアー」も同時期に発表した。「演奏家として新たなステージへと入ったと思う」と、ステージ上のMCで力強く語り、その演奏はその言葉を証明して余りある素晴らしいものだった。

 と同時に、愛弟子・小曽根真とともに音楽を心から楽しめる喜びをオーディエンスと共有するために、ポップコーンのちょっとコミカルなエピソードをわざわざ披露したことは、絶妙な塩加減となっていた。

“すごい音楽”“上手い演奏”は、このようなひとつまみの塩を振りかけることで、“いい音楽”になるのだろう。

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About 対馬正徳 3 Articles
ギタリスト つしま・まさのり 1964年生まれ。11歳よりギターを始め、15歳でハービー・ハンコック「処女航海」を聴いてジャズに開眼。広告代理店勤務の傍ら、02年アン・ミュージック・スクールで小嶋利勝、直居隆雄、両氏に師事し、07年特待生で修了。この間04年脱サラし、自己のグループ「The Sleek Jazz Trio~Quartet」を中心に、首都圏のライブハウス、カフェ、レストラン、ホテル等で演奏活動中。tsu-labo.