遺伝子組換えパパイヤが歓迎され定着した6つの理由

今回の来日で初めて国内で公開されたパパイヤ「レインボー」。
今回の来日で初めて国内で公開されたパパイヤ「レインボー」。
2004年に一緒に視察した春日主計範氏(右)とともにゴンザルベス博士(中央)とうれしい再会(左は筆者)。
2004年に一緒に視察した春日主計範氏(右)とともにゴンザルベス博士(中央)とうれしい再会(左は筆者)。
ゴンザルベス博士とキャロル夫人のデュエット。
ゴンザルベス博士とキャロル夫人のデュエット。
クッキング・デモンストレーション。
クッキング・デモンストレーション。

9月7日、米国大使館大使公邸で、遺伝子組換えパパイヤ「レインボー」のお披露目があった。開発者のデニス・ゴンザルベス博士と夫人も出席し、これまでの経緯とハワイの生産者と消費者の受容の様子などが紹介された。ハワイを救ったこのパパイヤの物語は、新しい技術のコミュニケーションの事例としても非常に重要だ。

 9月7日、米国大使館大使公邸にて遺伝子組換えパパイヤ(レインボー)の講演とクッキング・デモンストレーションが開かれ、本年12月1日に上陸する遺伝子組換えウイルス抵抗性パパイヤのお披露目が行われました。

 発明者であるデニス・ゴンザルベス博士の講演と、世界的に著名なシェフであるサム・チョイ氏によるレインボーを使った料理のデモンストレーションがありました。

 会場ではルース大使をはじめ、大使館のスタッフがアロハ姿で来客を迎えるというホスピタリティのある催しで、講演の後にはゴンザルベス博士夫妻によるデュエットや、ダンスチームによるフラダンスもある楽しい催しでした。

壊滅的なウイルスの被害

 1945年には見つかっていたパパイヤリングスポットウイルス(PRSV)は、1987年にハワイ島でも確認され、1994年ごろからパイヤ生産に影響を与え始めました。

 PRSVはアブラムシにより媒介される病気で、パパイヤの実に環状のスポットが出て出荷できなくなるだけでなく、木は枯れ、発生した圃場も完全に根を除去しなければ使えなくなってしまうというものです。アブラムシはとても防除しきれるものではなく、いったんPRSVが上陸すると拡大の防ぎようがない状況でした。

 ハワイ出身のゴンザルベス博士は、コーネル大学で遺伝子組換え植物の研究をしながら、故郷のパパイヤ被害を憂いていました。博士らは、PRSV本体に感染を防ぐ遺伝子を発見し、これを遺伝子組換え技術によりパパイヤに導入する着想を得て、1991年にPRSV抵抗性を持つパパイヤを作出しました。

 ところが、このパパイヤが安全性試験、環境影響試験をパスして実用化されるまでの期間は、PRSVの被害の拡大を前にしながらの、厳しい時間との闘いとなりました。1996~1998年には、技術の開発と並行して、規制をクリアするための承認作業を行わなくてはなりませんでしたし、どのような方法で苗や種を農家に配布するかという実務的な課題もありました。

 この間、実際にPRSVの被害で廃業した農家も多くありました。ハワイのパパイヤ生産量は最大だったときの約500万tから、1994年には半分まで減少し、ハワイのパパイヤ産業は風前の灯火となりました。観光パンフレットにもこの窮状が書かれ、多くの人々が心を痛めていました。

 しかし現在、ハワイのパパイヤ生産量は、全盛期の85%まで回復しています。

実用化までのキーポイント

今回の来日で初めて国内で公開されたパパイヤ「レインボー」。
今回の来日で初めて国内で公開されたパパイヤ「レインボー」。

 筆者は2004年、ゴンザルベス博士、キャロル夫人、パパイヤ協会の関係者、パパイヤ生産者にヒアリングを行う機会を得て、生食されるパパイヤがいかにハワイの人々に歓迎されて定着していったかを、詳しくうかがいました。

 ハワイの人々が毎朝生食するパパイヤの、壊滅的な被害から現在の復活に至るプロセスは、遺伝子組換え作物・食品と市民の関係を考えるとき、たいへん示唆に富むものです。

 このレインボーの勝利には、いくつかのキーポイントがあります。

1. 開発の着手が早かったこと(ゴンザルベス博士が故郷のPRSVの被害に早くから着目し、実験室レベルで遺伝子組換えパパイヤの植物体を作出された)

2. 生産者がどのような形で苗や種を求めているかの情報が得られていたこと(キャロル夫人はレインボーの普及に先立ち、農家の経済状況も踏まえて、配布の優先順位や苗や種の適切な配布方法について聞き取り調査を行った。ヒアリングは事務所だけでなく、生産者の指定する夜遅い時刻に、寂しい街に出向いたりして行われたという。相手の顔が見えている状況で、栽培方法を伝えることもできた)

3. 生産者をウイルスの脅威から実際に救うことができるレインボーの種や苗は、大歓迎されて栽培されたこと(栽培をあきらめずにいた農園は存続できたが、廃業したところは元に戻れなかった)

4. パパイヤの被害の深刻さが、ハワイの人々や観光客によく知られていたこと(ハワイの人にとって身近で大切な食材がなくなることの危機感が共有されていたので、レインボーは歓迎されて栽培されたり、食べられたりするようになった)

5. レインボーの品質が優れていたこと(レインボーは形も色も味もよく、他のパパイヤ品種と並べて引けをとらない。遺伝子組換えも非組換えも同じ価格で売られているが、人気がある)

6. 実用化に向けて必要な手続きが並行して行われたこと(安全性試験、環境影響試験、規制緩和の手続きを研究者も率先して行った)

 ハワイの人々が共有していたウイルス被害の苦しみが、バイオテクノロジーによって数年で解決されたことは、生産者と食べる人へのスムーズな受容につながったと思われます。この迅速な動きの背景で、被害の出始めから研究開発が開始されたことと、生産者の受容に向けたキャロル夫人の聞き取り調査の功績は偉大だと言えるでしょう。

リスクコミュニケーションの重要な事例

 遺伝子組換え作物が世界の多くの生産者に栽培・利用されるようになった現在も、なお遺伝子組換え食品を拒む動きはあちこちで見られます。これが研究開発から実用化に移行するときのブレーキになっています。

 世界中で栽培・利用されている遺伝子組換え作物の多くは搾油用や飼料用で、原料の形がわかる状態で人の口に入ることはあまりありません。これに対して、生食するパパイヤが、大産地であり大消費地であるハワイで熱烈に歓迎され、すぐに人々の食卓に上った事実は、食のリスクコミュニケーションの歴史においても貴重な事例として、学ぶことが多くあります。

 ハワイを訪れたとき、タクシーのドライバーが私たちの旅の目的がレインボー調査であると聞いて、「私もパパイヤ農園を持っていた、もうすこし早く実用化してくれていたら、私は廃業してドライバーにならずにすんだのに」と、悲しそうにしていた姿が忘れられません。

 レインボーが日本にどのように上陸するかは、今後の遺伝子組換え作物・食品の受容や研究開発にも影響するものとして注目されています。ハワイを訪れる多くの日本人は、現地でレインボーをおいしく食べているでしょう。この事実をよく分析し、「日本のレインボー」を大切に受け止められたらと思います。

※2004年視察レポート(くらしとバイオプラザ21)
http://www.life-bio.or.jp/topics/topics98.html

About 佐々義子 41 Articles
くらしとバイオプラザ21常務理事 さっさ・よしこ 1978年立教大学理学部物理学科卒業。1997年東京農工大学工学部物質生物工学科卒業、1998年同修士課程修了。2008年筑波大学大学院博士課程修了。博士(生物科学)。1997年からバイオインダストリー協会で「バイオテクノロジーの安全性」「市民とのコミュニケーション」の事業を担当。2002年NPO法人くらしとバイオプラザ21主席研究員、2011年同常務理事。科学技術ジャーナリスト会議理事。食の安全安心財団評議員。神奈川工科大学客員教授。