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夢にまで見たパーリンカ祭り

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ホテルにいったん戻ろうとしたが、まだ時間がある。歩いてきた道とは逆方向だったが、昨日場所を確認した最寄りのメトロの駅に足を伸ばしてみた。

 平日の昼間がのどかなのは東京もブダペストも変わらない。東欧圏ではドルの使い勝手が悪いようなので、駅の上の両替所で手持ちのドルからフォリントに両替を済ませ、スーパーを眺め終えると他にこの辺りでやるべきことは思い当たらない。裏通りを散策していると、昼から開いているパブを見つけた。仕事前に酒を口にすることにいささか気が引けたが、これからの仕事も飲みがメインとなる。飲むのもここでは仕事だと割り切ることにした。

街中にあふれるパーリンカ

昼から営業していたパブに入る

昼から営業していたパブに入る

 店内に入ってみると中は吹き抜けの2階建てになっており、経年を感じさせる造りがなかなか落ち着く。イギリスには行ったことがないのだが、向こうのパブもこんな感じなんだろうか。この店で筆者が確かめたかったのは「本当にパーリンカはハンガリーではよく飲まれているのか」だった。そんな筆者の杞憂をパブの店員は一笑した。

「日本からわざわざパーリンカのことを調べに? ああ、よく注文されるよ。外国人とハンガリー人の割合? うーん、考えたことないからはっきりはわからないけど、どっちもよく飲んで行ってくれるね。うちは果物の種類ごとに分けて10本以上はあるかな」

 実際、このパブに立ち寄る前に見た駅前ビルのそこそこ大きなスーパーでも、パーリンカの売り場は結構大きく取ってあった。ドナウ川沿岸とは言え、ホテルに近いバッチャーニ駅は観光客が土産物屋にひしめくペスト側とは違い、お客は地元の人が多いはずだ。いくらお上が国産振興の掛け声を挙げても、スーパーも商売だから売れないものは置かないだろう。

 翌日、観光ルートから離れたブダペストの裏道を筆者は彷徨ったのだが、その際に入った何軒かのカフェーと酒屋でも、パーリンカは広いスペースを確保していたから、ハンガリーでのパーリンカが現在もハンガリー国民に愛されていることは間違いないようだ。

海外の酒視察のコツ

視察2日目はエディットさんの車でパーリンカ専門店に向かう。

視察2日目はエディットさんの車でパーリンカ専門店に向かう。

 今日はエディットさんの車で移動となる。助手席に可愛いマスコットが揺れていることに気が付いた。日本ならさしずめ“いまどき女子”というところだろうか。

 パーリンカ専門店「マジャール パーリンカ ハーザ」(ハンガリーのパーリンカの家、の意)はブダペストの中心街である8区のラコシ通り17番地にあるパーリンカ専門店で、70社1600種類の品ぞろえを誇る。外国人に人気があるのはプラム、アプリコット、カリンだそうで、各メーカーごとに原料となっている果実をラベルに大きく表記しているものが多いと店員のアニコーさん。この写真の棚すべてがパーリンカだ。日本では入手不可能な物ばかりだが、持ち帰りできる重量制限もあり、スーツケースの大きさにも限りがあるから、あれもこれも買っていくと言うわけにはいかない。

 日本に戻ってきてから知ったのだが、20cm×20cmのジップロック等の透明なビニール袋に詰めれば「瓶に入った100ml以内の液体」すなわちミニチュアボトル(通常50ml前後)は手荷物でも持ち込み可能なので、日本から海外に行くバーテンダーの方はこの袋を事前に準備していくことをお薦めしたい。

ブダペスト8区の専門店「マジャール・パーリンカ・ハーザ」。

ブダペスト8区の専門店「マジャール・パーリンカ・ハーザ」。

「この店で働き始めたばかりなので専門的なことは聞かないでください」と店員のアニコーさん。

「この店で働き始めたばかりなので専門的なことは聞かないでください」と店員のアニコーさん。

原料となる果物ごとにラベルが異なる。

原料となる果物ごとにラベルが異なる。

店内の風景。スマホの広角アダプターで撮影したため歪んでいるが、文字通りパーリンカで埋め尽くされている。

店内の風景。スマホの広角アダプターで撮影したため歪んでいるが、文字通りパーリンカで埋め尽くされている。

 話が脱線したついでに、もう一つバーテンダー諸兄に海外に行く前にお薦めしたいことがある。渡航直前になるとバタバタして気持ちの余裕もなくなるので、できれば1カ月前くらいに、自分の行く国や好きなジャンルの酒を東京なら信濃屋や田中屋、ハセガワリカーズなどで目に焼き付けておくことだ。

 一般の方ならいざ知らず、バーテンダーの方でオフィシャルのボトルを安値目当てに免税店で買って来る方は少ないと思う。大抵は「日本に入っていない珍しい酒」や「日本に入ってきているものとは違うバージョンの酒」をスーツケースに詰めて帰って来ることになるだろう。それなのに、せっかく重量制限を気にしたり、場合によっては超過料金を払って持ち帰ってきた酒を日本の業務用酒販店で見たときの落胆ぶりは、やらかしてしまったバーテンダーにしかわからない。

 そんな筆者も、ツバック社のウニクムの(シルヴァ〈プラム〉バージョン)を買っては来たものの気が気ではなく、業務用酒販店に瓶を持ち込んで「あぁ、これは日本に入ってきてませんね。私も初めて見ました」と言われてほっとした口なので、あまりしたり顔で偉そうなことは言えないのだが。

「マジャール・パーリンカ・ハーザ」のような専門店がブダペストの一等地に立派な店舗を構えていること、EUへの呼称申請で必要だったであろう複雑な手続きを経てパーリンカ呼称をハンガリーが得たこと、スーパーでの売り場の見聞やブダペストのさまざまな酒場で聞いた話からもハンガリーの国民酒としてパーリンカを国全体で盛り上げていこうという意気込みを感じられたこと、これらはハンガリー視察旅行で最大の収穫だったと言っていいだろう。

ついにたどり着いたパーリンカ祭り

 パーリンカ専門店を後にして夕方から始まるパーリンカ祭(正確には「パーリンカおよびソーセージ祭2015」)の会場に向かう。ブダペスト王宮は町全体を見渡せる小高い丘(ゲッレールト山)の頂上にあり、ケーブルカーで向かう。女性が見たら「きゃーカワイイ!」と思わず叫びそうな緑色のケーブルカーに乗り込んだ。登るにつれて全貌を現わす世界遺産のブダペスト市街は一見の価値がある。サングラスを掛けた衛兵の前で記念写真を撮る観光客をすり抜けて歩くこと数分、日本で旅行日程を組み始めた3カ月ほど前から何度も何度も東京の家のパソコンで見た「パーリンカ・フェス2015」のイラストをあしらったバナーが筆者を出迎えてくれた。

ゲッレールト山頂に行くにはケーブルカーが便利だ。

ゲッレールト山頂に行くにはケーブルカーが便利だ。

パーリンカ・フェスの会場入り口。半年前から目指していた場所にようやくたどりついた。

パーリンカ・フェスの会場入り口。半年前から目指していた場所にようやくたどりついた。

 平安の昔、対馬で見送りの人に手を振り、東シナ海を小舟で荒波にもまれながらやっとのことで中国に到着した高僧が、さらに広大なタクラマカン砂漠を横断してガンダーラに着いたとしたら、そのときもこんな気分だっただろうか。苦難の度合いからすれば較べものにはならないものの、「とうとう、ここにやってきた」という感慨を覚えつつ、筆者は深いため息をついた。

 ここに至る道は三蔵法師ほどではないにしても、決して平坦ではなかった。フルーツブランデーが東欧の深い文化と伝統に根ざしていることを知ったのが20年近く前。それから東欧行への想いがつのったものの、最初に道を開いてくれたセルビアが100年に一度の水害に見舞われて計画はいったん頓挫する。翌年、それまでアプローチをかけ続けていたハンガリーの担当者にようやく筆者の想いが届き、セッティングをしてくれた後はかなり無理も聞いてもらった。蒸溜所の訪問とパーリンカ専門店の訪問は向こうが提示してくれたが、筆者が希望したパーリンカ祭の視察は主催者が別だったため、わざわざ連絡を取ってチケットの手配と仲介をしてくれたその労も、数々の骨折りのほんの一例に過ぎない。

 ようやく日程が決まった昨年の6月頃だったと思う。パソコンを操りながら筆者の話を聞いていた友人が「お前が行くって言ってたハンガリーのお祭りのホームページ、最終更新してから何カ月も経ってるみたいだけど大丈夫か?」と言われて肝を冷やしたこともある。この祭りが中止になれば、ハンガリーとの取っ掛かりをすべて失う。あわてて筆者のためにパーリンカ業界とのアクセスを試みてくれていたハンガリー政府観光局に問い合わせるという一幕もあった。

 そんな紆余曲折を経て地球の裏側から14時間近く掛けてブダペストの地を踏みしめた。今、目の前にはパソコンの画面上で見慣れたパーリンカ・フェスのバナーがゲッレールト山に吹く風ではためいている。晴れ渡ったブダペスト王宮を背に、エディットさんと通訳のアンドレア嬢が向こうで手を振っている。

ブダペスト王宮とパーリンカ・フェス

ブダペスト王宮とパーリンカ・フェス

協力:ハンガリー農務省/ハンガリー政府観光局

執筆者

石倉一雄
石倉一雄
Absinthe 研究/洋酒ライター いしくら・かずお 1961年北海道生まれ。周囲の誰も興味を持たないものを丹念に調べる楽しさに魅入られ、学生時代はロシアの文物にのめり込む。その後、幻に包まれた戦前の洋酒文化の調査に没頭し、大正、明治、さらに江戸時代と史料をあたり、行動は図書館にバーにと神出鬼没。これまでにダイナースクラブ会員誌「Signature」、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)に誰も知らない洋酒の話を連載。研究は幻の酒アブサン(Absinthe)にも及び、「日経MJ」に寄稿したほか、J-WAVE、FM静岡にも出演。こよなく愛する酒は「Moskovskaya」。