「頑張れ」連呼は職業人の基本を忘れさせる

CMなど、このところテレビは「頑張れ」という言葉をのべつ幕なしに流している観がある。しかし、これは現実ばなれした言葉であり、何か効果があるようには思われず、むしろ弊害が多いと考えられる。これに対して大切なのは、個に対応することのはずだ。

【1】「頑張れ」は、何かの「目標」や「希望」のある人に対して使う

 一般的に「頑張れ」と我々が良く言うのは、試合に臨む選手に対してであったり、受験生に対してであったり、何か頑張った結果によって「目標」や「希望」が達成できたり、「目的」がかなえられたり、将来の可能性が開けることに対してであることが多い。

【2】「頑張れ」は発言者の期待の表明

「頑張れ」は、ハレの日の訪れに対する期待が込められている。しかし、直接的には「つらいだろうが、厳しいだろうが、我慢してやり抜いてほしい」という、言葉をかける側の思いが込められている。言葉をかける人が、その言葉をかける相手に、「自覚して」「ベストを尽くして」「ベストな結果を出して」と、依頼する言葉と言える。

【3】「頑張れ」は、言われた人にはプレッシャーとなることも多い

「頑張れ」に対して「頑張ります」と言うことは、「期待に対し応えます、そのための努力をします」という、ある種の約束をすることになる。

 また「頑張る」という言葉の元来の意味は、「我を張る」で、自分の陣地、所有物、考えを譲らないということだ。それが転じて、目標達成のために自己の意思を強く通すという意味として、肯定的に使われることも多くなった言葉だ。

 つまり、「頑張る」とは、抗う相手・対象物があり、責任を負うことであり、精神的・物理的なコストがある。そのため、平時においても、「頑張れ」と言われることに対して負担を感じる人も少なくない。受験生が親や友人に言われたくない言葉としても有名なわけだ。

 そして今の時代、「頑張れ」と言われたくない人は増えている。相手の期待や、信頼に対する責任が負担になるからだ。「プレッシャー」というものだ。だから、「頑張れ」がかえって悪い影響をもたらすことも多い。「頑張れ」と言われた当人が、成果を出すことができなかったり、自信が揺らぐ時には「自己否定」につながる。最悪の場合、それが自殺にまでつながり得る。

 とくに、鬱状態にある人には使わないように推奨されている言葉でもある。近年この認識が広まり、鬱と診断された人ではなくとも、プレッシャーに弱い人、どう見ても過酷な状況に置かれている人に対しては、「頑張れ」とは言わないというのがマナーとして定着しつつあった。

【4】「頑張れ」は、震災被災者にと言える状態にない

 さて、約1カ月間でおよそ復旧したとは言え(全面復旧とはまだ言える状況にない)、私も浦安市の被災者として申し上げたい。「頑張れ」と声をかけたい気持ちは、わからないではない。少なくとも悪意で言っているのではないことはわかる。ただ、「他人事(ひとごと)なのだ」としか感じられない。

 現地の被災者以外の大半の人は、被災者が「頑張る」対象がわかっていない。「頑張る」課題と、それが現実に果たし得ると確信できる状況にないという事情がわかっていない。そんな状態で「頑張れ」と言うのは、明らかにずれている。

【5】「頑張れ」は、たいへんに“酷”な言葉である

 東日本大震災の被災者の多くは、「頑張る」対象となる、家族、親類縁者、友人、家、お金、職の多く、あるいはすべてをなくしてしまっている。何のために「頑張る」のか、どのようにに「頑張る」のか、途方に暮れている人も多いに違いない。多くの被災地で、お金も持ち出せず、たとえ近く買いたいものがあっても買えない人も多いと聞く。近い将来の見通しも、福島第一原子力発電所が一層不明瞭にしている。

 そして震災から1カ月半、やっとのことで平静を保っている、装っているという人も多いはずだ。

 行方不明の身内を探す気力もなくしている人が多いとも聞く。通い詰めた遺体安置所のあまりの惨たらしさに「行方不明のままでいい」と夫の死体探しをやめた人もいる。何としても「頑張って探さないと」と思っていた気力、目標さえもなくす人が増えている。その大きな精神的負担を思わねばならない。

 そこへ、「頑張れ」と声をかけることは適切なことかどうか。私は、親戚や友人など、親しい人に対しても、たやすく使うべき言葉ではないと思う。

【6】「頑張れ」は、十羽一からげ

 人間、言葉を発することはたやすい。現場も知らず、具体的な目的もなく、行動も伴わず、苦しみの共有もなく、「頑張れ」は、いつでも、誰でも、言えてしまう。そして、言ったことで、善意があることを示し、何かしたようにさえ思わせてしまう。そうした、言葉の魔力に警戒していなければならない。ましてや、言葉で仕事をしているメディアの人には、ここを肝に銘じたい。

 にもかかわらず、テレビのCMや番組の中でなど、このところメディアでは「頑張れ」の連呼が行われている。メディアは、対象が「一」ではなく「多」だ。その「一対多」たるメディアで伝える言葉として、「頑張れ」がふさわしいだろうか。

 一対一の付き合いの中で、本当に相手の状況を具体的に理解した上でなら、「この人には『頑張れ』と言っていいだろう」「『頑張れ』と言うことが、その人を元気づけることになるだろう」というケースもあるに違いない。

 しかし、メディアが、とくにテレビCMで「頑張れ」(頑張りましょう)を言うのは、被災者全体を十羽一からげに扱う便利な言葉として使っているのでしかないのではないか。

【7】「頑張れ」は、政府・在京の行政にこそふさわしい

 災害への対処、目標を持つべき政府、政治家、行政関係者に対しては、「頑張れ」と言っていいだろう。

 しかし、現地の被災者の多くに、今「日本」を考える余裕を持てとは言えまい。被災者の意識において、未だ「日本」は余りに遠くにある。その人たちに、「日本は一つ」「頑張りましょう」をヘビーローテーションで呼びかけることは、極めて不適切と考える。

【8】「頑張れ」は、言える資格のある人がいる

 たとえばの話、王貞治氏のような、その名も、真面目な努力家という人格も、人生の経験、秀でた実績も、社会に広く認められた人が、「頑張ってください、被災者のみなさん。つらいでしょうが、今日を一生懸命に……」などと、話しかけるような話なら、救われる気がするかもしれない。

 それに対して、元気があって当たり前の非被災地に起居する若い人、知名度が特定の位相(地域・性別・年齢・職業等)に偏るタレントやスポーツ選手に、その役割を負わせることは、なにか大きな勘違いがあるとしか思えない。リーダーシップのない人にリーダーの役割を演じさせることは、全くの悲喜劇だ。聞く側にとっては不快であるし、言わされている本人たちも、評判を傷つけられることだ。

【9】「頑張れ」は、被災者に言えないと報告した経営者

 栃木県のパン・アキモトは、「パンの缶詰」を開発した会社として有名だ。災害支援にも積極的に動き、今回も東日本震災被災地への義援パンを送るプロジェクトを3月のうちから立ち上げている。その秋元義彦社長が、先日テレビのニュース番組ではっきりと言っていた。「被災者にはとても『頑張れ』とは言えない。現状は余りにも過酷だ」。強く心にしみる、現地を知る人の言葉だ。

 翻って、ここ最近のドキュメントやバラエティ系のテレビ番組、あるいはニュース番組でさえも、「美談」に偏っているのが気になる。

 本来、1カ月以上もの避難所の生活では、疲れ果て、体調を崩していることは容易に想像され、現実に避難所ですでに亡くなっている人も数百人を超える。また、同じ避難所に暮らす人同士でも、1カ月も経てばそれぞれの事情、境遇には差が生じてきて、互いに距離間が生まれることも想像される。実際、争いごとは日常茶飯事と聞く。

 そうした裏も表も呑み込んだ上での共感なら本物だが、メディアではどうもそこのところはつかみようがなくなっている。美談だけ聞いて一方的な同情だけ抱いている非被災地の人々も含めて「日本は一つ」などと言えるのかどうか。

 たとえばテレビというメディアの特性によるとも言えるだろう。一方、最近のメディア従事者の感覚の世間とのズレが、今回の災害の伝え方にも悪い形で表れているように見える。

【10】何を言えばいいか?

 では「頑張れ」でななく何と言えばいいのか。

 何十万人もいる被災者だから、それぞれの事情、心、強さ、弱さ、さまざまであることを今一度思い起こしたい。そう考えると、決まった一語で片付くことではないと、容易に悟ることはできるはずだ。

 たとえば、天皇陛下ご夫妻、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻が被災者のもとを訪ねたときにどうされていたか。膝をついて目線を合わせ、じっくりと話を聞かれ、その人に合った言葉を選んでいられた。だから、言葉よりもまず姿勢、目線、表情、自覚が大切なのだろう。天皇、皇族方という立場に対する敬意にもまして、その姿勢と行動に対して、驚き、感謝が起こったのに違いない。

 私はトヨタ時代から「現地、現物、現実」の三現主義を叩き込まれ、経営者としてもこれを第一に考えてきた。これが人として、職業人としての基本と考えている。だから、答えは一つではないのである。

 人々の気持ちを集める何かの標語は必要だろう。しかし、「頑張れ」はそれではない。三現主義を忘れさせる悪い力を持っているからだ。

アバター画像
About 奥井俊史 106 Articles
アンクル・アウル コンサルティング主宰 おくい・としふみ 1942年大阪府生まれ。65年大阪外国語大学中国語科卒業。同年トヨタ自動車販売(現トヨタ自動車)入社。中国、中近東、アフリカ諸国への輸出に携わる。80年初代北京事務所所長。90年ハーレーダビッドソンジャパン入社。91年~2008年同社社長。2009年アンクルアウルコンサルティングを立ち上げ、経営実績と経験を生かしたコンサルティング活動を展開中。著書に「アメリカ車はなぜ日本で売れないのか」(光文社)、「巨象に勝ったハーレーダビッドソンジャパンの信念」(丸善)、「ハーレーダビッドソン ジャパン実践営業革新」「日本発ハーレダビッドソンがめざした顧客との『絆』づくり」(ともにファーストプレス)などがある。 ●アンクル・アウル コンサルティング http://uncle-owl.jp/