女を幽す牢。その名はキッチン

[272] 映画「グレート・インディアン・キッチン」から

古くからの風習に従い、お見合いで結婚した女性。彼女が嫁ぎ先で見たものは、堅固な家父長制と強烈なミソジニー(女性嫌悪、女性蔑視)であった。彼女は見えない鎖でキッチンにつながれ、ひと月のうちの数日間を“けがれもの”として扱われる。今回紹介する「グレート・インディアン・キッチン」は、グルメ映画のように始まり、やがて家族制度の暗部に切り込むファミリー・ホラーである。

都市生活者だった妻と伝統社会育ちの夫

 本作はインド南西端のケーララ州北部の都市カリカットが舞台。お見合い結婚したナーヤル(カースト集団の名称。ケーララ州で有力な士族・地主のカースト)の男女に役名はない。

 妻(ニミシャ・サジャヤン)は父親の仕事の関係で中東バーレーンの首都マナマで子供時代を過ごし、その後ケーララ州に戻ってきた。生家は富豪ではないものの、金銭的に余裕がある中産階級で、文明の利器を駆使した都市型の生活を送ってきた。特技はダンス。映画の冒頭では、独身時代の妻のダンスと、ウニアッパム(南インドの揚げ菓子)、揚げバナナ、ハルワ(菓子の一つ。南アジアから北アフリカまで各種のものが分布し、多くは冠婚葬祭等の行事食として作られる)といったお見合いの料理の調理シーンがカットバックし、お見合いのシーンにつながるという編集が見られる。

 一方の夫(スラージ・ヴェニャーラムード)は、カースト集団の支部長を務めた父親のもとで育った。父親譲りのヒンドゥー教徒で、シヴァ神の息子アイヤッパを祀ったサバリマラ寺院へ毎年巡礼している。職業は女子学校の社会科教師である。

 この役名のない「妻」と「夫」の間に何があったのか。本作は二人が新婚生活を送る夫の実家からカメラをほとんど外に出さずに映し出している。そしてインド映画としては珍しく冒頭とラストのダンスシーン以外に音楽はなく、作品のシリアスな内容を引き立てている。

おいしい料理は苦しい調理から

ドーサは、米や豆を水に浸してから挽いたものを生地にして焼き上げる。サンバルやチャツネに合う、南インドの甘くないパンケーキである。
ドーサは、米や豆を水に浸してから挽いたものを生地にして焼き上げる。サンバルやチャツネに合う、南インドの甘くないパンケーキである。

 新婚当初、妻は姑から家事のあれこれを学んでゆく。その描写が最も多いのはトップダウンショット(真上からの俯瞰)による調理シーン。南インドの甘くないクレープ状のパンケーキであるドーサ、ココナッツ・チャツネ、ドラムスティック(ワサビノキの鞘の部分。モリンガ)のサンバール(煮込みの一種)等の色とりどりの食材が手際よく調理され完成していく様子が次々に映し出され、まるでテレビの料理番組のようである。

 調理シーンには甘い新婚生活を象徴するかのような楽しさがあるが、すぐにその雰囲気は一変する。この家では伝統的な男尊女卑の価値観がまかり通っていて、食事は男(夫と舅)が先に食べるのがルール。女(妻と姑)は男たちの食べた後片付けをしてはじめて食事にありつけるのである。男たちは、妻が置いた食べ殻入れの皿を無視してドラムステックの筋の部分を盛大に卓上に散らかしたまま食事を終える。まるで子供のように食べ散らかし、後片付けをする妻への配慮など微塵もない。

 後に夫妻そろって外食するシーンで、ドラムステックの筋を食べ殻入れの皿にきれいに置く夫を見た妻が「外ではマナーがいいのね」と言うと夫は途端に不機嫌になり、妻に謝罪を要求する。つまり反省どころか、これからも好き勝手やるということだ。妻が残飯を捨てて食器を洗う流しは清潔とは言えず、画面からは妻が抱える嫌悪感が伝わってくる。

 ホームドラマでの定番と言えば嫁と姑の対立だが、本作で妻にプレッシャーをかけてくるのは舅である。チャツネはミキサーを使わず手挽きしろ、米は炊飯器を使わず釜で炊け、洗濯機を使うと服が縮むから手洗いしろ等々、とにかく口うるさい。妻が夫に訴えても、父親なんだからそれくらいやってやれよと取り合ってもらえない。夫も舅と同類なのだということがここではっきりする。そして、姑が妊娠中の娘の面倒を見るために家を離れると、家事の一切が妻にのしかかっていく。この家における妻のポジションは、家事という重労働をこなす奴隷と言えるだろう。

 あるとき、流しの配管に亀裂が入って水漏れが発生する。妻は夫に水道屋に連絡するよう頼むが、夫はそのことを忘れてなかなか連絡せず、妻のストレスは募っていく。この家では買い物等外向きのことはすべて男が行うという古いしきたりに従っている。妻は水道屋に電話することすらできないのだ。

 そして、夫婦間の亀裂が表面化していくにつれ、楽しいはずの調理シーンすら映らなくなってしまうのである。

差別が束の間の解放をもたらす皮肉

 さらに驚くべきは妻が生理になったときの家族の対応である。彼らは体外に排出した血液や体液は不浄だととらえているようで、生理中の妻は目にするのもいとわしい“けがれもの”として扱われる。一方、この妻には買い物の権限がないため生理用品の入手も夫に頼らざるを得ない。昨今、日本でも生理用品を用意できない“生理の貧困”の問題がクローズアップされているが、その不自由はどうか。

 そして生理中の彼女は別室に隔離され、いつも使っている寝具が使えず、料理はできず、食事は一人で食べなければならないのだ。インドの北に位置するネパールで生理中に隔離小屋に入れられた少女が死亡したというニュースを耳にしたことがあるが、インドでも伝統的な価値観を持つ人々の間にそのような悪しき風習が残っているようだ。

 ただ、この期間だけ妻が家事の重労働から解放されるのは皮肉と言うしかない。

 なお、インドの2021年度の世界男女格差指数(Gender Gap Index : GGI/世界経済フォーラム。0が完全不平等、1が完全平等)は0.625で156カ国中140位。ちなみに、日本は0.656で同120位、最低はアフガニスタンの0.444である。

 映画の終盤(2018年9月)、サバリマラ寺院が10〜50歳までの女性(月経がある年齢の女性という考えから)の参拝を禁じているのは憲法違反というインド最高裁判所の判決が出て、それに応じて参拝しようとする女性とそれを阻止しようとするヒンドゥー教原理主義者との間で対立が生じ、ついに暴動事件が発生するという実際の出来事が出てくる。そしてこの出来事は、本作の結末にも関わっていく。

 本作は監督・脚本を担当したジヨー・ベービが異宗教間の恋愛結婚で得た実体験がモチーフとなっている。1カ月に満たない撮影期間と低予算で制作されたが、コロナ禍の影響で劇場公開ができなくなり、また、前述のサバリマラ寺院問題に触れていることで大手OTT(Over The Top/インターネットで通信事業者を介さずコンテンツを提供する事業者)からは配信を拒絶された。しかし、2021年1月にケーララ州などで話されるマラヤーラム語のコンテンツ専門のOTT「NeeStream」で配信されるとSNSで評判が広がり、Amazon Prime Videoでの配信も開始(本日現在、日本:amazon.co.jp 未対応)。日本では「インディアンムービーウィーク2021」の一本として上映されて反響を呼び、今回単独での劇場公開となった。


【グレート・インディアン・キッチン】

公式サイト
https://tgik-movie.jp
作品基本データ
原題:മഹത്തായ ഭാരതീയ അടുക്ക
製作国:インド
製作年:2021年
公開年月日:2022年1月21日
上映時間:100分
製作会社:Mankind Cinemas, Symmetry Cinemas, Cinema Cooks
配給:SPACEBOX
カラー/サイズ:カラー/シネマ・スコープ(1:2.35)
スタッフ
監督・脚本:ジヨー・ベービ
製作総指揮:マシューズ・プリカン
製作:ディジョー・アガスティン、ジョモン・ジェイコブ、ヴィシュヌ・ラジャン、サジン・S・ラジ
撮影:サル・K・トーマス
美術:ジシン・バブ・マヌール
音楽:スラジ・S・クルプ、マシューズ・プリカン
編集:フランシス・ルイス
キャスト
妻:ニミシャ・サジャヤン
夫:スラージ・ヴェニャーラムード

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。