「紀子の食卓」――変容する家族と個(孤)

小津安二郎のうまいもの(番外編)

上野駅54番(写真・筆者)
上野駅54番(写真・筆者)
「紀子の食卓」(2005)

映画の中の食を鑑賞するコラム。今回は奇才園子温が“紀子”で表現しようとしたものを考える。

 今回取り上げる「紀子の食卓」(2005)と小津安二郎作品の共通項は、「紀子」というヒロインの名前のみである。それでもこの作品を取り上げる理由は、監督の園子温が「紀子の食卓」のタイトルをつけた狙いが、戦後ホームドラマの素地を作った伝説的巨匠である小津が記号のように好んで使ったヒロインの名前を借用することで、当時と現代の家族と個(孤)のありさまの変容ぶりを顕在化させることにあったに違いないと考えたためである。

紀子とミツコ

上野駅54番(写真・筆者)
上野駅54番(写真・筆者)

 島原紀子は17歳の高校生。地元紙編集長の父・徹三、母・妙子、一つ違いの妹ユカと、“静岡県の”豊川市(仮名)で平凡に暮らしている。

 母の描く家族の肖像画に象徴される紋切型の幸福な家族像に息苦しさを感じていた紀子は、インターネット掲示板サイト「廃墟ドットコム」に現実逃避の場を求める。彼女はそこでミツコというハンドルネームで他の住人たちと交流するうちに、今いるこの場所から抜け出すことを決意し、2001年12月10日の夜、家出して東京へと向かう。

 訪ねたのは「廃墟ドットコム」の主的存在、ハンドルネーム「上野駅54」ことクミコ。上野駅のコインロッカー54番で生まれた彼女は、親のいない欠乏感を埋めるため、拾得物に捏造した記憶を付与し、そのロッカーにしまい込んでいた。紀子がコインロッカーを探し当ててクミコと出会う場面は、演出のタイミングが絶妙で、前半のヤマ場とも言える名シーンとなっている。

 紀子は、過去の自分を捨ててミツコとしての新しい自分を作り出し、クミコの経営するコーポレーションI.Cの事業である「レンタル家族」(客の注文に応じ、出張して時間で家族を演じる)の仕事を手伝うことになる。

あなたはあなたの関係者ですか?

「自殺サークル」(2002)

 本作品は、園監督の2002年作品「自殺サークル」の姉妹編であり、世界観を共有している(廃墟ドットコムは同作品にも登場)。「自殺サークル」で描かれた、2002年5月26日に新宿駅のホームで54名(クミコのハンドルネームに符合)の女子高生たちが笑顔で手をつないで「いっせーのせ」の掛け声とともに電車に飛び込んで集団自殺した事件と、その裏にある自殺クラブ(サークル=輪)の存在は、本作品でも重要な要素となっている。

 妹のユカは紀子が家を出た後、ヨーコというハンドルネームで「廃墟ドットコム」に書き込むとともに父・徹三の行動をシミュレートするが、徹三は娘たちに人格があることを理解していなかった。失望したユカは、「上野駅54廃墟」というサインを部屋に残して紀子と同じアクションを起こし、ミツコとなった紀子との再会を果たす。

 娘二人と妻までもノイローゼによる自殺で失った徹三は、ついに重い腰を上げる。記者としての取材力を駆使してレンタル家族の会社が自殺クラブの表向きの顔であることを突き止め、同社の幹部(コミック版「自殺サークル」の作者である古屋兎丸が演じる)と接触するが、彼はその存在を否定する。

 ここで彼が徹三に問いかける「あなたはあなたの関係者ですか?」というメッセージは、両作品の根幹とも言えるものである。人はみな社会の中で少なからず何らかの役割を演じ、他者と関係して生きている。徹三の場合は記者として、父として、夫として。では、彼と彼自身の関係は? 彼は正しく役割を演じているのか? 幹部は言う(台詞のまま引用)。

――現実の社会はあまりにも過酷で、父や母や子供や妻や夫を演じるには人々は疲れ果てて、表裏は複雑でしっくりといきません。
ここではすべてが嘘で、表も裏もありません。
むしろ、全面的に虚構を突き進むこと、それで初めて自分と出会えるのです。
砂漠を感じるのです。孤独を感じるのです。実感するのです。
確固たる砂漠で生き抜くこと、それが、役割です。――

煮詰まったすき焼き

 レンタル家族会社との交渉に失敗した徹三は、豊川の自宅にそっくりな物件を探し出し、家具備品一切を運び入れ、娘たちを受け入れる準備をする。そして記者仲間の池田の協力を仰ぎ、妻と娘二人(ミツコとヨーコを指名)のレンタルを依頼してもらう。当日、ミツコとヨーコになった紀子とユカが現れるが、徹三の計略は妻役のクミコに気づかれていた。果たして徹三は娘二人を取り戻すことができるのか……。

 以後はネタばれになるので詳細は省略するが、偽の家族がすき焼きの鍋を囲んでそれぞれの役割を演じる場面、ぐつぐつと音を立て、白い湯気を立ち上らせながら煮詰まってゆくすき焼きの様が、この状況を象徴しているようで印象に残る。

奇才・園子温

 本作品の監督である園子温は、上映時間4時間に及ぶ大作で第59回ベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞(カリガリ賞)を受賞した「愛のむきだし」(2008)、埼玉愛犬家連続殺人事件に材をとった“家賃三部作”の一作目「冷たい熱帯魚」(2011)等の問題作を発表し続け、現代の日本映画界で最も注目される映画作家の一人である。今年11月には“家賃三部作”の二作目で東京電力女性社員殺害事件に材をとった「恋の罪」(2011)が公開されるので、興味のある方は映画館に足を運んでいただきたい。


作品基本データ

【紀子の食卓】

製作年月日:2005年
公開年月日:2006/09/23
製作会社:マザーアーク
配給:アルゴ・ピクチャーズ
上映時間:159分
◆スタッフ
監督・原作・脚本:園子温
エグゼクティブプロデューサー:諸橋裕
プロデューサー:鈴木剛
撮影:谷川創平
美術:藤田徹
音楽:長谷川智樹
◆キャスト
吹石一恵(島原紀子)
つぐみ(クミコ)
吉高由里子(島原ユカ)
光石研(島原徹三)
宮田早苗(島原妙子)
並樹史朗(池田)
古屋兎丸(喫茶店の男)

(参考文献:キネマ旬報映画データベース)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。