低糖質志向で生まれた新市場

前回、日本の消費者の低糖質食への関心は2008年に特定健診・特定保健指導(いわゆる「メタボ健診」)がスタートしたあたりから強まり、日本の食品・飲料メーカーはこの動きに敏感に反応した、と書きましたが、実際にはメーカーがニーズを予測して先に対応したと見るべきかもしれません。それはビール系飲料(発泡酒・新ジャンル)の新商品開発動向を振り返ればわかります。

メタボ健診直前に糖質ゼロ飲料が出そろった

アサヒ スタイルフリー。
アサヒ スタイルフリー。

 最も早い時期に「糖質ゼロ」を打ち出したのは、おそらくサントリーが2005年7月に発売した新ジャンル「サントリー キレ味[生]」です。続いて翌2006年3月にアサヒビールがやはり「糖質ゼロ」の「アサヒ スタイルフリー」を発売しています。

 これら「糖質ゼロ」の前段として、「糖質オフ」の商品が各社から出ているので、ビール系飲料業界としては、2000年代前半にすでに低糖質食への対応を始めていたと言えるでしょう。それはアメリカでの「アトキンスダイエット旋風」に反応したものであり、「低インスリンダイエット」等のダイエット志向に対応したものだったはずです。ただ、まだメジャー商品にはならず、マーケティングで言うところのイノベーター(Innovators:革新者)やアーリーアダプター(Early Adopters:初期採用者)の支持を取り付けた段階と言えます。

 状況が変わるのは2007年の暮れからです。「アサヒ スタイルフリー」のファンを広げ、定番商品の一つに育てていたアサヒビールは、12月、ラインナップに250mL缶を加えました。一方、他の3社が「糖質ゼロ」商品を翌春発売することをあいついで発表します。すなわち、キリンビールが「麒麟ZERO」を2月から全国で、サントリーが「ゼロナマ」を2008年3月から全国で、サッポロビールが「サッポロ VIVA! LIFE」を4月から全国で発売するというものでした。

 このそれぞれの報道発表では、「メタボ健診」時代への対応を明確に説明しています。たとえば、「2008年4月から施行される『新健診制度』にともない、お客様の健康意識がますます高まっていくものと推定されます。こうした状況の中、当社は“糖質ゼロ”と“本格的なうまさ”を両立した新しい発泡酒「ゼロナマ」を発売し、機能系発泡酒市場での幅広い需要を獲得していきます」(サントリー「ゼロナマ」のプレスリリース)というようにです。

 つまり、ビール系飲料各社は、「メタボ健診」スタートに間に合うように「糖質ゼロ」の新商品を発売したのです。こうした動きは、日本酒等の他の酒類でも見られる動きでした。

 ですから、あえて言えば、今日の低糖質志向ブームは、「メタボ健診」という燃料に酒類メーカーが火を点けて起こしたものと見ることもできるでしょう。ただ、ブームで終わらずに拡大し定着の様相を呈しているのは、前回記したように、男性が低糖質食へのシフトの効果を実感しやすいことが影響していると考えられます。

 この動きの拡大は前回記した通りですが、「糖質ゼロ」商品は現在ではソーセージなどさまざまな加工食品にも広がっており、また従来は「低カロリー」を謳っていた菓子類も「低糖質」「糖質ゼロ」を表示しようとする方向にシフトしてきており、さらには、ともすれば自己否定にもなりかねない麺類等の穀物原料製品にも波及してきていることを申し添えておきます。

生まれた野菜市場がもやしに食われている

 さて、こうした中でも低糖質ダイエットが健康に悪い影響を及ぼすとする指摘はさまざまな方面から行われています。これらに対して低糖質食実践者たちからの反論もさまざまに行われています。急性の悪影響がはっきりしないものであるため、こうした論争は今後も続くでしょう。

 そんな中、今年2月には低糖質ダイエットに関する活動や著作で有名だったノンフィクション作家が死亡(死因は心不全・急性心筋梗塞で低糖質食とは無関係と関係者は指摘)したことで低糖質熱が冷めるのではとの観測もありましたが、それでも相変わらず低糖質・糖質ゼロ商品は販売され、むしろ新規投入は続いているという状況は、これも前回記したとおりです。

 さて、本稿で論争のどちらに軍配を挙げようという考えはないのですが、低糖質食批判の論調としてよく見られるものが「高タンパク食の危険」であることに触れておきます。高タンパク食が危険であるとする医学・疫学のデータに基づく論考には確かに無視できないものがあるようです。

 しかし、低糖質食志向の人たちが米飯や麺パンの代わりに肉・魚等でカロリーを摂っているかというと、大半はそうではないようです。江部康二氏を初めとする低糖質食を推奨する識者らはカロリー源として油脂も重視しています。糖質を適切に制限すれば、油脂を摂っても、また過剰なタンパク質摂取によって体内に脂肪として蓄積したとしても、それが消費されるといった説明が行われています。だとすれば、低糖質食志向を高タンパク食だから危険だとする指摘は的を外していると言えます。

 また、低糖質食を説明する書籍等では、糖質の含有量の少ない野菜類を選んで積極的に摂ることも推奨しています。

 そこで一つ面白いことに気づくのです。昨今のスーパーマーケット関係者からは「野菜が売れない一方、もやしばかりが売れる」とのボヤキがよく聞かれるのです。逆に、出版関係者からは「もやし料理の本が売れている」という話も聞きます。

 そして、それらの多くの人が言うのは「景気が悪いから、所得水準が下がっているから、もやししか買えない人が増えている」といったことです。確かにそういうことはあるかもしれません。しかし、それだけでしょうか。

 低糖質食の実践を続けていこうとする人が、野菜をたくさん食べようとした場合、従来の野菜では食べたい量に対して価格水準が高すぎる、ということがあるのではないでしょうか。

 つまり、野菜について新しい市場が生まれていると考えられないでしょうか——米、麦などの穀物に代わって肉・魚もですが、実は大量の野菜が求められている。しかも、その新市場は一般的な農業ではなくもやし工場がごっそりと持っていってしまっている、と。そこを、どうしたら農業の売上げに取り戻すことができるのか。農業や農業と連携する業界にとっては、非常に重要な検討課題のはずです。

※このコラムは日本食農連携機構のメールマガジンで公開したものを改題し、一部修正したものです。

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About 齋藤訓之 398 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所特任研究員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。日本フードサービス学会、日本マーケティング学会会員。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →