料理を出して現金を受け取るだけでは人間のコミュニケーションにならない

前回までの2回は、「ごちそうさま」「ありがとう」という言葉から、お客と店がやりとりするものには“金銭であがなえるもの”と“金銭であがなえないもの”の2つがあるということを説明しました。この区別を付けることこそは、コミュニケーションの妙、人付き合いの極意なのです。

言葉や品物のやりとりには意味がある

 人間同士のコミュニケーションは、常に以下の2つの側面を持っています。

●コミュニケーションは「表現」と「内容」による

(a)表現:コミュニケーションは五感で知覚できるもの(リアリティのあるメディア)によって行われる。これらは物理的な現象であって、記録や貯蔵が可能である。

例:書かれた文章、口頭の言葉、ビジュアル表現、音楽、物品、人間のプレゼンス(本人の来訪など)。

(b)内容:一方、コミュニケーションの本体は(a)の物理的なものに込められた意味である。(a)を人間が解釈して初めてコミュニケーションが成立する。

ポイント:上記(a)の例のそれぞれは、人間がいなければ、単なる模様、空気の振動、物体、現象でしかない。

 秋になって柿の木が実を付ける。するとヒヨドリがやってきてそれをついばむ。飛び立つ前には糞を落としていく。

 この光景を見てそのヒヨドリが「柿の木さん、ありがとう」と言っていると考えるのは人間のロマンであって、現実にはそんなことはありません。ついでに置いていった糞というのもただの生理現象であって、決して「お返しにこれを置いていきますから栄養にしてくださいね」などと言っているわけではありません。

 彼らはただ目の前に食べられるものが現れたのでそれから栄養を摂り、出るものが出たというだけのことです。つまり、秋の柿の木の上の光景には(a)のような物理的側面はあっても、(b)のような“意味”“解釈”の世界はないということです。

 ところが、これはどうですか。秋のある日、あなたが家で本など読んでぼうっとしていたら呼び鈴が鳴った。出てみると、隣の家の人が自宅の庭の柿をもいで持って来てくれたのだった。

 この場合、あなたは「目の前に食べられるものが現れた」「それから栄養を摂る」だけのこと、つまり(a)だけの事柄にはしないでしょう。まずその場で、「ありがとうございます」「ごちそうさまです」などの言葉を返すでしょう。食べるときにはその親切をいっしょに味わい、温かい気持ちになるでしょう。そして、「何かお返しをして喜んでもらいたいな」「ずっと仲良しでいたいものだ」とまで考えるかもしれません。

 このように、人間が受け渡しする柿には(b)のような“意味”“解釈”の世界があるのです。

繁盛店には意味や想いが満ちている

 お客が店に入って来てテーブルについた。カレーライスをくれと言う。それでカレーライスの1皿をテーブルに置いた。やがてお客が立ってキャッシャーのところに来て、カレーライス1皿の代金をそこに置いた。お客は去り、テーブルの上の皿からはカレーライスが消えていた――このストーリーの全体は記述・記録が可能で、出て来るカレーライスや金銭は(食品には日持ちという期限はあるにせよ)貯蔵可能なものです。

 これが(a)の世界です。カレーライスの実をつける柿の木があって、カレーライスを食べるヒヨドリがあったなら、彼らにだってできるやりとりです。しかし、人間はそうではないでしょう。人間はもっといろいろなことを考え、このやりとりに(b)の世界を創っていくのです。

 お客なら、「ああ、今日のカレーはおいしいな」「お腹空いてたしな」「今日は朝からよく働いたもの」「でも、先週食べたときはこんなにおいしかったかな。何か変えたのかな」「今日のお店のおじさんはなんだかぶっきらぼうだな」「テーブルに紙ナプキンを敷いてスプーンを置いていってくれたおばさんは優しい感じだったな」「そう言えば、ここのカレーは母さんが作ってくれたのとは違うけど、実家のこと思い出しちゃうな」「父さん母さん元気かな」などなど。

 店の人なら、「お、何か疲れた顔のお客が入って来たな」「うわー、うまそうに食べてくれる人だ」「うまいと思ってもらえるようにまた頑張らないとな」「あのスプーンの置き方はよかったのかな。手もとに近すぎたかもしれない」「お客が何か考え込んでいるみたいだ。味は大丈夫なのかな」などなど。

 そして最後、会計のときにお客はお金を出し、店はそれを受け取りながら、お客は「ごちそうさま」「おいしかった」など言い、店の人は「ありがとうございます」「またお待ちしています」など言いながら、お互いに笑顔を見せ合う。いわゆる「お愛想」という場面です。ここまでの一連のことをひっくるめて(b)の世界が出来上がる。これが、人間のコミュニケーションの世界です。

 店が柿の木、お客がヒヨドリである限り、全体は(a)で留まる。そのような物質・物体の交換、物理的世界の出来事である限りは、この連載の最初から縷々説明してきた値下げ競争と死神の世界でしかないのです。

 しかし、店が人によるもの、お客も人として登場するのであれば、そこには全く違う世界が創造されます。その世界に、なるべく多くの想いという情報が生まれるようになっていて、しかもそれが善意、好意、愛情など肯定的な想いが多くなるようになっていて、さらに、そうした店とお客それぞれの雑多な想念が一本の筋が通るようにまとまったとき、店という場は大きな力を持つのです。

 ここをまとめておきましょう。

●繁盛店は……

(1)店で起こることが物理的やりとりだけではなく、さまざまな意味のやりとりや想いが発生するようになっている。

(2)しかも(1)は、善意、好意、愛情など肯定的な意味や想いが多くなるようになっている。

(3)さらに(1)は、まとまった世界観のもとに統合されやすい。

(3)は、ややこしい話なので、またさらに先のほうで説明することにします。今回のところは「何かもう一つ秘密があるらしい」ぐらいに覚えておいていただければけっこうです。

齋藤訓之
About 齋藤訓之 289 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。「FoodScience」(日経BP社)では「食の損得感情」を連載。公益財団法人流通経済研究所客員研究員。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。日本フードサービス学会会員。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ → ※齋藤訓之のブログ →