ディープインパクトに学ぶ必勝のビジネス(5)

競走馬ディープインパクトに学ぶ、顧客に“ディープなインパクト”を与える8つのポイント
競走馬ディープインパクトに学ぶ、顧客に“ディープなインパクト”を与える8つのポイント

競走馬ディープインパクトに学ぶ、顧客に“ディープなインパクト”を与える8つのポイント
競走馬ディープインパクトに学ぶ、顧客に“ディープなインパクト”を与える8つのポイント

引退後の功績・次世代への承継

 競走馬としては引退しても、彼の競馬とのかかわりは終わったわけではない。2007年からは種牡馬としての生活が始まった。初年度の種付け料は、当時日本最高の1200万円であった。

 種牡馬としての成績は、むしろ現役時代を超えるほどである。初年度、ディープインパクト産駒のセレクトセールでの競売価格総額は19億1000万円となった。それまでの種牡馬の初産駒の総売却額記録は、2006年のキングカメハメハの17億4500万円であったが、これを大きく上回る新記録となった。

 さらに、これら落札された産駒たちの参戦初年に当たる2010年には全産駒で41勝を挙げ、その獲得賞金総額は5億3704万円となった。それは、ディープインパクトの父サンデーサイレンスが持っていた4億9062万円の日本記録を16年ぶりに更新する結果となった。子が父を抜いたのである。

 彼はこのように次世代への承継も見事に行い、かくして名血統は確実に受け継がれている。競走馬の血統というもの、単に生物学的なつながりだけでは“名血統”とはなれない。馬自身の準備、訓練、努力が積み重ねられ、人間とのかかわりがあって初めて、血統に磨きが掛かるのである。

「ディープインパクト」に学ぶ8つのポイント

 以上のディープインパクトにまつわる物語を、マーケティング、マネジメント、ブランド構築の成功例として思い返していただきたい。

1.ブランドの原点

「ディープインパクト」というネーミングのよさ。それは商品・サービスに対する“思い”の強さが込められている。

2.伝説・ストーリー作り

「ディープインパクト」は1頭の競走馬そのものだけではない。馬自体とそれにまつわるコトで構成された伝説の体系である。

3.関係者の絆・シナジー

「ディープインパクト」は彼自身だけで勝ったのではない。馬と騎手という2人のスターと重要な黒子らの絆が生み出したシナジーとして勝利を生み出してきた。

4.勝つための準備・訓練・努力

「ディープインパクト」の勝利の連続は、準備・訓練・努力の賜物であった。それらは馬の性格・特徴に合わせた戦略に合わせて行われた。

5.よき勝者・よき敗者

「ディープインパクト」には反省がある。勝てば次も勝つ反省材料を見つけ、負ければ次には勝つ反省材料を見つけ、一戦ごとに上手な競争をするようになった。

6.差別化・独自性

「ディープインパクト」には、「衝撃の末脚」によって終盤にすべてを圧倒する、小が大を倒す、小気味よさがあった。好かれる特徴を持つことの大切さ。

7.偉大なる定番の革新

「ディープインパクト」の定番の走りは、弱点の克服として編み出されたものである。短所は特徴の一つであり、全体を長所として構成し直すことで“偉大なる定番”を生み出す。

8.有終の美

「ディープインパクト」は現役時代だけが花だったのではない。人気絶頂期の鮮やかな引き際、勝って終わる有終の美、そして引退後の活躍、よい性質と実践の次世代への継承がある。

 それぞれのビジネスの中で、“ディープインパクト性”が実践されているか、“ディープインパクト性”のタネが隠れていないか、考えてみていただきたい。

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About 奥井俊史 106 Articles
アンクル・アウル コンサルティング主宰 おくい・としふみ 1942年大阪府生まれ。65年大阪外国語大学中国語科卒業。同年トヨタ自動車販売(現トヨタ自動車)入社。中国、中近東、アフリカ諸国への輸出に携わる。80年初代北京事務所所長。90年ハーレーダビッドソンジャパン入社。91年~2008年同社社長。2009年アンクルアウルコンサルティングを立ち上げ、経営実績と経験を生かしたコンサルティング活動を展開中。著書に「アメリカ車はなぜ日本で売れないのか」(光文社)、「巨象に勝ったハーレーダビッドソンジャパンの信念」(丸善)、「ハーレーダビッドソン ジャパン実践営業革新」「日本発ハーレダビッドソンがめざした顧客との『絆』づくり」(ともにファーストプレス)などがある。 ●アンクル・アウル コンサルティング http://uncle-owl.jp/