VIII 日本人の知らないジャパニーズ・カクテル/ミカド(1)

「ジャパニーズ・カクテル」
「ジャパニーズ・カクテル」(How to Mix Drinks or The Bon Vivant's Companion 1862 復刻版 NEW DAY PUBLISHING より)
「ジャパニーズ・カクテル」
「ジャパニーズ・カクテル」(How to Mix Drinks or The Bon Vivant’s Companion 1862 復刻版 NEW DAY PUBLISHING より)

海外では飲まれるが、日本ではほとんど知られていないカクテルがある。その名も「ジャパニーズ・カクテル」別名「ミカド」。実はこのカクテルこそは、国名がカクテル名になった最初の例でもある。

日本人が知らない「ジャパニーズ・カクテル」

 読者の方々は、日本にまつわるカクテルというと、何を思い浮かべるだろうか。戦前ならば「ヨコハマ」「ミリオンダラー」「バンブー」、拙稿でも第22回でJBA版を取り上げた「マウント・フジ」が挙げられるし、戦後は「雪国」や「青い珊瑚礁」「カミカゼ」あたりを思い出すことだろう。

 戦前のものについては後日機会を改めて詳述したいが、今回は海外で多くのカクテルブックに掲載されながら、国内ではほとんど顧みられることのない「日本由来の、あるカクテル」について書くことにする。

 そのカクテルは名前を「ジャパニーズ・カクテル」、別名を「ミカド」と言う。試みに巷のカクテルブックかネットを当たっていただければわかるが、このカクテルの由来は国内ではほとんど知られていない。バーテンダーの方に尋ねても「ミカドという名前が戦前日本では避けられていたのではないか」という感想が出てくるくらいだろうか。

 いささか心もとない話だが、この事情は平成に限ったことではなく、戦前のバーテンダーも「なぜ、このカクテルが『ジャパニーズ』なのか」を知らなかった。明治40(1907)年に日本語で書かれたカクテル関連の資料にもレシピが掲載されているだけだし、あれほどマンハッタンやマティーニを詳しく解説していた昭和11年の「大日本基準コクテール」ブックでも事情は変わらない。ところが、調べていくうちに、筆者はこのカクテルのただならない誕生エピソードを知って驚愕することとなる。

最も古い国名付きのカクテル

 戦前から、カクテル名に国の名前を使うのは、別に珍しいことではなかった。チャイニーズ・カクテルやインカ・カクテル、キューバン、スイスにカナディアン。時代が昭和に入ってから出版されたサヴォイのカクテルブックをパラパラとめくっただけで、すぐにそのくらいは出てくる。

 それでは、カクテルの名前に世界でいちばん早く国名が使われた国は、どこだろう。それが、我が国であり、カクテルの名が「ジャパニーズ・カクテル」だったと言えば、多くの読者は驚かれるに違いない。

 まずは読者のために「『ジャパニーズ』が最も古い、国名付きのカクテル」であることを証明しなければならない。これは「マウント・フジ」の稿を読んでくださった読者には、大変な作業になると心配されそうだが、実はたった1行で説明できる。それは「世界初のカクテルブックにその名前が記載されているから」だ。

 本稿でしばしば出てくるJ.トーマスが出したカクテルブック「The Bartender’s Guide / How to Mix Drinks / THE Bon Vivant’s Companion」の1862年版(同書は1876年、1887年に改訂再版されている) に、実はカクテル――少なくともカクテルと銘打たれて記載されて調合法を説明したミキシング飲料――は、わずか10種類しか紹介されていない。ジュレップ、パンチ、シュラブ、クラスタとさまざまに名づけられた後世ならばカクテルのカテゴリーに入るものは多いのだが、正真正銘のカクテルとして記載されているのは数少なく、そのたった10種類のカクテルの一つが「ジャパニーズ」なのだ。

ヨーロッパの日本ブーム以前の発祥

 前のシリーズで、開国間もない日本ではヨーロッパ、つまり天竺(インド)の向こうは魑魅魍魎の棲む、お化け屋敷のような世界だという認識が一般的だったと書いたが、地球の裏側でも事情はまったく同じで、向こう側から見て中東の東、つまりタイや中国より先は十把ひとからげに全部「インド」だというのが一般的な認識だった。

 我々が「ヨーロッパの日本文化への熱狂」ですぐに連想する、ロートレックやモネが浮世絵の手法を駆使したジャポニスムのブームが来るのは、J.トーマスがカクテルブックを世に出した1862年から10年近く後のことであり、1862年の時点ではまだジャポネズリー(日本に対する好奇心)が始まったばかりである。日本(江戸幕府・薩摩藩・佐賀藩)が初めて世界に向けて自国の文化を発信したのが慶応3(1867)年のパリ万博だから、ここに「ジャパニーズ・カクテル」の名前の由来を見つけることはできない。

 それどころか、J.トーマスが自著にジャパニーズ・カクテルを記載した1862(文久2)年は日本の世論は大きく攘夷に傾いており、その火に油を注ぐように生麦事件も起こっている。翌年にはイギリスに同事件の責任を追及された薩摩藩が鹿児島湾でイギリス艦隊を砲撃して薩英戦争が勃発しており、万博どころの騒ぎではなかった。

 つまり、世界初のカクテルブックに「ジャパニーズ・カクテル」が掲載された段階では、日本は「夷狄(いてき)撃つべし」の状態であり、西洋は西洋で政治家や一部の美術愛好家などを除けば日本がアジアのどこにある国なのかさえ認知されていない状態だったのである。

 そんな19世紀半ばに、どうしてセポイの乱で有名になったインドでも、カクテル発祥のアメリカの近隣諸国でもなく、中世から激しくキリスト教社会とやりあっていた中東の国々でさえなく、開国から10年も経ていない「日本(ジャパニーズ)」がカクテルの名前として選ばれたのだろう。

石倉一雄
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Absinthe 研究/洋酒ライター いしくら・かずお 1961年北海道生まれ。周囲の誰も興味を持たないものを丹念に調べる楽しさに魅入られ、学生時代はロシアの文物にのめり込む。その後、幻に包まれた戦前の洋酒文化の調査に没頭し、大正、明治、さらに江戸時代と史料をあたり、行動は図書館にバーにと神出鬼没。これまでにダイナースクラブ会員誌「Signature」、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)に誰も知らない洋酒の話を連載。研究は幻の酒アブサン(Absinthe)にも及び、「日経MJ」に寄稿したほか、J-WAVE、FM静岡にも出演。こよなく愛する酒は「Moskovskaya」。