I モダン・ガールは何を飲んでいたのか(1)

日本に洋酒文化が定着していったプロセスを追っていく。最初に、その手がかりとして大正期から現れたモダン・ガールたちにスポットを当てる。彼女たちはどんな人たちで、どんな洋酒をどのように楽しんでいたのか。ところがこの調べものが、一筋縄ではいかないのだ。

戦前にカクテルはなかったのか

 話は今から10年以上前。閉店間際で夜が白み始めた明け方の洋酒肆(バー)で、ある曲のフレーズが脳裏に浮かんだことに始まる。

 曲の題名を「東京行進曲」という。「昔恋しい銀座の柳」から始まるこの歌は昭和4年に大流行し、「ジャズで踊ってリキュ(ー)ルで更けて」と続く。

 試みに本屋に行ってカクテルブックを手に取ると、「鹿鳴館時代は飲まれていたようですが」と自信のなさそうな語り口で戦前はいっきに通り過ぎ、「カクテルは戦後進駐軍の頃に広まりました」とされている。

 戦前から大衆は流行歌でリキュールの存在を知っていたのに、本当にカクテルは広まっていなかったのだろうか。

黒雲の中のネオン?

 戦前の日本、わけても大正時代から昭和初期にかけての時代は、実は知られているようで知られていないことが多い。

 兵役で覚えた西洋料理を地元に持ち帰った人々によって洋食が流行し、明治時代に文部省唱歌で西洋音楽の旋律に触れた人々が大正時代に入ると浅草オペラに歓声を上げる。堰を切ったように流れ込んできた西洋文化は、やがて退廃の香りを放ち始める。

 東北の農村を飢餓が襲い、第一次大戦の終了に伴う不景気で日本全体が不況の黒雲に包まれていた一方で、銀座から日本橋界隈に林立したカフェーには派手なネオンの下で女給の嬌声が響き、目抜き通りをモダン・ガールが闊歩していたことも当時の写真が証明している通りだ。戦前の大正から昭和にかけての時代は、調べれば調べるほど混乱してくる。

 ……10年前に初めて戦前洋酒事情の原稿を書いた時の書き出しは、確かこんな感じだったと記憶している。我ながら肩に入った力がいささか気恥ずかしくもあるが、その後のリサーチによってようやく把握できたのは、ここ最近のことになる。

伝わらなかった食“文化”

 作業が困難になったのには理由があった。日本では、飲食物について語ることは戦後長く「口いやしい」ことであり、恥ずかしいこととされていた。豚カツ屋から高級フレンチ、そして本稿のメインテーマである洋酒……たとえばカクテルについてもその例外ではない。

 筆者が東京に来た昭和50年代はその転換期であり、テレビの取材がラーメン屋に来始めた時代だったが、カメラを向けられると行列に並ぶ人たちは持っていた雑誌で顔を隠したり、背を向けたりしていた。「食事をするときくらい黙って食え」とカミナリ親爺に一喝された経験がある方も、40代以上には多いことだろう。

 客に提供する側も事情は同じだった。彼らのプライドは来てくれた客に最高のものを出すことであり、素材や製法を聞かれることをあからさまに嫌った。

 客は舞台裏をのぞいたり、カウンターを超えてくるようなマネはしないでほしい。すべては味で判断してくれ。我々はお客に出すのが仕事で、お客は食べるのが仕事。うまければ来てくれればいいし、まずかったら来なければいい。

少ない文献

 こうして職人たちの技術は弟子への口伝という限定された形で後世に残ったものの、その内容は無機質な技術マニュアルであり、肝心な雰囲気を伝える“生きた”証言は、文学作品にほんの1シーンだけ背景として顔を出す散文的なものに限定された。雑誌や書籍が店のこだわりから腕組みをした店主の横顔に至るまで、やりすぎかと思えるほど懇切丁寧に紹介し始めたのは、平成に入る前後、つい最近始まったばかりの動きに過ぎない。

 時代を遡るにつれてこの傾向は顕著になり、腹一杯に詰め込めることが幸せだった昭和30年代から、食うにも事欠いた20年代、そして大量の貴重な文献が焼失した戦争の、そのまた先にある大正時代まで遡ると、資料の量も内容もさらに先細りしていく。

幻のモダン・ガールを追って

 いささか前置きが長くなった。大量の文献からわずか数行の記載を見つけだす、砂浜に落ちた宝石を探すに等しい作業はこうして始まった。徐々に明らかになってきた戦前の洋酒事情は、驚くほど豊穣であるかと思えば意外なところで現在とは異なる、ある意味で異次元の世界だった。

 本稿では今なお数枚の写真でしか通常は語られることがない、謎に包まれた「モダン・ガール」なる女性たちがそもそも本当に実在したのか、そして実在していたのであれば、どのように銀座の表通りを闊歩し、どんな場所で愛を囁き、どのようなものを口にしていたのかを説明していく。たまたま立ち寄ったバーで話好きの酔客に付き合わされた、そんな気持ちで読んでいただければ……と思う。

 説明の必要上、明治から幕末に話が飛ぶことがある。また、従来洋酒関連文献に出ていなかったような話もしばしば顔を出すことになるが、出典は最低限必要なものに限り、全貌は将来しかるべき時期にまとめて開示することを了承されたい。

(画・藤原カムイ)

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About 石倉一雄 129 Articles
Absinthe 研究/洋酒ライター いしくら・かずお 1961年北海道生まれ。周囲の誰も興味を持たないものを丹念に調べる楽しさに魅入られ、学生時代はロシアの文物にのめり込む。その後、幻に包まれた戦前の洋酒文化の調査に没頭し、大正、明治、さらに江戸時代と史料をあたり、行動は図書館にバーにと神出鬼没。これまでにダイナースクラブ会員誌「Signature」、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)に誰も知らない洋酒の話を連載。研究は幻の酒アブサン(Absinthe)にも及び、「日経MJ」に寄稿したほか、J-WAVE、FM静岡にも出演。こよなく愛する酒は「Moskovskaya」。