「Tokyoインターナショナル・バーショー2013」レポート(2)

ステージ風景
ステージ風景

次に話を聞いたのは、これも最近世界のトレンドになっているマイクロ・ディスティラリーのブームを先取りした感のある、「イチローズ・モルト」で有名なベンチャーウイスキー(埼玉県秩父市)の肥土伊知郎(あくと・いちろう)社長である。

「イチローズ・モルト」のジョーカーはいつ?

肥土伊知郎社長
「イチローズ・モルト」ベンチャーウイスキーの肥土伊知郎社長
ベンチャーウイスキーのブース
ベンチャーウイスキーのブース

 日本のウイスキー・メーカーと言えば、サントリーとニッカ、これに続いてキリンと本坊酒造(鹿児島・「マルスウイスキー」)というのがあらかたの構図だ(メルシャンはキリンに統合され「オーシャン」ブランドはキリンに移った)。しかし、実は笹の川酒造(「チェリー」ほか)や江井ヶ嶋酒造(「あかし」ほか)等、1970年代の“地ウイスキー・ブーム”から続くさまざまなウイスキー・メーカーが存在する。焼酎で有名な宝酒造が「キング」ブランドでウイスキーを造っていた時期があり、「白河」という名前のウイスキーがあったことを知る人も今ではまれになってしまった。

 話を今脚光を浴びているイチロー・ブランドに戻そう。肥土社長は「ゴールデンホース」というウイスキーを醸造していた東亜酒造(埼玉県羽生市)の創業家の生まれで、ベンチャーウイスキーは東亜酒造がキング醸造の傘下に入る際のウイスキー事業撤退で行き場を失った原酒を引き受けてスタートしている。とは言え、蒸溜設備は新たにそろえているから、実際に新しい蒸留所のスタートである。

 筆者がトランプの札をラベルにした「イチローズ・モルト」の存在を知ったのは10年くらい前だろうか。決して安くない値段でもあり、海外偏重ではなく、国産ウイスキーでもいいものは受け入れる、バックバーにそんな主張が感じられるバーであったことを覚えている。その後、さまざまなメディアで取り上げられるようになったが、そのように話題になってからも、筆者自身は地道に頑張る「キング」「ジュピター」「チェリー」「マルス」といった個性溢れる地ウイスキーに比べてとくに思い入れを抱いていたわけではない。

 イチローズ・モルトの評価を再認識したのは、昨年、二十数年ぶりにFacebookという文明の利器で消息を知った大学時代のゼミの同級生からの連絡だった。香港を根拠地に金融界で活躍する彼女は、筆者が洋酒関連の仕事をしていると聞くと「イチローズ・モルト」のトランプシリーズを売っている場所を知らないか、と尋ねてきた。聞けば、香港の人でこのシリーズのコレクターがいて探しているのだいう。

 残念ながら時間がなかったこともあって、彼女が離日するまでに要望に応えられなかったのだが、さらに驚いたのは彼女が香港に戻ってからプレミアム物のウイスキーをそろえる向こうの店に10本残っていたと連絡があったときだった。

 飲料や食品というものは、情報や経験値が少ない人や社会ほどブランドへの志向性を高める傾向がある。数年前の中国のワイン需要が「ロマネ・コンティ」や「シャトー・ムートン・ロートシルト」「シャトー・ラトゥール」等のいわゆる“グランヴァン”に偏り、それを入手するためにはいくらでも出す一方、周囲の畑には見向きもせず、南アフリカやチリのワインには過酷なまでの原価切下げを要求していたなどはその好例だろう。

 そんな中にあって、対外的にもブランド戦略を繰り広げて成功を収めていたサントリーや、海外で数々の賞を獲得しているニッカならともかく、「イチローズ・モルト」を引いている香港の酒販店があったということの意味は小さくない。筆者がイチローズ・モルトの評価を再認識するエピソードだった。

 さて、今年の新年早々、ベンチャーウイスキーはカードシリーズを4本発売したが、あっという間に売り切れており、残すはジョーカーのみとなった。これがいつ頃出るのか、たぶんFoodWatchJapan読者もいちばん気になるであろう話を、会場にいた肥土氏に聞いてみた。

「ジョーカーは期待値が上がっているので、どうしようかと思案中です。正直、いつ頃、いくらぐらいで出すか全く決めていません(笑)。これはカードシリーズ全体に通じるコンセプトなのですが、いろいろな樽の熟成具合を見て「これなら出せる」というものが見つかったらカードシリーズとして販売する、という作り方をしていて、予め期日を定めてそれに向けて……という作り方をそもそもしていないので」というのが彼の回答だった。

 現在、ベンチャーウイスキーの製造は肥土氏を含めて8名で行っている。「立ち上げの頃の苦労話を」という筆者のリクエストには、笑いながら「1時間はかかりますよ」と言っていたが、ベンチャーウイスキーを立ち上げる前にベンリアックや軽井沢の現場で経験していたことが役に立ち、ドラフ(麦汁を取った後の残滓)の処理をどうするかといった思いがけない問題はあったものの、おおむねはスムーズな運び出しだったという。

サントリー、ニッカ、キリンのグレーンに注目

ヘンドリックスのブース
ヘンドリックスの隠れ家バー風のブース

 今回、展示で面白かったのはヘンドリックスのブースだった。一度に4名ずつ中に入れているのに興味を抱いて行列に並んで待って中に入ると、そこは蝋燭の灯る照明を落とした隠れ家のようなバーになっていた。ここで外国人バーテンダーにヘンドリックスを使ったカクテルを1杯ずつ作ってもらうという趣向だ。

 初日は筆者もなんとか入ることができたが、2日目は口コミが広がったようで開場するや30分待ちとなり、午前中には1時間待ちとなった。写真を撮らせてもらったので、あきらめて帰った来場者には写真でその雰囲気を味わっていただきたい。ストロボを焚いて撮影せざるを得ないほど暗い場所で、明るくしてしまうとせっかくの雰囲気が台無しになってしまうのだが、カメラにも限界があるということで風情のない写真であることはご容赦いただきたい。

キリン「富士御殿場蒸溜所謹製シングル・グレーン・ウイスキー」
キリンが再リリースした「富士御殿場蒸溜所謹製シングル・グレーン・ウイスキー」

 出展されたウイスキーで筆者が注目したのはグレーンだった。そう、モルトウイスキーファンの中には“増量剤”扱いする方も少なくない、コーンを主原料として連続式蒸留器で作られる、あのグレーン・ウイスキーだ。

 海外ではいざ知らず、日本では個人がグレーン・ウイスキーを入手するのは、数年前までは至難の業だった。それでも、サントリー、ニッカ、キリンが出していたウイスキーのブレンド用キットに入っていたものはどれもなかなかおいしく、とくにニッカご自慢のカフェ式のグレーンは秀逸だったが、当時も各社がそんなキットを販売していたことを知る人は稀だった。サントリーは一度知多蒸留所のグレーンを製品化したが、これも高価で一部の好事家向けのものだった。

 ところが今回、サントリー、ニッカ、キリンがそろって、グレーン・ウイスキーを比較的に入手しやすい価格と使いやすい分量でラインナップに加えた――サントリー「オリジナル・シングル・グレーン」300ml・3150円・2012年12月6日発売/ニッカ「ニッカ・カフェグレーン」700ml・5000円・2013年6月11日発売予定/キリン「富士御殿場蒸溜所謹製シングル・グレーン・ウイスキー」700ml・5000円・2004年にネットで限定販売したものを再リリース。――ことで、これまで10年間封印していた「ウイスキーの全く別な楽しみ方」の実現が、一般の方にも手に届く距離になってきた。

 筆者がなぜグレーンに注目したかというと、それが自宅やバーでブレンデッド・ウイスキーを作ってみるには必要不可欠な素材だからだ。察しのいい読者ならばお気づきだと思うのだが、これらのグレーンを購入し(できれば2種類以上。実際にブレンデッド・ウイスキーをメーカーが造る場合もグレーンは複数利用されるのが通例だ)、アイラ系のスモーキーな原酒を一種類、それにベーシックな山崎や余市、御殿場、贅沢を言えばティオ・ペペをメルシャンが入れていた強みでシェリー香に特徴がある軽井沢などをそろえれば、モルトはミニチュアでも「自分だけのジャパニーズ・オリジナル・ブレンデッド・ウイスキー」が造れるのだ。

 今から10年と少し前、筆者は青山ダイヤモンドホールで開催された「ウイスキー・ライヴin Japan 2002」においてサントリー、ニッカ、メルシャン、キリンの4社がそれぞれモルトとグレーンを持ち寄り、同じ原酒を4社のブレンダーが使って4種類のブレンデッド・ウイスキーを造るという前代未聞のプロジェクトに参画したことがある。

 このとき、各社にブレンド用のキット(市販品)を送ってもらってわかったのは、グレーンを使うことにはちゃんと意味があるということだった。“生一本”志向が強い日本では、日本酒にまつわる消費者運動に端を発する“原酒信仰”に近いものがあって、モルトウイスキーを「原酒」と呼び、グレーンを増し水扱いする風潮が20世紀の終わりまで続いていた。しかし、論より証拠、ともかくグレーンでモルトウイスキーを割ったものを試してみていただきたい。伸びやかなグレーンを加えることによって、モルトの多くは個性をさらに発揮したり、単体で飲むとクセの強いモルトが他のモルトやグレーンに合わせるとウイスキーの奥行きが広がることを実感として感じていただけるはずだ。

 モルトを多めに使いたいところをグッと我慢して使い過ぎない、つまりグレーン7割:モルト3割の黄金律を基本とすること。酒質を甘めに引っ張るグレーンと、ドライなままあくまで忠実にモルトの引き立て役に徹するグレーンとを使い分けること、スモーキーなモルトはあくまでトップ・ドレッシングとしてごくわずかにとどめること――こういった多少のコツを飲みこんでおけば、出来たブレンデッド・ウイスキーはかなりの確率でウイスキー党の目を細めるような仕上がりになるはずだ。

 単体のグレーンはモルトに比べて評価が低く、ブレンデッドほど一般に認知されていない。3社がリリースしたグレーンも、これまでのことを考えればいつまで市場で手に入るかはわからず、早めの終売という事態も十分考えられるので、読者にはまずどれかを購入して、自宅にあるであろうモルトと合わせて飲んでみることをお奨めしたい。今のうちに購入しておき、自分でブレンドすることの面白さを知ったら何本かストックしておきたくなるだろう。

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About 石倉一雄 129 Articles
Absinthe 研究/洋酒ライター いしくら・かずお 1961年北海道生まれ。周囲の誰も興味を持たないものを丹念に調べる楽しさに魅入られ、学生時代はロシアの文物にのめり込む。その後、幻に包まれた戦前の洋酒文化の調査に没頭し、大正、明治、さらに江戸時代と史料をあたり、行動は図書館にバーにと神出鬼没。これまでにダイナースクラブ会員誌「Signature」、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)に誰も知らない洋酒の話を連載。研究は幻の酒アブサン(Absinthe)にも及び、「日経MJ」に寄稿したほか、J-WAVE、FM静岡にも出演。こよなく愛する酒は「Moskovskaya」。