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農業にも統計的プロセス制御

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「Food Watch Japan」に「『よい農産物』とはどんな農産物か?」を書いてくださった岡本信一さんとは知り合ってかれこれ20年ほどが経ちますが、10年ほど前、岡本さんたちが行ったある研究について意見を求められたことがありました。

 研究は、場所も経営体も異なる複数の畑を対象とした大がかりな調査と解析によるものでした。それらの畑の作物の収量の多い少ないに影響を与える因子を求めるというものです。調査では、それぞれの畑の収量と、畑の土の種類、施肥の内容、天候など、一般に収量に影響があると考えられているあらゆる数字を集め、多変量解析を行ったのでした。

 その結果は、岡本さんもある程度予測していたものながら、あまりにもはっきりとした結果が出たため、彼も少々戸惑っている様子でした。戸惑っているというのは結果に自信がないのではなく、既存の農業技術の理論や指導内容からあまりにもかけ離れた話になるので、これが人々にどう受け取られるものかが心配されたということです。それで、ちょっと試しに私の意見を聴いてみようということで、声をかけてくれたのでした。

 その結果というのは、作物の収量に有意に影響を与えている(偶然ではない影響を与えている)主たる因子は、土壌の硬度、つまり土がいかに軟らかい状態であるかであるということと、これに比べれば他の因子とくに土壌の化学性(土に化学的にどのような成分がどのように存在するかなど)は収量の多い少ないに対してほとんど無視できるほど寄与していないということでした。

 なるほど、そう言われたとしたら、多くの農家と、それにもまして農業技術の研究者や農協をはじめとする肥料商などからの反発がありそうです。しかし、岡本さんが説明してくれたサンプルの取り方や解析の手法は妥当と思えるものでした。

 それを聞いた私は文学部出身のいわゆる“文系”ですが、実は統計学には浅からぬ縁があります。各種の多変量解析は今では文学研究の人気の手法の一つなのです(文章表現の傾向を統計的に調べて資料評価を行うなど)。そして、私は出版社に勤める前にマーケティングリサーチの会社で統計調査に明け暮れていた経験があります。

 また、日経BP社から子会社に出向して日本に流通する1000のブランドに偏差値を付けるというプロジェクト「ブランド・ジャパン」(日経BPコンサルティング)の開発を行った際には、3年間朝から晩まで多変量解析の世界にどっぷり漬かりました。

 ですから、岡本さんが説明してくれた研究が何をどうしたものであるのか、その意味を知り、手法を評価する手掛かりは持っていたのです。

 なにしろ、この研究を岡本さんといっしょに行っていた人は、長年電機メーカーで品質管理・生産管理を見てきた人です。戦後の日本の製造業の品質管理は、統計的プロセス制御の世界です。その専門家が監修・指導した調査ですから、そもそも私などが意見を申すまでもない、むしろおこがましいというものです。

 統計的プロセス制御というのは、かつて製造業で行われてきた完成品の検品によって規格外品を取り除いて品質を維持しようとする旧来のアプローチとは違って、製造工程を管理することで不良を減らす、そのために統計学を用いるというものです。

 食品産業で今日行われているHACCP(Hazard Analysis and Critical Control Point/ハザード分析に基づく必須管理点)も、統計的プロセス制御の一つと言っていいでしょう。

 日本の産業界に統計的プロセス制御と全社的に行う品質管理すなわちTQC=Total Quality Controlというものを教えてくれたのは、W・エドワーズ・デミングというアメリカ人で、TQCに功績のあった団体や個人を表彰するデミング賞にその名を残してます。

 デミングは戦時中すでにアメリカで統計的プロセス制御に基づく生産性向上に携わっていました。これはアメリカに第二次世界大戦の勝利をもたらした知恵の一つですが、戦後、国勢調査の設計のために来日したデミングがこれを日本の工業界に伝えたのでした。それが日本で花開くこととなり、自動車や電機などの工業を目覚ましく発達させました。そして、アメリかは日本の後でこれを見直し、学び直したのでした。

 戦後の日本の高度成長はこれによって実現されたと言っても過言ではありません。また、かつて諸外国では粗悪品の代名詞だった「Made in Japan」が、昨今の日本人の自慢のタネである「日本のものづくり」に生まれ変われたのも、私たちの諸先輩方がTQCに真剣に取り組んだからに違いありません。

 そのような背景があるので、岡本さんからその研究をうかがって、日本の農業にもついにTQCの考え方が紹介され、普及していく、つまり「農業もまた『日本のものづくり』の一つである」と言って恥ずかしくない時代がやっと来るのだとわくわくしたものです。

 岡本さんらはその後もこの研究を進め、土壌硬度と収量の相関にどのようなメカニズムがあるのか、また土壌硬度を良好にするためにどのような方法があるのかなどを調べ、統計的事実から実用技術の体系作りへと向かい、実績も上げています。

 この研究はある企業のための研究から始まっていた事情もあり、私が説明をうかがった当時は秘密でした。しかしその後、岡本さんは雑誌「農業経営者」(農業技術通信社)の「科学する農業」という連載と、岡本さんのブログで、このことをかなり詳しく説明しています。そして、今年はついに、岡本さんの研究に大きな可能性を感じた人たちによって「農業者の農業者による農業技術の研究開発」を行うグループ、「農業を科学する研究会」が発足しました。

 岡本信一さんと「農業を科学する研究会」の活動に注目しています。

※「『よい農産物』とはどんな農産物か?」(Food Watch Japan)
http://www.foodwatch.jp/primary_inds/whatisgood
※「科学する農業」(「農業経営者」農業技術通信社)
http://bit.ly/1MlEvnt
※「あなたも農業コンサルタントになれる/わけではない」(岡本信一氏ブログ)
http://ameblo.jp/nougyoukonnsaru/
※「農業を科学する研究会」
http://www.pasisat.com/

※このコラムはメールマガジンで公開したものです。

執筆者

齋藤訓之
齋藤訓之
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。「FoodScience」(日経BP社)では「食の損得感情」を連載。公益財団法人流通経済研究所客員研究員。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。日本フードサービス学会会員。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ → ※齋藤訓之のブログ →