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「お父さんと伊藤さん」の柿ととんかつのソース

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食欲の秋もたけなわ。今回は現在公開中の「お父さんと伊藤さん」を、劇中に登場する秋の味覚と共に紹介する。

 本作は、第8回小説現代長編新人賞を受賞した中澤日菜子の小説が原作。34歳の書店店員・彩(上野樹里)が54歳の“給食のおじさん”伊藤さん(リリー・フランキー)と暮らす東京都郊外のアパートに、黒いボストンバッグと謎の段ボール箱を抱えた74歳のお父さん(藤竜也)が転がりこんできたことから始まる20歳ずつ歳の離れた3世代の共同生活を描いたドラマである。

柿は買って食うな

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 彩と伊藤さんはコンビニのバイトの同僚として知り合い、歳の差はあるものの何となくウマが合っていつの間にか同棲するようになった。何となくウマが合ったのは豊かさより束縛の少ない自由な生活を愛する価値観が共通していたのだろう。

 それに対し元小学校教師のお父さんは典型的な頑固親父で、同居していた彩の兄・潔(長谷川朝晴)の家を出たのは、嫁の理々子(安藤聖)が舅の口うるささにノイローゼ気味になってしまったからだった。

 そんな彼に彩たちのライフスタイルが理解できるはずもなく、ことごとく対立する父娘と、それをとりなす中間世代で第三者の伊藤さんという構図がコミカルな味わいとなっている。

 お父さんの意固地さは食べ物に対しても表れる。居候の身でありながら夕食にざるそばを所望し、食べ終わると「つゆが甘すぎだ」。食後に柿を出そうとすると「柿なぞ買って食べるものではない」。では食べたくなったらどうすればいいんですかと伊藤さんが尋ねると、「そこらへんでもいでこい」。どうやら子供の時に育った家に柿の木があって秋になると好きなだけ食べられた原体験があるらしく、彩などは耳タコ状態でうんざりしているのだが、この言葉が後半に伏線となって生きてくる。

中濃ソースは悪魔のソース?

 この他にも目玉焼きにウインナーと野菜炒めの朝食を作ってやると「朝からこんなこってりしたものでいいのかな」(このお父さんは成長した実の娘にも小学校の生徒に対するような口をきく)。夕食のおかずのとんかつを用意していると「俺を殺すつもりか」とうるさいことこの上ないのだが、そのとんかつが並んだ食卓で彼は謎の一言を放つ。

「中濃ソースは悪魔のソース、文明人ならウースター」。

 ウスターソースをウースターと呼んで娘に訂正されてしまうのがこの人らしいが、伊藤さんが彼のトンカツに中濃ソースをかけてあげようとして出たこの言葉は、歳相応にさっぱりしたものが好きということなのか。真意を測りかねたのでちょっと調べてみた。

とんかつといえば濃厚ソースが定番だが、お父さんは頑固一徹のウスターソース派だ。

とんかつといえば濃厚ソースが定番だが、お父さんは頑固一徹のウスターソース派だ。

 ソース類のうち日本で最も普及しているブラウン系のソース(野菜・果実類に糖類、食酢、食塩等の調味料類、それに香辛料を加えて調製した茶色または茶黒色の液体調味料)は、JAS(日本農林規格)の分類上ではウスターソース類と呼ばれる。ウスターソースの語源はイギリスのウスターシャー州の州都ウスター市で初めて作られたことからきていて(日本語表記としてはウースターでも間違いではない)、粘度によってウスターソース、中濃ソース、濃厚ソース(とんかつソース)に大別される(表)。粘度の差は野菜や果実のパルプ質(不溶性固形分)の含量によるもので、粘度の高いものほど甘味が強い。

 中濃ソースはウスターソースと濃厚ソースの中間に位置するもので、悪魔と罵られるほど健康に害があるとは思えないのだが、ひょっとするとこれは奇妙な3世代同居をとんかつのソースに例えたお父さん流の皮肉なのか。そんな深読みが頭をもたげたシーンであった。

謎の段ボール箱の中身

 その後、ある事件によって彩たちの前から姿を消したお父さんの行方を、伊藤さんが意外な能力を発揮して見つけ出すのだが、その場所はお父さんが少年時代を過ごした里山の空き家で、庭には立派な柿の木が今ではもがれることのない実をならせ続けていた。しかしその柿の木には過酷な運命が待ち構えていた。そしてその運命と時を同じくしてお父さんがどこに行くにも決して手放すことのなかった謎の段ボール箱の中身が明らかになるのだが、食に関連したその“あるもの”がきらめきを放つ瞬間は、映画を御覧になってご確認いただきたい。

タナダユキ監督のこと

 本作を監督したタナダユキは1975年生まれ、福岡県出身。2001年、監督・脚本・主演を務めたデビュー作「モル」で第23回PFF(ぴあフィルムフェスティバル)アワードグランプリとブリリアント賞をW受賞し、2008年の「百万円と苦虫女」では第42回日本監督協会新人賞を受賞。「あん」(本連載第102回参照)の河瀬直美、「ゆれる」の西川美和、「かもめ食堂」(本連載第22回参照)の荻上直子らと並び日本映画を牽引する女性監督の一人である。脚本の黒沢久子とは伊吹有喜の小説を原作とした「四十九日のレシピ」(2013)以来のコンビとなる。この作品も、“出戻り”の娘が亡くなった継母が遺したレシピを再現していくという食との関連の深いドラマであった。

 本作は「とんかつ和幸」(和幸商事)とイカリソースとタイアップしていて、パンフレットには監督直筆のイラスト付きで“美味しいとんかつの作り方”が載っている。劇中で3人がウスターや中濃等好き好きのソースをかけて食べるとんかつをおいしそうだと思われた方は是非お手にとって御覧いただきたい。

【参考文献】

日本ソース工業会 参与 岡部勝雄「ソースについて」独立行政法人農畜産業振興機構
https://sugar.alic.go.jp/japan/view/jv_9906b.htm

【お父さんと伊藤さん】

公式サイト
http://father-mrito-movie.com/
作品基本データ
ジャンル:ドラマ
製作国:日本
製作年:2016年
公開年月日:2016年10月8日
上映時間:119分
製作会社:『お父さんと伊藤さん』製作委員会(企画・製作 ファントム・フィルム/制作プロダクション ステアウェイ=オフィスアッシュ)
配給:ファントム・フィルム
スタッフ
監督:タナダユキ
脚本:黒沢久子
原作:中澤日菜子:(『お父さんと伊藤さん』(講談社刊))
エグゼクティブプロデューサー:小西啓介
プロデューサー:木村俊樹
撮影:大塚亮
美術:仲前智治
装飾:須坂文昭
音楽:世武裕子
エンディングテーマ:ユニコーン:(「マイホーム」(Ki/oon Music / Sony Music Labels Inc.))
録音:藤丸和徳
照明:宗賢次郎
編集:村上雅樹
衣裳:宮本茉莉
ヘアメイク:岩本みちる
キャスティングディレクター:杉野剛
ラインプロデューサー:半田健
制作担当:伊達真人
助監督:松倉大夏
キャスト
山中彩:上野樹里
伊藤康昭:リリー・フランキー
山中潔:長谷川朝晴
山中理々子:安藤聖
小枝子:渡辺えり
お父さん:藤竜也

(参考文献:KINENOTE)

執筆者

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。