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戦火と農業――「みかんの丘」と「とうもろこしの島」

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2015年4月、日本でこれまでグルジアと呼ばれていた国の外名(※)は法改正によってジョージアに改められた。このジョージアを舞台にした映画が現在2本同時公開されている。アブハジア紛争や南オセチア紛争等で戦火の絶えないこの国での農業を描いた「みかんの丘」と「とうもろこしの島」がそれである。

※外名:日本の外名はJapanなど。

民族問題の“マトリョーシカ構造”

図1 ジョージアとアブハジアの位置関係

図1 ジョージアとアブハジアの位置関係

 まずこの2作を理解する一助として時代背景としてのアブハジア紛争について述べておく(図1)。1980年代後半から1990年代前半にかけてのソ連のゴルバチョフ政権によるペレストロイカ(改革)、東西冷戦の終結からソ連崩壊に至る流れの中で連邦を構成する各共和国で独立の気運が高まりジョージアも1991年に独立した。

 ジョージアは黒海の東北岸に位置しジョージア人が多く住むアブハジアも領土にしようとしたが、この地域で独自の歴史と文化を持つアブハズ人はジョージアの一部になることを望まず、1992年にアブハジア独立を宣言(日本は未承認)、民族同士の軍事衝突に発展した。これは民族問題の“マトリョーシカ構造”(大きな集団から小さな集団が独立すると、その小さな集団の地域からさらに別のより小さな集団が独立しようとする動き)の典型的な例である。

 戦況は当初は数に勝るジョージアが優勢だったが、アブハジア人と同系の北コーカサス民族のチェチェン等から義勇軍が参戦したこともあって形勢は逆転、双方が非人道的な“民族浄化”の残虐行為を行い、多くの犠牲者と難民を出した。1994年に停戦合意が成立したが、今日に至るまで緊張状態が続いている。大相撲で史上初のヨーロッパ出身の関取となった黒海は、少年時代にアブハジア紛争でに難民になった一人である。

「みかんの丘」のマンダリン

図2 ジョージアとエストニアの位置関係

図2 ジョージアとエストニアの位置関係

「みかんの丘」はこのアブハジア紛争のさなかに戦乱の地でみかんを栽培するエストニア人の農園が舞台である。エストニアは北欧のバルト3国の一つ(図2)で、19世紀後半の帝政ロシア時代に多くのエストニア人がアブハジアに移住し、開墾して集落を築いた歴史を持つ。

 紛争が始まるとそのほとんどが祖国に帰り、この村ではみかんの収穫を控えた農場主のマルガス(エルモ・ニュガネン)とみかんの木箱を作るイヴォ(レムビット・ウルフサク)の2人を残すのみとなっていた。広い農園の収穫はマルガスとイヴォだけでは無理で、アブハジアの民兵たちに手伝いを依頼していたが、指定した日に彼らは来てくれず、2人が途方に暮れていたところに銃声が響く。

 このジョージアとアブハジアのゲリラ同士の戦闘は双方に多数の死傷者を出した。イヴォとマルガスは生き残った2人の負傷兵を介抱するが、一人はアブハジアを支援するチェチェン人の傭兵アフメド(ギオルギ・ナカシゼ)、もう一人はジョージア兵のニコ(ミヘイル・メスヒ)で、お互いに重症を負っているのに隙あれば相手を殺そうとするほど憎み合っていた。

たわわに実ったみかん(マンダリン)

たわわに実ったみかん(マンダリン)

 エストニア人のイヴォはジョージアとアブハジアのどちらにも与しない立場で、自分の家の中では殺しは許さないと宣言し、2人は命を助けてもらった恩からそれに従う。イヴォが食卓で2人に振る舞うシチューやパンといった手料理が、この緊張状態を緩和する役割を果たすのは見逃せないところである。そして容態が快方に向かった2人が戦闘以来初めて外に出てバーベキューを囲む場面では、2人は殺しあうどころか穏やかに話ができるまでになっていて、食べ物の力を改めて思い知らされる。

 しかし、そんな平和な時は長くは続かなかった。マルガスが別の民兵に助っ人を頼んでいたみかん収穫の日に悲劇が訪れ、イヴォがエストニアへの帰国を拒んでいた真の理由も明かされる。重いテーマを背負った作品である。

 アブハジアの名産品であるみかん(マンダリン)は、日本の温州みかんとはその大きさと果皮が薄くて手で剥いて食べられるという特徴が似ている。それもそのはずで、ソ連時代に日本人の学者が中心になって西ジョージアの黒海沿岸の地域に苗を植え拡げていった経緯があるという。また、撮影はオールロケ(スタジオを使わずロケーションのみ)で行われたが、いまだに緊張の続くアブハジアでの撮影は難しく、同じ黒海沿岸にあるグリア地方の広大な敷地にみかんの木を植えて撮影したとのことである。

「とうもろこしの島」の中洲農業

中洲のとうもろこし畑を耕す老人と孫娘

中洲のとうもろこし畑を耕す老人と孫娘

 一方の「とうもろこしの島」は、紛争中のアブハジアとジョージアの境界を流れるエングリ川(図1)の中洲でとうもろこしを作る農民の営みを、セリフを極力排して動きを主体に描いた作品である。同様の試みとしては瀬戸内海の離島での農業を描いた新藤兼人監督の「裸の島」(1960)が挙げられるが、それに匹敵する作品となっている。

 エングリ川は毎年コーカサス山脈からの雪解け水が流れ込み洪水を起こす。その際に前にあった中洲は流され、新しい中洲が毎年出現する。この中洲の土はコーカサス山脈の森林の肥沃な土がエングリ川の流れによって持ち込まれ、毎年更新されるため連作障害の心配もない“奇跡の土”であり、肥料も農薬もいらない(と言うか、ない)理想的な有機農業が実現でき、川岸の農家にとってこの中洲の利用は昔からの風習になっていた。

 この物語の主人公である老人(イリアス・サルマン)と孫娘(マリアム・ブツリシヴィリ)も新たに出現した中洲に小舟で渡って掘立小屋を建て、そこで寝起きしながらとうもろこしを育てようとしていた。娘は紛争で両親を亡くし祖父が唯一の身寄りであった。エングリ川の両岸にはアブハジアとジョージアの勢力が対峙し、兵隊たちは年頃の娘に好奇の目を注ぐが、祖父は彼女を守りながら表土を鍬で耕し、とうもろこしの種を播き、水をやり、雑草をとるといった作業を黙々とこなしていた。

 中洲での唯一のたんぱく源は仕掛け網にかかる鮒のような川魚である。はらわたを取り天日干しにして保存食にするのは孫娘の仕事だ。とうもろこしは順調に生育し、丈を伸ばしていくが、遠くから聞こえる銃声も日増しに多くなっていった。

 そんなある日、彼らはとうもろこし畑の中に一人のジョージア兵の青年(イラクリ・サムシア)が傷を負って倒れているのを発見する。老人は青年を小屋に匿い介抱するが、アブハジア軍が捜索に現れると青年はどこかに去っていった。この辺は設定は違うが「ミツバチのささやき」(本連載第33回参照)を彷彿とさせるエピソードである。

 そして、収穫を目前に控えた秋に事件が起こる……。

 監督のギオルギ・オヴァシヴィリはアブハジア紛争で自ら難民になった体験を本作に反映させている。エングリ川には現在は上流にダムが出来て水量が管理されるようになり、洪水で中洲ができるようなことがなくなったため、撮影はエングリ川に見立てた大きな貯水池に人工島を作り、現在では珍しい35㎜フィルムで行われた。撮影シーンに合わせて何度もとうもろこしを植え替え、ラストのスペクタクルシーンもCGを使わないといった昔ながらの手作り感覚にあふれた作品である。

※参考文献:「みかんの丘/とうもろこしの島」パンフレット


【みかんの丘】

公式サイト
http://www.mikan-toumorokoshi.info/
作品基本データ
原題:Mandariinid(Tangerines)
製作国:エストニア、ジョージア
製作年:2013
公開年月日:2016/9/17
上映時間:87分
製作会社:Allfilm, Georgian Film
配給:ハーク
カラー/サイズ:カラー/シネマ・スコープ(1:2.35)
スタッフ
監督・脚本:ザザ・ウルシャゼ
プロデューサー:イヴォ・フェルト、ザザ・ウルシャゼ
撮影:レイン・コトヴ
美術:ティー・テリア
音楽:ニアズ・ディアサミゼ
編集:アレクサンドル・クラノフ
衣装:シモン・マチャベリ
キャスト
イヴォ:レムビット・ウルフサク
マルガス:エルモ・ニュガネン
アフメド:ギオルギ・ナカシゼ
ニコ:ミヘイル・メスヒ

【とうもろこしの島】

公式サイト
http://www.mikan-toumorokoshi.info/
作品基本データ
原題:SIMINDIS KUNDZULI(CORN ISLAND)
製作国:グルジア、チェコ、フランス、ドイツ、カザフスタン、ハンガリー
製作年:2014
公開年月日:2016/9/17
上映時間:101分
配給:ハーク
カラー/サイズ:カラー/シネマ・スコープ(1:2.35)
スタッフ
監督:ギオルギ・オヴァシヴィリ
脚本:ギオルギ・オヴァシヴィリ、ヌグザル・シャタイゼ、ルロフ・ジャン・ミネボー
プロデューサー:ニノ・テヴダリアニ、エイケ・ゴレチカ、ギヨーム・ドゥ・セイユ、カーラ・ストヤコヴァ、ギオルギ・オヴァシヴィリ
撮影監督:エレメル・ラガリ
美術:アリアンサイチャン・ダワーチュ
音楽:ヨセブ・バルダナシュヴィリ
編集:キム・スンミン
キャスト
老人:イリアス・サルマン
孫娘:マリアム・ブツリシヴィリ
ジョージア兵:イラクリ・サムシア
アブハジア士官:タマル・レヴェント

(参考文献:KINENOTE)

執筆者

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。