「カンパイ!世界が恋する日本酒」の“SAKE”

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現在公開中の「カンパイ!世界が恋する日本酒」は、日本酒を巡る新しい波と“SAKE”に魅入られた人々を描いたドキュメンタリーである。

 世界に普及した寿司=“SUSHI”と並び、日本酒=“SAKE”も輸出量、輸出金額が5年連続で過去最高を更新する等、世界的な日本酒ブームが到来している(※1)。

 そうした中、ロサンゼルス在住の映画ジャーナリストである小西未来監督がクラウドファンディング(不特定多数の人々によるインターネットを通じた資金協力)で資金を集めて製作したのが「カンパイ!世界が恋する日本酒」である。

 日本酒を取り上げたドキュメンタリーとしては「一献の系譜」(2015)が記憶に新しい。この作品は石川県能登半島の「能登杜氏」たちの酒造りへのこだわりと、古い世代から新しい世代への伝承をテーマに、能登という地域に集中して描いたものだった。

 これに対し本作は、日本酒業界の現在を日本、イギリス、アメリカの3人のキーパーソンを通して、日本から海外へという開かれた視点で描いている。

外国人初の杜氏

フィリップ・ハーパーが杜氏を勤める木下酒造の定番商品「玉川 自然仕込 純米酒(山廃)」。彼が開発した「自然仕込」シリーズの第1号である。
フィリップ・ハーパーが杜氏を勤める木下酒造の定番商品「玉川 自然仕込 純米酒(山廃)」。彼が開発した「自然仕込」シリーズの第1号である。

 キーパーソンの1人目は京都府久美浜の酒蔵、木下酒造で杜氏(酒造り職人集団の責任者)を務めるフィリップ・ハーパー。

 彼は1966年にイギリス最南西部の半島コーンウォールに生まれ、名門オックスフォード大学を卒業後、日本の文部科学省の外国語青年招致事業(JETプログラム)に応募し、1988年に英語教師として来日する。その滞在中に日本酒の魅力に目覚め、2年の任期終了後に奈良県の酒造メーカー、梅乃宿酒造で蔵人(杜氏の下で酒造に従事する職人)として10年間の修業を積んだ。

 朝5時から夜遅くまで続く作業に耐えられたのは故郷での農業体験があったからだという。その甲斐あって2001年には南部杜氏の資格試験に合格し、大阪の大門酒造を経て、木下酒造で杜氏として迎えられた。日本の酒蔵で外国人が杜氏を務めるのはこれが初めてのことだった。

江戸時代の製法で作られた超甘口の「玉川Time Machine」。江戸時代の酒蔵の風景を描いた「1712」(右)のラベルには顔が玉川ロゴのロボットが蔵人として紛れ込み、「88」(左)ではそのロボットたちが未来の宇宙に移動し惑星で酒を仕込んでいる。
江戸時代の製法で作られた超甘口の「玉川Time Machine」。江戸時代の酒蔵の風景を描いた「1712」(右)のラベルには顔が玉川ロゴのロボットが蔵人として紛れ込み、「88」(左)ではそのロボットたちが未来の宇宙に移動し惑星で酒を仕込んでいる。

 海外で日本酒が注目される一方で国内での消費は長期低迷に陥っており、廃業する酒蔵も多い中(※2)、ハーパーの起用は賭けであったと木下酒造の社長、木下善人は当時を振り返る。彼はその期待に応え、生酛(きもと。天然の乳酸菌を取り込んで酵母を育てる酒母作りの伝統的製法)や山廃(やまはい。生酛の製法から山おろしという米と麹と水を混ぜてすりつぶす工程を省いたもの)といった製造技法を導入し、新ブランドの酒を次々と開発。初年度にして全国新酒鑑評会で金賞を受賞する。

 酵母無添加の生酛から生まれた酸とアミノ酸が豊富な純米酒で木下酒造の新たな定番となった「玉川自然 仕込 純米酒(山廃)」や、江戸時代の製法で作った超甘口でアイスクリームから鯖の糠漬け「へしこ」までに合うという不思議な酒「玉川Time Machine1712/88」等はヒット商品となり新たな顧客を獲得している。

木下酒造有限会社
http://www.sake-tamagawa.com

日本酒の伝導師

「日本人も知らない日本酒の話」(ジョン ゴントナー著、鴇沢麻由子訳)

 2人目は英語で日本酒を語れる唯一のジャーナリスト、ジョン・ゴントナー。

 彼は1962年にアメリカのオハイオ州で生まれ、奇しくもハーパーと同じ1988年にJETプログラムで英語教師として来日した。来日翌年の元旦に同僚教師の家で味わった酒がきっかけで日本酒の魅力に取り憑かれた彼は、花見の酒宴で同席したジャパンタイムズの記者の勧めで同紙に日本酒に関するコラムの連載を開始。この連載と「The Sake Handbook」(Charles Tuttle)、「Sake, Pure & Simple」(Stonebridge Press)、「The Sake Companion」(Running Press)、「Sake Confidential」(Stonebridge Press)といった日本酒に関する数々の著書によっていつしか“日本酒の伝導師”と呼ばれるようになる。

 執筆活動の他にも、講演やセミナー、日本酒や日本食に関するアワードの審査員を務めたり、日本酒の海外輸出や、英語で日本酒を教える「酒プロフェッショナルコース」を国内外で開催したりと日本酒の魅力を世界に伝える功労者である。

 彼が妻の協力を得て日本語で書いた著書に「日本人も知らない日本酒の話」(小学館)、「日本酒がうまい大人の居酒屋東京編」(戎光祥出版)がある。「日本人も知らない日本酒の話」では、ジャパンタイムズの記事でハーパーが梅乃宿酒造で蔵人として働いていることを知ったゴントナーが、彼に手紙を書いて奈良に行った話や、後述する南部美人の酒蔵を訪問したエピソードも収められ、“日本酒オタク”たちのネットワークの広がりを伝えている。

世界と地元を見つめた若き蔵元

日本航空のファーストクラスで機内酒にも採用されたこともある南部美人の最高峰「純米大吟醸」。久慈浩介が初めて手がけた「大吟醸」は現在ニューヨークの一流レストランで提供されている。
日本航空のファーストクラスで機内酒にも採用されたこともある南部美人の最高峰「純米大吟醸」。久慈浩介が初めて手がけた「大吟醸」は現在ニューヨークの一流レストランで提供されている。

 3人目は岩手二戸市の酒蔵「南部美人」の蔵元5代目当主、久慈浩介。彼は1972年に生まれて以来付いて回っていた「南部美人の倅」というレッテルを嫌っていたが、高校時代にアメリカに留学した際にホームステイ先で家業の商品の素晴らしさを逆に教えられ、東京農業大学醸造学科に進学し、酒造りを学ぶ。

 卒業後は東京の卸売店に勤務し、酒の流通を学んだ後に帰郷。蔵元の父、浩(現会長)のもとで事業部長として家業の酒造りの改革に取り組む。

 地元に戻って2年目に初めて仕込みを任された「大吟醸」が全国新酒鑑評会で金賞を受賞。その後も麹で作ったノンシュガーの梅酒を開発したり、ユダヤ教の食餌規定を満たすコーシャ(Kosher)の認証を獲得したりと新たな発想で酒造りに取り組んでいる。

 2013年に代表取締役となった現在も冬は蔵にこもって酒造りに励む一方、オフシーズンの春夏は国内のみならず世界中を飛び回りながらさまざまな仕掛けで日本酒の魅力を伝える営業マンでもある。また2011年3月11日の東日本大震災では彼の酒蔵も被害を受けたが、自粛ムードが全国に広まる中、YouTube(被災地岩手から「お花見」のお願い②【南部美人】)を通じて東北の酒を飲んでお花見をすることが“応援消費”になると訴えたことでも知られている。

株式会社南部美人
http://www.nanbubijin.co.jp

望郷の酒

 ハーパーと久慈には共通の友人がいる。久慈の東京農大時代の同級生でハーパーとは梅乃宿酒造で蔵人として4年間共に働いた鈴木大介。彼は福島県浪江町で江戸時代から続く鈴木酒造店の跡取りであったが、3.11の地震と津波で海沿いの酒蔵は跡形もなく流され、福島第一原発から7㎞という立地から避難区域に指定され、現在も帰れる目途は立っていない。

 酒蔵も生活の場もすべて失った絶望的な状況の中、彼は再び酒を作ることでアイデンティティを取り戻すべく山形県長井市の蔵を買い取り、会津若松市の試験場に預けていた酒母から浪江の漁師の祝い酒であった「磐城壽」(いわきことぶき)を復活させた。そしていつか故郷への帰還を果たし、真の祝い酒で「カンパイ!」すべく、今日も酒造りに励んでいる。

株式会社鈴木酒造店 長井蔵
http://www.iw-kotobuki.co.jp/

(敬称略)

参考文献

※1 国税庁 平成27年の酒類の輸出動向
https://www.nta.go.jp/kohyo/press/press/2015/sake_yushutsu/pdf/sake_yushutsu.pdf
※2 米穀安定供給確保支援機構:米ネット 清酒の動向
http://www.komenet.jp/pdf/chousa-rep_H26-5.pdf

【カンパイ!世界が恋する日本酒】

「カンパイ!世界が恋する日本酒」(2015)
公式サイト
http://kampaimovie.com/
作品基本データ
製作国:日本 アメリカ
製作年:2015年
公開年月日:2016年7月9日
上映時間:95分
製作会社:シンカ(制作プロダクション Wagamama Media)
配給:シンカ
カラー/モノクロ:カラー
スタッフ
監督・脚本・編集:小西未来
プロデューサー:柳本千晶、小西未来
エグゼクティブ・プロデューサー:駒井尚文、スージュン、マイケル・J・ワーナー、ネレケ・ドリーセン
共同プロデューサー:毛山薫、鈴木克也
撮影:猪本雅三、小西未来
音楽:スティーヴン・ヴィーンス
録音・整音:伊藤裕規
キャスト
フィリップ・ハーパー
ジョン・ゴントナー
久慈浩介
鈴木大介
松崎晴雄
リック・スミス
古川周広
ジル・ワーデン
久慈浩
吉田暁
土井チズル
森隆
五日市亮一
木下善人
千葉麻里絵
ミッチ・フォーチュン
キャット・フォード・コーツ

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。