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「孤独のススメ」のスラーヴィンク

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「演奏は難しくない。正しい鍵盤を正しい時に叩けばいい」――4月9日(土)から全国で順次公開されるオランダ映画「孤独のススメ」は、“音楽の父”J・S・バッハのこのような言葉から始まる。

「孤独な男」の系譜

 本作は、オランダの俳優ディーデリク・エビンゲが自ら書き下ろしたオリジナル脚本で初監督を務めた作品である。プロテスタントの信仰の篤いオランダの田舎町を舞台に、妻に先立たれ一人息子とも別れて孤独な日々を過ごしていた初老の男フレッド(トン・カス)が、ある日突然転がり込んできた知的障がいのある寡黙な男テオ(ルネ・ファント・ホフ)との共同生活を通じて人生を変えていく物語だ。

 フレッドの毎日はこのようだ――勤めを終えてバスで教会の目の前にある自宅に帰宅すると、お気に入りの安楽椅子に腰掛けてコーヒーを飲みながら、息子のヨハンが8歳の頃に歌ったバッハのアリア(マタイ受難曲第39番「憐み給え、わが神よ」)のボーイソプラノのカセットテープ録音に耳を傾けて1日の疲れを癒す。17時にはキッチンで食事の支度を始め、18時ちょうどに神に祈りを捧げ、壁に飾られた亡き妻トゥルーディーと幼いヨハンの写真と差し向かいで食事を始める。メニューは、茹でたジャガイモとインゲン、炒めたスラーヴィンク(Slavink)というお決まりのものをとる――几帳面かつ単調でノスタルジックなものだった。

フレッドは毎日決まった時間に決まった夕食を妻と息子の写真と差し向かいでとっていた

フレッドは毎日決まった時間に決まった夕食を妻と息子の写真と差し向かいでとっていた

 スラーヴィンクは、1952年にオランダの肉屋が発明した肉料理で、合い挽き肉を棒状にしてベーコンを巻いたもの。オランダでは肉屋やスーパーで簡単に入手でき、バターかサラダオイルで10〜15分焼けば食べられる手軽さが受けている人気そうざいである。

 このフレッドの食事の風景を見て思い出したのが、昨年公開された「おみおくりの作法」(本連載第93回参照)。この作品に主人公である孤独死した住民の葬儀を担当する地方公務員のジョン・メイも一人暮らしの中年男で、毎日同じ時間に粗末な食事をとるというライフスタイルが本作のフレッドと重なって映ったのである。

 そう言えば「起終点駅 ターミナル」(本連載第114回参照)も家族を捨て北海道の最果ての地で一人暮らしをしながら料理だけが趣味という初老の弁護士が主人公だった。また、松重豊演じる食べ歩きが趣味の中年の独身男が主人公のテレビドラマシリーズ「孤独のグルメ」なども含めると、何やら最近この手の作品が多いような気がしてくる。

 もっとも“孤独な男”を扱った作品の源流としては、黒澤明監督の「生きる」(1952)や、イングマール・ベルイマン監督の「野いちご」があり、さらに遡ればチャップリンが「黄金狂時代」(1925、本連載第28回参照)や「モダン・タイムス」(1936)等の数々の名作で演じた可笑しくも孤独な放浪者や、F・W・ムルナウ監督のサイレント作品「最後の人」(1924)までたどることができるだろう。

自由に食べた方が美味しい

 話を「孤独のススメ」に戻すと、ガス欠を口実にフレッドからお金を借りておきながら車を持っていないことがバレたテオは、その罰でフレッドの庭仕事を手伝うことになる。そして、そのことがきっかけで彼の家に居つくようになる。

 ところがテオは庭仕事のご褒美にビスケットをねだったり、夕食ではジャガイモをぐちゃぐちゃにつぶして食べたり、日曜の礼拝の前の朝食に寝坊して現れたうえに、お祈りもせずにパンに手を出したり、ナイフやフォークを使わずに手づかみで食べたりと、やることなすこと、杓子定規なフレッドと正反対。だが、フレッドは何ものにも束縛されずに自由に振る舞うテオの姿に羨望を覚えたのか、彼を追い出さずに置き続ける。

 そして、食材の買い出しに行ったスーパーでテオが山羊の鳴き真似が得意であることを知ると、裕福な家の依頼を受けて、子供の誕生パーティーの余興を引き受けることまで始めるのだった。

 しかし、彼らのこうした行動は、この地域のバックボーンである敬虔なカルヴァン派の教義とは相容れないもので、隣人たちは2人の関係を疑い、さまざまな嫌がらせを仕掛けてくる………。

 以上が映画前半のストーリーである。後半については実際に映画をご覧になっていただきたいが、この映画の原題にもなっているアルプス山脈の霊峰マッターホルン(MATTERHORN)であることを覚えておいていただきたい。そこは、フレッドが亡き妻にプロポーズした思い出の地である。そして、テオの正体とフレッドの息子ヨハンの現在、ストーリーの結末に大きく関わってくるとだけ言っておこう。

(おまけ)女だって孤独

 男の孤独を描いた映画について述べてきたが、女の孤独を描いたのが現在公開中の「母よ、」で、カンヌ、ヴェネツィア、ベルリンの世界三大映画祭全てで賞を受賞したキャリアを持つイタリアの名匠ナンニ・モレッティによる「監督ミケーレの黄金の夢」(1981)や「親愛なる日記」(1993)といった自作自演の自伝的作品群に連なる作品である。

 今回彼は「夫婦の危機」(2006)の延長ともとれる社会派女性映画監督の兄役を演じていて、一歩引いた立ち位置で、大勢のスタッフやキャストに囲まれながらも神経質な性格が災いして孤立を深めていく女性映画監督の姿と、心の拠り所ともいえる母の死期が迫る中で一緒に過ごす最後の時間を並行して描いていて、作風に円熟味を増している。

 その完成度はトリュフォーやゴダールといったヌーヴェル・ヴァーグの映画作家たちが批評家時代に活躍したフランスの映画雑誌「カイエ・デュ・シネマ」が、2015年のベスト1に選んだことでも折り紙付きで、とくに印象的な食べ物が出てくるわけではないが、観ておきたい作品である。


【孤独のススメ】

公式サイト
http://kodokunosusume.com/
作品基本データ
原題:MATTERHORN
製作国:オランダ
製作年:2013年
公開年月日:2016年4月9日
上映時間:86分
配給:アルバトロス・フィルム(提供 ニューセレクト)
カラー/サイズ:カラー/シネマ・スコープ(1:2.35)
スタッフ
監督・脚本:ディーデリク・エビンゲ
製作:ハイス・ファン・ウェステラーケン
ライン・プロデューサー:マヌー・ハーツサーカー
プロダクション・マネージャー:サスキア・ファン・デア・タス
撮影監督:デニス・ウィーラート
編集:マイケル・レイヒワイン
音響デザイン:ヒール・ファン・ヘローフェン
美術:エルザ・クローネンベルフ
キャスト
フレッド:トン・カス
テオ:ルネ・ファント・ホフ
カンプス:ポーギー・フランセン
サスキア:アリアーヌ・シュルター
牧師:ヘルマート・ウォウデンベルフ
トゥルーディー:エリセ・スハーブ
ヨハン:アレックス・クラーセン

(参考文献:KINENOTE、「孤独のススメ」パンフレット)

執筆者

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。