「おみおくりの作法」の料理

[93]

食パンに魚の缶詰、リンゴ、紅茶というメニューがジョン・メイの毎日の夕食である。
食パンに魚の缶詰、リンゴ、紅茶というメニューがジョン・メイの毎日の夕食である。

今回は、現在公開中のイギリス・イタリア合作映画「おみおくりの作法」に描かれたイギリス料理を紹介する。

「イギリス料理はまずい」は本当か?

 前々回「千年の一滴 だし しょうゆ」の文中で和食が2013年にユネスコの無形文化遺産に登録されたことに触れたが、これはフランスの美食術、地中海料理(イタリア、ギリシャ、スペイン、モロッコ)、メキシコの伝統料理、トルコのケシケキ(粥)に次ぐ食文化としては5つ目の登録となる。フランス料理やイタリア料理に対する評価は日本でも高く納得がいく。ところが、同じヨーロッパの大国であるイギリス料理の評判は芳しくなく、「イギリス料理はまずい」というイメージが定着してしまっているのは気になるところである。

 そこで今回ご紹介するイギリス・イタリア合作映画「おみおくりの作法」を通して、そのことについて考えてみたい。

毎日が魚の缶詰

食パンに魚の缶詰、リンゴ、紅茶というメニューがジョン・メイの毎日の夕食である。
食パンに魚の缶詰、リンゴ、紅茶というメニューがジョン・メイの毎日の夕食である。

 本作は、「フル・モンティ」(1997)等のプロデューサーとして知られるイタリア出身のウベルト・パゾリーニが、孤独死した人の葬儀を手配する人たちについて書かれたガーディアン紙の新聞記事を読んだことがきっかけで、ロンドンの民生係に同行して取材を重ね、オリジナル脚本を書き下ろし監督も手がけた、イギリス版「おくりびと」本連載23回参照)とも言える作品である。

 ロンドン南部のケニントン地区に住む44歳のジョン・メイ(エディ・マーサン)は、勤続22年で一貫して孤独死した人の弔いを担当してきた地方公務員である。まじめで几帳面な性格の彼は、故人の遺品を整理して身寄りを探し、どんな人生を送ってきたのかを調べたうえで葬送の音楽を選び、弔辞を書き、葬儀を行うまでを事務的ではなく故人に対して敬意を払いながらこなしている。

 彼のライフスタイルもその性格を表わすような規則正しいもので、毎日同じスーツを着て、同じ時間に同じ道を通って出勤し、帰宅すると同じ夕食を摂る。そのメニューは食パンに魚の缶詰、リンゴ、紅茶だけという質素なものである。皿やカップからランチョンマットの位置まで寸分違わないという徹底ぶりに驚かされると同時に、孤独死を扱う彼自身も家族のいない孤独な生活を送っていることがわかるシーンである。

 プロテスタントのキリスト教徒が多いイギリス人の禁欲的な価値観がフランスやイタリアのような美食文化を阻んだとの説もあるが、このメニューの乏しさは前述のような彼独自の性格に起因するものだと、この時点では思った。

ウィットビーのフィッシュ&チップス

位置関係図(参考文献:「おみおくりの作法」公式サイト)
位置関係図(参考文献:「おみおくりの作法」公式サイト)

 そんなある日の朝、ビリー・ストークという独り暮らしの老人の死後数日経った遺体が、ジョン・メイが住む向いのアパートで発見される。自分の身近にいながら孤独な生活を送る老人の安否に気付いてあげられなかったことに彼はショックを受ける。悪いことは続くもので、その日の午後、彼は上司のプラチェット氏(アンドリュー・バカン)から解雇を通告されてしまう。彼が仕事熱心のあまり、身寄りのない人の葬儀まで一人で出席して行うなど、予算と時間をかけ過ぎているというのがその理由であった。

 奇しくもビリーの葬儀が最後の仕事となったジョン・メイは、あたかも自分自身の“おみおくり”の準備をするかのごとく、今までにも増して情熱を傾ける。故人の遺品の中から幼い少女が写ったアルバムの写真を発見した彼は、服役経験のある故人の足取りをたどって、出所後に身を寄せたというノース・ヨークシャーのウィットビー(位置関係図参照)にあるフィッシュ&チップスの店を訪れる。

 ウィットビーはブラム・ストーカーの小説「吸血鬼ドラキュラ」の中でドラキュラ伯爵が上陸した地として知られる北海沿いの港町である。フィッシュ&チップスはタラなどの白身魚のフライにポテトフライを添えたイギリスの代表的な料理で、日本でもイギリス風パブなどでよく見かけるメニューである。

 ビリーが働いていた店は主のメアリー(カレン・ドルーリー)が一人で切り盛りしており、電動ピーラーでポテトの皮を剥いたり、漁師が獲ってきたタラに衣を付けたりする調理の様子が見られるが、漁師の語るビリーの昔話は食欲を減退させるものだった。実はメアリーはビリーの知らない彼の娘と孫を一人で育てていたのだが、それは写真の少女とは別人らしかった。

再び魚の缶詰、ウイスキーとハーゲンダッツ

 次にジョン・メイが訪れたのはビリーがフォークランド紛争に従軍した際の戦友ジャンボ(シアラン・マッキンタイア)が暮らす老人ホーム。そこでジャンボがジョン・メイに勧めたのは食パンに魚の缶詰、リンゴという彼がいつも食べているのと同じ食事だった。これは単なる偶然なのか、それともイギリスの独身男の定番メニューなのかよくわからないが、サンドイッチの語源を作った国だけに、食事のことよりも優先度の高い関心事を持つ人が多いということなのだろうか?

 ビリーが復員後に戦争の影響によるPTSDで路上生活者になった話をジャンボから聞き、ジョン・メイはロンドンに戻ってバークレースクエアにいるホームレスの二人の男(ティム・ポッター、ポール・アンダーソン)のもとを訪れる。バークレースクエアはロンドン中心部に位置する高級商店街で、そんな場所で路上生活をしていたビリーの“プライドの高さ”を感じさせる。「タダでは話さないよ」というホームレスたちに、ジョン・メイが差し入れたのがスコッチウイスキーの大瓶。それを回し飲みしながら話を聞く彼は、自分で自分を縛ってきた日常から解放されたように見えた。

 さらにその帰途で、荷台のドアを開けたまま走り去ったワゴン車が落としていった「ハーゲンダッツ」のアイスクリームを食べるという行動も、これまでの彼にはないことだった。

小津に影響を受けた死生観

 ジョン・メイは、ついにイギリス最南部の都市トゥルーローで犬の調教師として働いていた写真の少女ことビリーの娘ケリー(ジョアンヌ・フロガット)を見つけ出し、お父さんの葬儀に出てほしいと懇願する。母と自分を捨てた父への恨みからいったんは断るケリーだったが、思い直してジョン・メイをプリマスの駅に呼び出す。

 ここでもジョン・メイは、葬儀の打ち合わせでケリーと入ったカフェでいつもの紅茶ではなくココアを注文するという初めての体験をする。そして最後の大仕事を終え、新しい人生へと踏み出す一歩を目前に、ジョン・メイの身辺に事件が起こる……。

 パゾリーニ監督(イタリアの巨匠ピエロ・パオロ・パゾリーニとは関係ないが、ルキノ・ヴィスコンティは大叔父にあたる)は、本作を撮るにあたり小津安二郎監督の死生観が表れた晩年の作品を意識したという。そのこだわりはカメラアングルや色使いにも生かされ、作品を印象的なものにしている。ジョン・メイ役のエディ・マーサンも、前作「ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!」ごはん映画ベスト10 [2014年 洋画編] 参照)とはうって変わった物静かな公務員を笠智衆ばりに演じている。

 最後に、命題である「イギリス料理はまずいのか?」についてだが、今回に関して言えば旗色は悪いと言わざるを得ない。しかし、ある一面を捉えているだけに過ぎないかも知れないので結論は出さずに折りを見て再検証してみたいと思う。


【おみおくりの作法】

作品基本データ
公式サイト:http://bitters.co.jp/omiokuri/
原題:STILL LIFE
製作国:イギリス、イタリア
製作年:2013年
公開年月日:2015年1月24日
上映時間:87分
製作会社:Redwave Films, Embargo Films, Rai Cinema
配給:ビターズ・エンド
スタッフ
監督・脚本:ウベルト・パゾリーニ
エグゼクティブプロデューサー:バーナビー・サウスクーム
プロデューサー:ウベルト・パゾリーニ、クリストファー・サイモン、フェリックス・ヴォッセン
撮影:ステファーノ・ファリヴェーネ
プロダクション・デザイン:リサ・ホール
音楽:レイチェル・ポートマン
編集:ギャヴィン・バックリー、トレーシー・グレンジャー
衣裳デザイン:パム・ダウン
キャスティング:スージー・フィッギス
アソシエイト・プロデューサー:マルコ・ヴァレリオ・プジーニ
ライン・プロデューサー:マイケル・S・コンスタブル
キャスト
ジョン・メイ:エディ・マーサン
ケリー・ストーク:ジョアンヌ・フロガット
メアリー:カレン・ドルーリー
プラチェット氏:アンドリュー・バカン
ジャンボ:シアラン・マッキンタイア
ホームレスの男:ティム・ポッター
ホームレスの男:ポール・アンダーソン

(参考文献:KINENOTE)

アバター画像
About rightwide 336 Articles
映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。