オードリー・ヘプバーンの映画と食文化

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サブリナ
サブリナはパリのル・コルドン・ブルーで料理を学ぶ

この秋、オードリー・ヘプバーン(1929~1993)の主演作品「麗しのサブリナ」(1954)、「パリの恋人」(1957)、「ティファニーで朝食を」(1961)の3本がリバイバル公開されている。

 彼女が映画の中で身につけたファッションは「ローマの休日」(1953)のヘップサンダルやヘップバーンカット、「麗しのサブリナ」のサブリナパンツやサブリナシューズなど、その時々の流行を生んだ。同様に食文化に与えた影響も少なくないので、今回はそれについて述べていく。

「ローマの休日」のジェラートとワイン

「ローマの休日」
「ローマの休日」。スペイン広場でジェラートを食べるアン王女

「ローマの休日」は赤狩りでハリウッドを追放中だったダルトン・トランボがイアン・マクラレン・ハンター名義で書いたオリジナル脚本を「大いなる西部」(1958)、「ベン・ハー」(1959)などの巨匠ウィリアム・ワイラーが監督したヘプバーン初の主演作である。この作品で彼女はいきなりアカデミー主演女優賞を受賞し、一躍スターダムに上った。

 物語はヘプバーン演じるヨーロッパ某国のプリンセスのローマでの一日だけのお忍びの逃避行を描いたもので、古都ローマの観光名所の数々をロケ地としている。

 宿舎の宮殿を脱け出してアメリカ人の新聞記者ブラドレー(グレゴリー・ペック)のアパートで一夜を過ごしたアン王女(ヘプバーン)は、全寮制の女学生と身分を偽って彼から1000リラ(約1ドル半)を借り、青空市場でサンダル(ヘップサンダル)に履き替え、トレヴィの泉近くのヘアサロンで髪をショートカット(ヘップバーンカット)にしてつかの間の自由を謳歌してゆく。

 そして次に向かったスペイン広場で彼女が屋台で買い食いしたのが、イタリア名物のジェラートである。ジェラートは一般的なアイスクリームよりも空気含有量が低く乳脂肪分が少ないのが特徴であるが、公開当時の日本ではその違いはあまり認識されておらず、流行ったのはコーンにのせたソフトクリームであった。いわば野外でアイスクリームを食べるスタイルだけが真似られたわけで、本格的なジェラートが日本で実際に売られるようになったのはずっと後のことである。

「キャンティ・フィアスコ」
イタリアの庶民的ワイン「キャンティ・フィアスコ」。藁苞で包んだ瓶が特徴

 スペイン広場でブラドレーと再会したアン王女は、パンテオン神殿前のオープンカフェでまだお昼時だというのにシャンパンを注文し彼を驚かせる。学校ではいい生活をしてるんだなと問う彼に対し、彼女は特別なときだけよと答える。これには彼女にとっては今が特別な時間なのだということと、彼女の特別な地位を示す二重の意味があるのだが、一流ホテルなどで行われている休日の朝食と昼食を兼ねた食事にシャンパンを出すシャンパン・ブランチのサービスはこのシーンがきっかけで生まれたと言われている。(※1

 また物語の後半、サンタンジェロ城の畔のテヴィレ川での船上ダンスパーティーで彼女を連れ戻しに来た情報部員たちとの格闘の末、川に飛び込んで逃げ帰ったブラドレーのアパートで、彼が彼女に身体が温まるよと勧めたのがトスカーナ産の庶民的なワイン、キャンティ・フィアスコである。藁苞(わらづと)に包まれた徳用瓶からワイングラスではなくタンブラーに注いで差し出すことで庶民性がより強調され、彼と彼女の住む世界の違いを示し、別れが近いことを予感させるシーンとなっている。

「麗しのサブリナ」のスフレ

サブリナ
サブリナはパリのル・コルドン・ブルーで料理を学ぶ

「麗しのサブリナ」は「ローマの休日」で成功を収めたヘプバーンが次に主演した作品で、「七年目の浮気」(1955)や「アパートの鍵貸します」(1960)といった喜劇映画の名手ビリー・ワイルダーがメガホンをとり、「カサブランカ」(1942)や「マルタの鷹」(1941)のハンフリー・ボガードと「サンセット大通り」(1950)や「慕情」(1955)のウィリアム・ホールデンが共演したラブ・コメディーである。

 ヘプバーン演じる主人公のサブリナは、プラスチック製品を扱う大企業を所有する富豪ララビー家のお抱え運転手の一人娘で、ララビー家の次男でプレイボーイのデイヴィッド(ホールデン)に想いを寄せているが、彼は財閥の令嬢と婚約してしまう。傷心の娘を見かねた父は彼女をパリの有名な料理学校ル・コルドン・ブルーに留学させるが、失恋の痛手の癒えない彼女は卵もうまく割れない始末で、調理実習のスフレ作りにも失敗してしまう。そんな彼女を同級生の男爵が慰めて言うのが次のセリフである。

“A woman happily in love, she burns the soufflé. A woman unhappily in love, she forgets to turn on the oven.”

(幸せな恋をしている女性はスフレを焦がす。不幸な恋をしている女性はオーブンのスイッチを入れるのを忘れる)

 そして2年後、サブリナは洗練された魅力的な女性に変身して帰国し、デイヴィッドだけでなく堅物の兄ライナス(ボガード)をも夢中にさせる。そしてライナスのオフィスに備え付けのキッチンですっかり上達した料理の腕をふるい、あり合わせの材料でスフレを作ろうとするシーンには、デイヴィッドからライナスに傾いていく彼女の気持ちが表れている。

 朝鮮戦争の特需を経て第二次世界大戦後の復興を果たしつつあったこの映画公開当時の日本において、フランスの料理学校やお菓子作りといったシチュエーションは、観客の目に豊かさの象徴として映ったに違いない。そして今もなお衰えぬオードリー・ヘプバーンの人気にも似て、欧米の食文化に対する憧憬は現在に至るまで続いているのである。

※1 参考文献:「田崎真也のワイン・シアター」(同文書院)

作品基本データ

【ローマの休日】

「ローマの休日」(1953)

原題:Roman Holiday
製作国:アメリカ
製作年:1953年
公開年月日:1954年4月27日
上映時間:118分
製作・配給:パラマウント映画
カラー/モノクロ:モノクロ
サイズ:35mm
メディアタイプ:フィルム
アスペクト比:スタンダード(1:1.37)
音声:モノラル

◆スタッフ
製作・監督:ウィリアム・ワイラー
原作・脚本:イアン・マクラレン・ハンター(ダルトン・トランボ)
撮影:フランク・F・プラナー、アンリ・アルカン
美術:ハル・ペレイラ、ウォルター・タイラー
音楽:ジョルジュ・オーリック
編集:ロバート・スウィンク
衣装:エディス・ヘッド

◆キャスト
ジョー・ブラドリー:グレゴリー・ペック
アン王女:オードリー・ヘップバーン
アービング・ラドビッチ:エディ・アルバート
ヘネシー支局長:ハートリー・パワー
大使:ハーコート・ウィリアムス
ヴィアルバーグ伯爵夫人:マーガレット・ローリングス
プロブノ将軍:チュリオ・カルミナチ
マリオ・デラーニ:パオロ・カルリーニ

【麗しのサブリナ】

「麗しのサブリナ」(1954)

原題:Sabrina
製作国:アメリカ
製作年:1954年
公開年月日:1954年9月
上映時間:113分
製作・配給:パラマウント映画
カラー/モノクロ:モノクロ
サイズ:35mm
メディアタイプ:フィルム
アスペクト比:スタンダード(1:1.37)
音声:モノラル

◆スタッフ
製作・監督:ビリー・ワイルダー
原作:サム・テイラー
脚色:ビリー・ワイルダー、サム・テイラー、アーネスト・リーマン
撮影:チャールズ・ラング
美術:ハル・ペレイラ、ウォルター・タイラー
装置:サム・コマー、レイ・モイヤー
音楽監督:フレデリック・ホランダー
編集:アーサー・シュミット
衣装:エディス・ヘッド

◆キャスト
ライナス・ララビー:ハンフリー・ボガート
サブリナ・フェアチャイルド:オードリー・ヘップバーン
デイヴィッド・ララビー:ウィリアム・ホールデン
オリヴァー・ララビー:ウォルター・ハムデン
トーマス・フェアチャイルド:ジョン・ウィリアムス
エリザベス・タイソン:マーサ・ハイヤー
グレッチェン・ヴァン・ホーン:ジョーン・ヴォース
男爵:マルセル・ダリオ

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。