小津安二郎のうまいもの(3)「秋日和」のうまいもの

蓬莱屋の「ひれかつ定食」
蓬莱屋の「ひれかつ定食」

暑かった夏も終わり、いよいよ秋本番。今回は久しぶりに小津安二郎監督作品から、食欲の秋にふさわしい味覚に彩られた映画をご紹介する。

娘から母へ

「秋日和」(1960)は里見弴の原作を野田高梧と共同で脚色した小津の52本目の監督作品で、「晩春」(1949)以来の原節子とのコンビの5作目にあたる。「晩春」では父と二人暮らしの娘役だった原が、今回は立場を逆転させ、司葉子演じる娘と二人暮らしの母親役を演じている。

ビフテキとわらびの塩漬け

蓬莱屋の「ひれかつ定食」
蓬莱屋の「ひれかつ定食」

 映画は三輪秋子(原)の亡夫の七回忌に集った学生時代からの友人の平山(北竜二)や田口(中村伸郎)たちのうまいもの談義から始まる。話題は上野本牧亭横丁の洋食屋のビフテキがうまいという話から、松坂屋裏のとんかつ屋には学生時代に屋台だった頃から故人とよく通ったという思い出話になる。ここでいう本牧亭は2011年に閉場した講談専門の寄席で、とんかつ屋は本連載第41回でも取り上げた「蓬莱屋」のことを指している。

 そこへ故人の実兄で伊香保温泉で旅館を経営している周吉(笠智衆)が遅れて到着する。平山が、息子が旅行で世話になったことと土産にもらったわらびの塩漬けへの礼を述べる。

周吉 「あれは春摘んだのを塩漬けにしたもので珍しいものではありませんが、伊香保としては武男と浪子さん以来のもので……」

 武男と浪子とは徳冨蘆花の伊香保を舞台にした小説「不如帰」(ほととぎす)に登場する海軍士官と妻の名前で、夫婦でわらび採りに行く描写があることからこの台詞になったものと思われる。

 おすそ分けを受けた友人の田口も相槌を打ち、齢をとるとああいうものがうまくなってくるという。

田口 「ひじきに人参、しいたけ、切り干し、豆腐に油揚げ」

平山 「それからビフテキ、とんかつか」

 さっきの会話は棚に上げて紋切型なことをいう田口に対する平山の茶々である。

 こうした、食べ物にまつわる一連の会話に象徴される本音と建前によって成立するコミュニティの調和は、晩年の小津が繰り返しテーマにしてきたもので(本連載第1回参照)、この作品も例外ではない。

 物語は秋子の娘アヤ子(司葉子)の縁談をとりまとめるべく、田口と平山と間宮(佐分利信)の「彼岸花」(1958)以来の中年男三人組が尽力するというものだが、それは彼らが大学生だった頃、本郷三丁目の薬屋の看板娘だった秋子に皆がほれ、必要もない膏薬や頭痛薬を買いに通ったことの延長線なのである。つまり、今もなお美しい秋子と、縁談話を通じて関わり合いを保ち続けたいのだ。そしてそれを見透かしたかのように、田口の妻のぶ子(三宅邦子)や間宮の妻文子(沢村貞子)は茶の間の卓袱台で柿やブドウなどの秋の果物をつまみながら「あなたお薬何をお買いになったの? 按摩膏? アンチピリン?」とチクリと刺す。この作品ではこうした微妙なやり取りがユーモラスに描かれている。

うなぎ、とんかつ、ラーメン、すし

 秋子が法事の礼を述べに間宮の会社を訪れた際、2人で行ったうなぎ屋で、間宮は部下の後藤(佐田啓二)との縁談を秋子に提案するが、アヤ子は自分が嫁に行った後の母の身を案じて結婚に消極的である。これも本音は母親といつまでも一緒にいたいという心情であり、それは母娘が買い物の帰りに寄ったとんかつ屋での会話にもにじみ出ている。ちなみにこのとんかつ屋の店名は「若松」で、「彼岸花」で高橋とよが女将を演じた料亭の名前をそのまま使っている。

 田口は、それでは秋子を先に再婚させてしまおうと考え、妻に先立たれた平山に白羽の矢を立てるのだが、間宮からその話を聞いたアヤ子は反発し、母を不潔だとなじって家を飛び出してしまう。

 しかし、アヤ子の方も父の形見のパイプを届けに間宮の会社に行った際に後藤とばったり対面したことがきっかけで交際を始めていたところであり、家を飛び出した後で相談に行ったのも彼のところだった。そしてラーメン屋のカウンター席に2人並んでラーメンを啜りながら、彼女は母が亡くなる前に喧嘩してしまった彼の悔恨の心情を聞くのである。

 小津作品では時折物語の膠着状態を打破するトリックスターのような人物が登場する。「彼岸花」では山本富士子が演じたその役割を、本作ではアヤ子の同僚で親友の百合子(岡田茉莉子)が演じている。彼女は三人組の職場に次々に押しかけ「なぜ静かな池に石を投げるような真似をするんですか」と抗議する。しかし、順序に手違いはあったが三輪母娘に幸せになってほしいという気持ちにおいては一致しており、共同戦線を張ろうということで合意する。

 そして親睦と称し4人で痛飲して向かった先が、彼女の実家である下町のすし屋である。

間宮 「君のいううまい店ってのはここか」

田口 「目黒のサンマでね、意外とこういう店がうまいんだ」

百合子 「失礼ね……」

 そしてこの企てに秋子も加わることで事態は一気に収束に向かうのである。

 このように本作では、物語の転機となる節々で、うまいものに目がなかった小津のこだわりを感じさせる食べ物屋のセットが舞台装置として使われている。

もう一つの映画

「落第はしたけれど」(1930)で学生たちが手と足で障子に映し出した「パン」の文字
「落第はしたけれど」(1930)で学生たちが手と足で障子に映し出した「パン」の文字

 薬屋の看板娘だった秋子と大学生たちのエピソードは、戦前の小津のサイレント作品「落第はしたけれど」(1930)で田中絹代が演じたベーカリーの看板娘と大学生たちを想起させる。下宿で試験勉強中の彼らがパンの出前を頼むのに競技用のピストルを鳴らして彼女を表に誘い出し、障子の向こうから影絵の人文字で「パン」と書いてみせるギャグは、アメリカのスラップステック・コメディの影響を受けている。晩年の洗練された作風とは全く異なるが、若き日の小津の才気を感じさせるシーンである。

 そうしたこともあって、筆者などは田口や間宮の台詞を聴いただけで彼らが本郷三丁目の薬屋へいそいそと按摩膏やアンチピリンを買いに行くモノクロ・サイレントの映像が瞼に浮かんでくるのである。「秋日和」はもう一つの映画を空想できるという意味で、一粒で二度おいしいお得な作品と言えるだろう。

作品基本データ

【秋日和】


「秋日和」(1960)

ジャンル:ドラマ
製作国
製作年:1960年
公開年月日:1960年11月13日
上映時間:128分
製作会社:松竹大船
配給:松竹
カラー/サイズ:カラー/スタンダード

◆スタッフ
監督:小津安二郎
脚色:野田高梧、小津安二郎
原作:里見 弴
製作:山内静夫
撮影:厚田雄春
美術:浜田辰雄
音楽:斎藤高順
録音:妹尾芳三郎
照明:石渡健蔵
編集:浜村義康

◆キャスト
三輪秋子:原節子
三輪アヤ子:司葉子
三輪周吉:笠智衆
後藤庄太郎:佐田啓二
間宮宗一:佐分利信
間宮文子:沢村貞子
間宮路子:桑野みゆき
間宮忠雄:島津雅彦
田口秀三:中村伸郎
田口のぶ子:三宅邦子
田口洋子:田代百合子
田口和男:設楽幸嗣
平山精一郎:北竜二
平山幸一:三上真一郎
佐々木百合子:岡田茉莉子
佐々木芳太郎:竹田法一
佐々木ひさ:桜むつ子
桑田栄:南美江
桑田種吉:十朱久雄
杉山常男:渡辺文雄
女将とよ:高橋とよ
服部進:長谷部朋香
高松重子:千之赫子
旧部下の社員:須賀不二男
すし屋の職人:川村禾門
すし屋の客:菅原通済
受付の女の子:岩下志麻
家政婦:山本多美

【落第はしたけれど】

製作国:日本
製作年:1930年
公開年月日:1930年4月11日
上映時間:(6巻)
製作会社:松竹キネマ(蒲田撮影所)
カラー/サイズ:モノクロ/スタンダード(1:1.33)
メディアタイプ:35mmフィルム
音声:無声

◆スタッフ
監督/原作:小津安二郎
脚色:伏見晁
撮影:茂原英雄
舞台設計:脇田世根一
舞台装置:田中米次郎、角田民造
舞台衣裳:川崎常次郎、橋本庄太郎
配光:中島利光
編集:茂原英雄
衣裳:鈴木文次郎
現像焼付:増谷麟、納所歳巳
タイトル:天羽四郎

◆キャスト
学生:斎藤達雄
下宿のおばさん:二葉かほる
その息子:青木富夫
教授:若林広雄
教授:大国一郎
ベーカリーの娘:田中絹代
落第生:横尾泥海男
落第生:関時男
落第生:三倉博
落第生:横山五郎
及第生:月田一郎
及第生:笠智衆
及第生:山田房生
及第生:里見健司

(参考文献:KINENOTE、日本映画データベース)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。