「夫婦善哉」の中の昭和大阪グルメ

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二つで一つの「めおとぜんざい」(絵・筆者)
二つで一つの「めおとぜんざい」(絵・筆者)

柳吉は「をぐらや」の味をまねて昆布を炊く(絵・筆者)
柳吉は「をぐらや」の味をまねて昆布を炊く(絵・筆者)

織田作之助の原作を豊田四郎監督、森繁久彌・淡島千景主演で映画化した「夫婦善哉」(1955)を紹介する。「くいだおれの街」大阪をこよなく愛した原作者の食べ歩きの経験を反映していると思われる描写が随所に見られる。

「おぐらや」もどきの山椒昆布

 昭和7年頃の大阪が舞台。梅田新道の安化粧品問屋維康商店の若旦那でドラ息子の柳吉(森繁)は、妻子のある身で曽根崎新地の売れっ子芸者蝶子(淡島)と熱海に駆け落ちする。彼の妻は実家に帰ったきり戻らず、一人娘のみつ子(森川佳子)が残され、妹の筆子(司葉子)が彼女の面倒を見る。

 中風で寝込んでいた柳吉の父伊兵衛(小堀誠)は激怒し、柳吉を勘当する。二人はとりあえず蝶子の実家の安天婦羅屋に居候を決め込むが、柳吉は遊んでばかりで生活力がない。蝶子は年増芸者のおきん(浪花千栄子)のもとでヤトナ芸者(雇女芸者=アルバイト芸者のこと)として稼ぐしかなかった。

 そんなどうしようもない男に見える柳吉の唯一の取り得と言えば、道楽のおかげで“うまいもん”に詳しいことである。

 ある日蝶子が帰ってくると彼が何やら料理をしている。

――思い切り上等の昆布を五分四角ぐらいの大きさに細切りして山椒の実と一緒に鍋にいれ、亀甲万の濃口醤油をふんだんに使って、松炭のとろ火でとろとろ二昼夜煮つめると、戎橋の「おぐらや」で売っている山椒昆布と同じ位のうまさになる(原作「夫婦善哉」より)

「どや、ええ按配に煮えて来よったやろ」と長い竹箸で鍋の中を掻き廻しながら言う柳吉の無邪気な姿に、苦労させられっぱなしの蝶子も憎めないものを感じる心情がよく出たシーンである。

 この時点で柳吉は31歳で蝶子は20歳の設定であるが、彼女のことを彼が「おばはん」と呼ぶことに象徴されるように、子供のような彼を母親役の彼女が世話を焼く逆転現象が生じている。

 柳吉のセリフに登場する「おぐらや」とはで、嘉永元年創業の昆布の老舗「をぐらや」で、現在も大阪・戎橋筋で営業している。

*「をぐらや」:
http://www.ogurakonbu.co.jp/

「自由軒」のライスカレー

蝶子は「自由軒」のカレーを一人で二人前注文してしまう(絵・筆者)
蝶子は「自由軒」のカレーを一人で二人前注文してしまう(絵・筆者)

――柳吉はうまい物に掛けると眼がなくて、「うまいもん屋」へしばしば蝶子を連れて行った。彼にいわせると、北にはうまいもんを食わせる店がなく、うまいもんは何といっても南に限るそうで、それも一流の店は駄目や……
(中略)
……楽天地横の自由軒で玉子入りのライスカレーを食べた。「自由軒のラ、ラ、ライスカレーはご飯にあんじょうま、ま、ま、まむしてあるよって、うまい」(

*柳吉は元来の吃音である。

「自由軒」は明治43(1910)年創業の大阪初の西洋料理店で、織田作之助が通っていた店として知られる。難波に現存する本店には「トラは死んで皮をのこす 織田作死んでカレーライスをのこす」と書かれた肖像写真入りの額縁が今も飾られている。

*「自由軒」自由軒と織田作之助のページ:
http://www.jiyuken.co.jp/history/oda.html

 玉子入りのライスカレーとは、うすくちのダシ汁を隠し味にしたドライカレーのような混ぜカレーに生卵をトッピングし、ソースをかけて食べる、同店の伝統メニューである。

 蝶子は、新地の芸者で出ていた頃、柳吉によくここに連れてきてもらったことを話しながら、柳吉の口の周りをナプキンで拭ってやり、「子供みたいな人やな」と足でちょっかいを出す。二人の仲の良さを示す印象的な場面である。

 このあと、蝶子が商売を始めようとせっせと貯めた預金を柳吉が遊ぶ金に使ってしまい喧嘩になるのだが、怒って家を飛び出した彼女の足は自然にこの店に向き、思わずライスカレーを二つ注文して「あほやなあ、わては」と呟くシーンは、ハレの記憶の積み重ねが二人の愛情をつなぎとめていることを表している。

「めおとぜんざい」のぜんざい

二つで一つの「めおとぜんざい」(絵・筆者)
二つで一つの「めおとぜんざい」(絵・筆者)

※注意!! 以下はネタバレを含んでいます。

 その後、妹・筆子が婿養子の京一(山茶花究)を迎えたことで、柳吉は廃嫡(家督相続権を奪う)となる。彼は実家で唯一彼の味方である妹に貰った金と蝶子の貯金とで飛田遊廓(飛田新地)の中にお互いの名から一字ずつ取った「蝶柳」という関東煮(おでん)屋を開く。

 しかし、柳吉は賢臓結核を患ってしまい、腎臓を一つ失う。蝶子は彼の病院代のために店を売りに出し、再びヤトナ芸者で稼いで有馬温泉での彼の養生を支える。彼女はいつかみつ子を引き取って柳吉と親子三人で暮らすことを夢見ていた。

 回復した柳吉は妹に重ねて無心し、今度は蝶子をマダムにカフェ「サロン蝶柳」を始める。

 そんなある日、みつ子が訪ねて来て、柳吉に父の危篤を知らせる。彼が実家に戻ってからしばらくして、蝶子との仲を許して貰えないまま父は死ぬ。夢破れた彼女はカフェの2階でガス自殺を図り、それが新聞に報道されたことで柳吉の立場はますます悪くなり、父の葬儀では位牌も持たせてもらえなかった。

 20日余り経って、柳吉は蝶子のもとにひょっこり戻ってくる。彼は彼女に「何ぞ食いに行こう」と誘うが彼女が自由軒は嫌だと言うので、法善寺境内の「めおとぜんざい」へ行くことにする。

――道頓堀からの通路と千日前からの通路の角に当っているところに古びた阿多福人形が据えられ、その前に「めおとぜんざい」と書いた赤い大提灯がぶら下っているのを見ると、しみじみと夫婦で行く店らしかった。おまけに、ぜんざいを註文すると、女夫の意味で一人に二杯ずつ持って来た。碁盤の目の敷畳に腰をかけ、スウスウと高い音を立てて啜りながら柳吉は言った。「こ、こ、ここの善哉はなんで、二、二、二杯ずつ持って来よるか知ってるか、知らんやろ。こら昔何とか大夫ちう浄瑠璃のお師匠はんがひらいた店でな、一杯山盛にするより、ちょっとずつ二杯にする方が沢山はいってるように見えるやろ、そこをうまいこと考えよったのや」蝶子は「一人より女夫の方がええいうことでっしゃろ」(

 勘定を払っといてと言う彼に、彼女は遺産が一銭も貰えなかったことを悟る。彼女が用意した紋付も質に入れてしまい、質札だけが彼女に戻される。店を出ると雪が降っていて二人の前途多難を思わせるが、「たよりにしてまっせ、おばはん」という彼に彼女は「おおきに」と応える。雪の中で傘もささずに肩を寄せ合いながら家路を急ぐ二人の後ろ姿に重なるように、店先に飾られた阿多福人形のアップが写し出される……。

 原作のタイトルにもなった「夫婦善哉」は明治16(1883)年に文楽の竹本琴太夫が創業した「お福」をルーツとする。その後経営者は変わったものの、二つで一つのぜんざいはそのままに、法善寺横丁の名所となっている。※

※「すし半」後にサトの創業者、重里進が1964年に「夫婦善哉」の暖簾を引き継いだ。

*「夫婦善哉」の歴史:
http://www.sato-restaurant-systems.co.jp/zenzai/meoutobld/historyzenzai/index.html


作品基本データ

【夫婦善哉】

「夫婦善哉」(1955)

製作国:日本
製作年:1955年
公開年月日:1955年9月13日
製作会社:東宝
配給:東宝
カラー/サイズ:モノクロ/スタンダード(1:1.37)
上映時間:120分

◆スタッフ
監督:豊田四郎
原作:織田作之助
脚本:八住利雄
製作:佐藤一郎
撮影:三浦光雄
美術:伊藤熹朔
音楽:団伊玖磨
録音:藤好昌生
照明:石川緑郎

◆キャスト
維康柳吉:森繁久彌
蝶子:淡島千景
維康伊兵衛:小堀誠
維康筆子:司葉子
維康みつ子:森川佳子
種吉:田村楽太
お辰:三好栄子
おきん:浪花千栄子
金八:万代峰子
京一:山茶花究
駒七:志賀廼家弁慶

参考文献:KINENOTE(旧キネマ旬報映画データベース)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。