ごぼうの香りは食文化の薫り

私の、日本のスーパーマーケットでの発見は続いている。今回はごぼうの話だ。

日本では野菜・中国では漢方薬

 ごぼうは日本ではどのスーパーでも扱っている一般的な野菜の一つだが、実は中国では見たことがない。それで、細長いその野菜にはなじみがない上に泥までついているから、最初は敬遠していた。しかし、日本に滞在する時間が長くなるにつれて、そうざいでは定番のきんぴらごぼうも、私の好きなおかずの一つになった。その独特の香りに惹かれている。

 このごろ、もう少しごぼうのことを知ろうと思っていろいろ調べていた。そのなかで、中国のサイトにも当たってみようとしたが、仮名では検索できない。それで「ごぼう」と打って変換したところ「牛蒡」と出た。

 見なれない漢字だと思いつつ、中国の検索サイトで「牛蒡」を調べてみた。すると、意外に沢山の関連情報が出てきた。しかも、なんと、ごぼうは実は中国原産だとわかった。

 文献としては、『名医別録』(220〜450年の成立)という書物に初めて記述が現れる。その根と茎は「傷寒、寒熱、汗出、中風、面腫、削渇、熱中を治し、水腫を排除する」と書かれた。また、多くの漢方関連の文献でにその効能が書かれている。

 そのように、中国ではごぼうは多く漢方薬として使われている。そして近年、健康意識の高まりで、手軽に飲用できる牛蒡茶の人気が高まっている。しかし、おかずとしては、ほとんど普及していない。先に書いたように、中国の店頭で見たことはないし、ごぼうを使った料理も、私の記憶では一度も目にしたことがない。

 これがどうして日本では食材になったのか? ごぼうは日本でどのように生まれ変わったのか、謎として頭に残っていた。

縄文時代に渡来し神饌として料理が発達

『ごぼう』(冨岡典子、法政大学出版局)

 その疑問に答えてくれたのが、最近入手した『ごぼう』(冨岡典子、法政大学出版局)という本だった。

 冨岡氏の記述によると、ごぼうは縄文時代草創期に大陸から渡来して以来、日本の各地に固有の品種や調理法が生まれて、和食に欠かせない食材になった。この本は、その変遷の起こった現場を、多く祭りや儀礼での神饌に求め、また稲作以前の農耕文化の痕跡を見出している。

 今日日本に暮らす我々にはごく身近な作物であるごぼうは、実に長い歳月の間に、少しずつ食文化として形作られていったのだ。冨岡氏の長い年月にわたる豊富な文献研究と生産農家への現地調査で、そのプロセスを明らかにしている。

 巻末に附録としてまとめられている「(年表)日本におけるごぼう利用の歴史」は、縄文時代草創期から2013年まで、薬用、野菜、料理、献上品、贈答品、栽培法、加工といった用途で、代表的な出来事がまとめられている。このなかに、日本でもごぼう茶のブーム(2012)があったことが記されている。近年、日本でもごぼうの価値が見直され、クローズアップされているのだ。

 また、冨岡氏はこの本で、ごほうのルーツの研究だけではなくて、ごほうの薬効と栄養、とくに機能性食品としてのごぼうの未来も熱く語っている。この本を通じて、ごぼうから和食文化の源流、現在と未来も感じさせられる。興味のある方は是非この名著を手にしていただきたい。

「牛蒡」の由来・「金平」の由来

ごぼうと豚肉の炒め
ごぼうと豚肉の炒め

 ところで、ごぼうの漢字が「牛蒡」となった由来がやはり気になる。これは中国の文献などを調べてみたが、定説と言えるものは見つからない。ある民間の一説によると、大昔、旁氏という農民が牛で畑を耕しているときに、疲れた牛が何かの草を食べた後に元気になった。そこで旁氏はその草が気になって掘り出してみた。すると、長芋のような長い根がついている。それを抜いて食べてみたところ、味はまずくない。そして、なんと自分も元気になった。そこで家に持って帰って、スープを作った。これを食べた人は皆精力が増強した。さて、旁氏はその草の名前がわからない。そこで、これを見付けた牛と自分の苗字の旁で名前とした。さらに、それは草の一種なので「旁」に草冠を付け加えたとのことだ。一説にすぎないが、何か、そうであって欲しいと感じさせる逸話だ。

 料理としてのごほうは、ご存知のように、最も多く食べられるのは「金平ごぼう」だろう。千切りにした材料を砂糖や醤油を使って甘辛く炒めたものだ。この「金平」とはどんな意味かといろいろな人に尋ねてみたが、知っている人がいなくて驚いた。

 私は最初、「キンピラ」とは何か調理法を表す語なのかと思っていた。しかし、いろいろ調べてみると、「金平」という名前は金太郎とし知られる坂田金時の息子の名で、強力の伝説がある人だという。それで、ごぼうは精の付く食べ物と考えられていた江戸時代に、この名をつけたものだという。

 最近、我が家の食卓でもごぼう料理は増えている。金平ごぼうだけではなく、中国料理らしいごぼうと豚肉の炒めもよく作る。ごぼうと豚肉を薄く切ったら、醤油、塩と砂糖を入れて、炒めるだけのスピード料理で、ごぼうが豚肉のエキスを吸い込んでおいしく、ご飯が進む。ぜひお試しいただきたい。

 今回の原稿を書いている間に、日常普通に食べているごぼうは、正月のおせち料理では縁起のよいものの一つとして用いられることを知った。「細く長く幸せに」という意味があるという。おせち料理に盛り込まれるのは、通常はきんぴらごぼうではなくたたきごぼうだ。軟らかく煮たごぼうを叩いて身を開くことから、開運の縁起を担いでいるともいう。それで、このお正月には初めてたたきごぼうも作ってみた。食べ慣れたごぼうに、いつもとはまた違った特別な“味”を感じた。

 ごぼうの独特の香りは、悠久の食文化の薫りでもある。ごぼうは、私にとって、日本で出会った、特別な野菜だ。

【編集部・齋藤訓之より】

おせち料理のたたき牛蒡(original file: Tataki-gobou 001.jpg by Ocdp)
おせち料理のたたき牛蒡(original file: Tataki-gobou 001.jpg by Ocdp)

 徐さん、ごぼうとの出会いとお調べになったことのお話ありがとうございました。徐さんの作るごぼうと豚肉の炒めはこれもおいしそうです。また、冨岡典子氏の『ごぼう』はさっそく取り寄せて読み始めたところです。ごぼうについての歴史と民俗と科学が集まった本でわくわくします。

 今回の徐さんのお話から、私もごぼうにロマンを感じるようになりました。種としてのゴボウは太古よりユーラシア大陸に広く産したようです。おそらく文字のある文明が起こる前から、大陸と列島、北東から南西まで、海づたいの壮大な往来があって、きっとその頃に大陸産の宝物の一つとしてごぼうの種子が日本にもたらされたのでしょう。それは、薬効がある上に、おそらく縄文時代の日本人は、地下に秘められた力を引き出してくれる不思議な植物だと感じたのではないかと思います。

 それにしても、ごぼうは漢方で使うもののようだとは思っていましたが、中国で食材としてはほとんど使われていないことには驚きました。でも、日本で食材として使うごぼうは今、中国からも輸入しています。それで栽培が広がっているわけですから、きっと今後は中国でもごぼうを食べるようになるのではないでしょうか。徐さんが帰省されたとき、地元の料理店にごぼうと豚肉の炒めを教えてあげたら、喜ばれるかもしれませんね。

「金平」が、坂田金時の息子の金平からと説明したのは、明治時代のライター・編集者で、何でも事実かどうかは関係なく面白おかしく書くことを旨としていた宮武外骨のようで、それで私は眉唾だと思っていました。しかし、江戸時代に金平の武勇伝が浄瑠璃で流行ったことは確かなようで、その強くいさましいイメージがあの料理に合ったのかもしれません。精が付くというだけでなく、食べるときに噛みしめる様子や歯ごたえに荒々しさがあり、また調理の仕方も煮染めなどと違って豪快な感じです。そもそも日本料理に「炒める」というものが少なく、浮世っぽい(後年で言えばハイカラとかモダンとか)感じがして、流行りものと相性がよかったのかもしれません。

 最後に作物としてのごぼうについて。農家は、一般に“根のもの”は作るのに神経を使う難しいものだと言います。土の状態と作業が良好でないとうまく育たないだけでなく、穫れた作物の表面にその“成績”が目に見えるようになるので。なかでもごぼうはとくに地下深くまで伸びるので、良質な土壌を深くまで用意しなければならず、また掘り取りの段取りにも上手下手が現れやすいということを聞きました。それで、ごぼう名人は上級者というイメージがあるようです。

 おせち料理にたたきごぼうはつきものですが、いわば、私たちはお正月から名人芸に触れているというわけです。

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About 徐航明 24 Articles
立命館大学デザイン科学センター客員研究員 じょ・こうめい Xu Hangming 中国の古都西安市出身。90年代後半来日。東京工業大学大学院卒業。中国や日本などの異文化の比較研究、新興国のイノベーションなどに興味を持ち、関連する執筆活動を行っている。著書に『中華料理進化論』「リバース・イノベーション2.0 世界を牽引する中国企業の『創造力』」(CCCメディアハウス)があり、「中国モノマネ工場――世界ブランドを揺さぶる『山寨革命』の衝撃」(阿甘著、日経BP社)の翻訳なども行った。E-mail:xandtjp◎yahoo.co.jp(◎を半角アットマークに変換してください)