船内指定積み付け

ドイツ・ワイン
ドイツ・ワインがうまかったのには理由があった(写真はイメージです)

ワインのリーファー輸送を業界に提案した大久保順朗氏が、リーファー輸送が必要と考えるに至ったワイン物流の問題の本質を語る。今回は、船内指定積み付けで高品質なワイン輸入を実現していた2社との出会いの話をお送りする。

「地下セラーをお持ちなら」

 ところで、わが店に掲げた「ワイン地下貯蔵の店」の看板は、都内の“横文字問屋”と呼ばれる会社の営業マンや洋酒輸入業者の営業マンを引き寄せてくれた。彼らが来店した後は、当時活発化し始めた洋酒や輸入食品の展示商談会の案内状も舞い込むようになる。そこで展示会へ出かけては“キャップ・シールの回る輸入ワイン探し”に明け暮れた時期であった。

 ご想像のとおり、当時この労はなかなか報いられなかった。「今日も駄目かな」と思いながら、白金の都ホテルで開かれた展示会でのこと。人だかりのする二つのブースがあった。

 一つ目は、シュミット(シュミット商会)。ドイツ・ワインだった。キャップ・シールは回るが、口漏れの有る無しが混在していた。試飲をお願いする。

 思わず「うまい!」と言ってしまった。

「あの~、少ししか買えないけど分けてもらえますか?」と言うと、やせて背の高いメガネの男性社員が、「とりあえず、暇な時にでも神田橋の会社に来てもらえますか?」と言う。「電話で事前連絡してからうかがいます」と自分の名刺を渡し、石橋正敏氏(現石橋コレクション社長)の名刺をいただいて辞去した。

 二つ目はT山岡&サンズ(現ヤマオカゾーン)のブースだった。やはりドイツ・ワインだった。キャップ・シールを観察すると口漏れがない。手にとって瓶をひねると回る。だがジロリとにらまれた。

 試飲をお願いすると、またしても「うまい!」のである。名刺を渡し、「あの~、少ししか買えないけど、分けてもらえますか?」と言うと、「うちは酒屋さんとは取引しません」とケンモホロロの応対だった。

 打ちひしがれながら、「完璧ではないですが、地下セラーを造ったんですけど残念です」と悔しさもにじませながら、背中を向けて立ち去ろうとすると、止められた。

「チョットお待ちください。地下セラーをお持ちなのですね。一度高輪の当社へご足労いただけますか?」との豹変ぶりだった。「必ずうかがいます。電話で事前連絡してからうかがいます」と言って辞去した。これが、後に師と仰ぐことになる山岡寿夫氏との出会いだった。

シーズン輸入・船内指定積み付け

ドイツ・ワイン
ドイツ・ワインがうまかったのには理由があった(写真はイメージです)

 1カ月後の地下セラーには、2社のドイツ・ワインが少し並んだ。両社とも、取引条件は私の方が自分で引取りに出向くことだった。2社ともに、夏季輸入をしない「シーズン輸入・船内指定積み付け」という耳慣れない技法で輸入しているということだった。

 2社のドイツ・ワインはお客様に大好評だった。とくにT山岡&サンズの千円台のドイツ・ワインは、短期間でメルシャンの販売量に並ぶほどに成長していった。

 T山岡&サンズを初めて訪ねた時のことは不思議だった。

 品川も高輪も車で出向くのは初めてという田舎者が、品川駅前に着いたら電話連絡し迎えを待つという約束で車を走らせ、迷いながらもどうにか五反田方向から品川駅前に着いたのだが、車を一時停車させる路肩の空きスペースが見つからない。

 後続車のクラクションに急き立てられ、駅前を左折し坂を登りながら公衆電話を探していると、またしてもクラクションに追い立てられた。仕方なく再度左折すると、さらに道幅の狭い住宅街に迷い込んでしまった。

 道をききたくても門を閉ざした大きな屋敷ばかりがが続く一角である。まだ後続車はついてくる。しばらく進むと車寄せがあり、門扉の開いた屋敷があった。車を寄せて止め、後の車をやり過ごした。とりあえず品川駅前に戻る道を聞こうと車を降りた。

 玄関前に立ち、ブザーを押そうとすると目の前に「山岡」の表札がかかっていた。

 T山岡&サンズは、目と鼻の先の品川埠頭に陸揚げすると、即刻、自宅兼オフィスに運び、敷地内にあるガレージを改装した自社空調倉庫に格納してしまうという。

 埠頭マーシャリング・ヤードでの放置時間を最低限にすることが重要だという。当時の埠頭内倉庫群には冷凍冷蔵倉庫は急増していたものの、ワインの適温倉庫が極めて少なく、確保が難しいことへの対応であると教えていただいた。

 山岡氏はワイン輸入を始める前は船会社に勤務していたとのことで、コンテナ船どころか一時代前のバラ積み貨物船のことまで丁寧に教えてくださった。初めのころは昼間に仕入れにうかがっていたのだが、山岡氏が「今度からは、夜お店を閉めてから仕入れにおいでなさい。その方が道も空いて速いし、うちの方は自宅続きの事務所だから、毎日夜中の2時3時まで仕事していますから」と言ってくださった。そして、「ワインも傷みませんから」の一言には感服させられた。

「以前にもね、三越本店のワイン担当の方がね、夜中に仕入れにいらして、朝方、店の商品搬入ゲートが開くのを待って帰られるという熱心な人がいたのですよ。お父さんの会社を継ぐために三越を辞めてしまわれましたがね」と述懐される。そして、「アレ? 大久保さん小金井でしたよね? 確かその方も小金井の方でしたよ」と言われて驚いた。

「まさか源太郎さん? それ鴨下源太郎さん(小金井精機製作所会長)のことですか?」と聞き返してしまった。鴨下さんは近くに住む土地っ子の資産家の息子さんで、年は私より15才以上は離れていただろうか。私の父とも親しく、よく買い物に来てくださる方だった。

船内指定をオーダーできる港は限られる

 以来、T山岡&サンズへの仕入れは、私の最大の楽しみとなった。山岡社長の“夜のワイン教室”が開校したのだ。生徒は私ひとり。たまにスタッフの方が付き合うが、途中であくびをしながら退出してしまう。全くもったいない話であった。

 船内指定積み付けについても、詳しく教わった。それは、コンテナ船の甲板より下、船倉と呼ばれる太陽光線や外気の直接的影響を受けない部分に指定して積み込むことであった。とは言え、同じ船倉でも指定する場所が違えば、熱ダメージの程度も違うという。また、季節によってもベスト・ポジションは変わる。最良のポイントは船側強制吸排気口下部であり、シュミットもこの場所を熟知しているとのことだった。

 シュミットとの瓶口の口漏れ頻度の違いのわけを問うと、山岡氏は「借りている埠頭内倉庫の温度が低すぎるか、埠頭内マーシャリング・ヤードでの放置時間が長いのかも知れないねえ」と、考えを披露してくださった。

 また、フランス・ワインやイタリア・ワインにはキャップ・シールが回転するボトルが皆無であり、劣悪な変質を来したものばかりである理由を山岡社長に尋ねた。

 山岡氏の答えは明快だった。船内指定積み付けでワインにとって良好なポジションは、オランダのアムステルダムかロッテルダムで積み込まなければ確保が難しいということ。稀にフランスのルアーブル港でも確保できるかもしれないが、ボルドーや地中海沿岸部の寄港地では絶望的であることを教えていただいた。

「業界人には教えちゃだめだよ」

 数日後、店番をしながら世界地図を広げ、山岡氏が指摘した積出港の位置や航路を確認していた。その時、たいへんなことに気付いた。ヨーロッパから日本へ向かうコンテナ船は、大西洋を南下する区間以外は、インド洋でも太平洋でも総じて船首を東に向けているのだ。つまり、左舷船側はほとんど太陽光線が当たらないのだ。結果として、左舷船側強制吸排気下部は比較的冷涼な外気を吸気できるのである。

 後日、山岡氏に左舷船側の優位性発見を伝えると、「やっぱり気付いちゃったんだね。でも他の業界人には教えちゃだめだよ! 『左舷船側強制吸排気口下部』の奪い合いや、フランス・ワインのオランダ積み出しが始まりかねないからね!」と口止めされてしまった。

 この山岡氏からの口止めは、おいしいフランス・ワインを探そうとしていた私には、“絶望”を意味するものだった。一縷の望みは「ルアーブル港積み」のフランス・ワイン輸入業者を探し当てることだった。神頼みをする思いであった。

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About 大久保順朗 82 Articles
酒類品質管理アドバイザー おおくぼ・よりあき 1949年生まれ。22歳で家業の菊屋大久保酒店(東京都小金井市)を継ぎ、ワインに特化した経営に舵を切る。「酒販ニュース」(醸造産業新聞社)に寄稿した「酒屋生かさぬように殺さぬように」で注目を浴びる。また、ワインの品質劣化の多くが物流段階で発生していることに気付き、その改善の第一歩として同紙上でワインのリーファー輸送の提案を行った。その後も、輸送、保管、テイスティングなどについても革新的な提案を続けている。