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シリア難民が殺到と聞く国境

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ハンガリー/セルビア国境のチェックポイント(国境検問所)に向かうまでに難民問題について、渦中の地域を訪れた者として触れておこう。

にわかに話題のエリアに

日本でも散々話題となったハンガリー/セルビアの国境検問所。現場は平穏でセルビア国旗がはためいている以外は日本の東名高速の料金所とさして変わらない。

日本でも散々話題となったハンガリー/セルビアの国境検問所。現場は平穏でセルビア国旗がはためいている以外は日本の東名高速の料金所とさして変わらない。

 筆者がハンガリーとセルビアに行くことを聞いた知人は異口同音に「難民問題、大丈夫ですか?」と真顔で聞いてきた。帰国してからもフルーツブランデーの話を筆者が切り出す前に「何事もなくてよかったですね」と握手しかねんばかりの勢いの人もいた。ことほど左様に2015年9月の日本では両国国境の難民問題が連日のように報道されていたことは後日のためにも記しておきたい。

 シリアを長く統治してきたアサド政権が不安定になるにつれ、戦乱を逃れる難民がイタリア経由で上陸している――あたりの話までは筆者にとってTVニュースで見る、遠い世界の話に過ぎなかった。それでも8月の上旬はまだ酒場の常連が冗談交じりに「石倉さんがセルビアに行ってる時にプーチンが何かやらかさないかな~」と軽口を叩き、周囲が笑い声で満たされているくらいの余裕があった。

 しかし「やらかし」たのは東方の暴君ではなく、西欧民主主義の優等生だった。8月25日、独メルケル首相の指示を受けてドイツ連邦移民・難民局が積極的な難民受け入れを表明し、ドイツに来た難民にはほぼ無審査で手厚い保護を約束する。「それっ」とばかりにドイツを目指す難民がギリシャやトルコを経てセルビアに入り、ドイツというパラダイスに向かう道への中間地点となるハンガリーを目指したのだ。

「数千人の難民がブダペスト駅に殺到」(9/3日経新聞)「ハンガリーから西欧に向かう鉄道をハンガリーが全線運行停止」(同毎日新聞)。それまでセルビアの名前をサッカー以外では口にすることさえなかった日本のメディアが一斉に「セルビア」と「ハンガリー」を連呼し始めた。これから筆者が向かう地球の裏側の地域をご丁寧に地図まで示しつつ、女性キャスターが深刻な表情で説明してくれる。昼下がりの中華屋で食べる肉野菜炒め定食の消化に悪いこと甚だしい。

 渦中のセルビア側に問い合わせても「大丈夫だと思いますよ」とのんきな返事しか帰ってこない一方で、ハンガリー側からは「駅への立ち入りは極力避けるように在ブダペスト日本大使館から注意勧告が出ています」と緊迫したメールが届く。現地を陸路で超えるときに雨ならぬペットボトルが降って来るんだろうか。暴動鎮圧用の放水車の水でずぶ濡れになるかもしれない。8月の時点では筆者をからかっていた酒場の常連たちも9月上旬になると真顔になってきた。「国境付近で混乱に巻き込まれて身動きが取れなくなった時のために」と使い捨ての携帯トイレを渡してくれた人がいる。「放水に備えて折り畳み傘くらいは持っていくべき」「いや合羽の方が」……。

友人たちが本気で心配したこととは

 渡航があと半月に迫る頃、状況はさらに悪化していた。2週間で6万3千人の難民がミュンヘンに殺到した事態を受けて、ついにドイツの内相が入国審査の厳格化を宣言したのだ。それまでことの是非はともかく、どうにか流れていたパイプのコックの根元が突然締まったことで、先行きを不安視した各国が難民受け入れに難色を示し始める。パイプの継ぎ目のそこかしこから水圧に耐えられなくなった水が噴き出すかのように、各国の国境付近に難民用のテントが立ち並ぶ。筆者が最初に目指すハンガリーでは「非常事態宣言」が出されて国境管理がさらに強化された。(9/15時事他)。

 とは言え、筆者としては今さら日程をずらすわけにもいかないし、伸ばせば伸ばすほど不確定要因は増してくる。結局、筆者が対策のために取ったのは折り畳み傘を持っていくことでもハンガリー語とセルビア語の「私は日本人です」を覚えることでもなく、地元の氷川神社に「道中安全」を祈願しに行ったことだった。

 いつも無精ひげに作業服で酒場に出没する筆者を見慣れた人々に本気で心配されたのは、筆者が難民に間違われないかということだった。聞けば今東欧から中欧に集まっている難民はスマホで情報を交換し、着ている物も小ざっぱりしているという。たしかに筆者の普段着ではハンガリーやセルビアの国境警備隊に不審尋問される恐れなしとしない。

 荷物になる背広一式と革靴、ネクタイ一式を筆者が敢えてスーツケースに詰めてきたのは公用車を用意されたことだけが理由ではなかったことを正直に伝えなければならない。もちろん国境を通過する今日も背広にネクタイ、革靴といういでたちだ。酒場の常連から持っていくことを進められた日の丸の旗は、万々が一テレビに映ったら望まぬ形で一躍有名人になりかねないため、持っていくことを断念した。

ついにセルビアに入国……

「もうそろそろチェックポイントだ」と言うオーストリア人の声に、ウエストポーチで温まったパスポートを取り出す。スマホを構えて周囲を注視してみるものの、東名高速の料金所前の渋滞と変わらない車の列が見えるばかりで、日本のテレビで連日のように見掛けた国境のフェンス際の難民も放水車も、日本ではまずお目にかかったことがないカミソリ型の有刺鉄線も見当たらない。前後を車で挟まれているので、もう逃げ出すわけにもいかないから、腹をくくるしかない。10分も待っただろうか。筆者の車の番が来た。緊張の面持ちでパスポートをショーベルさんにリレーしてもらってハンガリー側の出国管理官に渡す。

 あっけないほど簡単に2人のパスポートを返されて拍子抜けしたまま、200mほど先に車を進めてセルビア側のチェックポイントに入る。手前にはためいているセルビア国旗を除けば、こちらも名神高速の料金所とほとんど変わらない。小さなボックスの中で手しか見えないセルビア側の入国管理官にショーベルさんが2人分のパスポートを渡す。

 江戸時代の関所でもそうだったろうが、こういう状況でお上の沙汰を待つ下々の民としては、ただひたすら面倒がおきないことだけを念じつつ、あくまで自分が「善良な一市民」であることをアピールしつつ借りてきた猫のように待っているものだ。あんまりアピールが過ぎて口笛を吹いたりジャズのステップを踏み始めたりすると「要検査」となり、蟻地獄のように面倒な状況になっていく。成田から出国の際、ウエストポーチにスーツケースの鍵を入れていたことを忘れていたためにセキュリティーチェックで身ぐるみはがされかかったトラブルで身に染みている。

 ショーベルさんのパスポートはあっさり戻ってきた。だが、筆者のパスポートがなかなか返ってこない。なにか問題があったのか。

執筆者

石倉一雄
石倉一雄
Absinthe 研究/洋酒ライター いしくら・かずお 1961年北海道生まれ。周囲の誰も興味を持たないものを丹念に調べる楽しさに魅入られ、学生時代はロシアの文物にのめり込む。その後、幻に包まれた戦前の洋酒文化の調査に没頭し、大正、明治、さらに江戸時代と史料をあたり、行動は図書館にバーにと神出鬼没。これまでにダイナースクラブ会員誌「Signature」、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)に誰も知らない洋酒の話を連載。研究は幻の酒アブサン(Absinthe)にも及び、「日経MJ」に寄稿したほか、J-WAVE、FM静岡にも出演。こよなく愛する酒は「Moskovskaya」。