言葉のイメージに負けないために、遺伝子組換え作物をバイオテク作物と呼ぼう

2009年4月、国際アグリバイオ事業団(ISAAA)会長のClive James博士にお目にかかったとき、日本の関係者が、「遺伝子組換え作物・食品(GMO)」という言葉を使うたびに、「『バイオテク作物・食品』と呼ぶように」と正されていたことが印象深く残っている。私にとって「目からウロコ」ともいうべき出来事だったが、それは、「バイオテク作物という呼び方は、作物が様々な育種の手法を経て生まれており、組換えDNA技術もその1つであることを示している」と言われたからだ。

 日本では「遺伝子組換え」という言葉が市民から敬遠されている。理由は、「遺伝子を組換える」という生命を操作するようなイメージの恐ろしげな名前がよろしくないということだ。それを裏付けるアンケート結果もあるという。一方、消費者対象の遺伝子組換え作物についての意見交換会などに参加すると、説明を聞いた後の消費者から、「もっと危険で怖いものだと思っていたが、そうでないことが分かって安心した」という感想を聞くことも少なくない。つまり、科学技術の発展の賜物である遺伝子組換え作物という名前が市民に与えるイメージは、市民の科学技術を理解する能力、科学技術リテラシーにも影響を与えるようだ。

 遺伝子組換え作物の表示が決まった01年頃、日本でも「遺伝子組換え作物という呼び方をバイオ作物としよう!」という動きがあった。しかし、消費者団体から即座に「名前だけ変えるとは、市民の目をくらます卑怯な作戦だ」と非難されたこともあり、「バイオ作物」という呼び名は定着しなかった。

 欧州では、遺伝子組換え作物が市場に登場した10年ほど前、遺伝子組換え食品は「フランケンシュタインフーズ」と呼ばれていた。害虫抵抗性という形質を持った遺伝子組換え作物を「殺虫作物」と呼ぶのも、同じような言葉のネガティブなイメージの効果を狙ったものだと考えられる。

「遺伝子組換え」という言葉を避けるトリックとして、日本の推進派はほかの呼び名を模索してきたものの、「遺伝子組換え」に代わる言葉もなく、すっかり嫌われ者となってしまった今、James博士の「バイオテク作物という言葉は、私たちが野生の食物に手を加えて、人間に都合のよい形質を持つ作物を開発して、食料を安定して得られるようになった歴史をも含む」という説明を聞くと、バイオテク作物という言葉を使う意義を強く感じる。というのも、ヒトという生物種がここまで繁栄できたのも、食料の安定供給を成し得たからである。

「うま味調味料」の歴史に学ぶ このような呼び名の変更であればぜひ実現させたいと思い、参考となる類似例を探したところ、かつては「化学調味料」と呼ばれた「うま味調味料」という言葉が上がってきた。

 1908年、池田菊苗博士が昆布からうま味の成分であるグルタミン酸ナトリウムを発見し、味覚は四味(甘い、塩からい、酸っぱい、苦い)にうま味が加わって、五味となった。うま味を呈するグルタミン酸ナトリウムは「味の素」という商品名の調味料として、私たちの食生活に浸透してきた。50~60年代、公共放送で具体的な商標の表現を避けるために、「味の素」の一般名称として、「化学調味料」が使われるようになった。

 当時は、現在の日本うま味調味料協会自身も日本化学調味料工業協会と名乗っていたほどで、「化学調味料」という言葉にネガティブなイメージを持っている人はいなかったという。しかし、1950年代後半から問題化した公害の影響があったと思われるが、「化学より天然がいい」「天然は安全、化学は危険」というようなイメージが徐々に広がり、化学調味料はだんだんとネガティブなイメージへと変貌し、その結果「化学調味料を使っていません」という表示を他社の食品との差別化に使う企業まで出現してきた。

 そこで85年、同協会はネガティブなイメージを払拭するために、協会名を「日本うま味調味料協会」へと改名。「うま味」を付けた理由は、1)うま味が五味の1つとして世界的に認められてきたこと、2)うま味を付与する調味料の特性を正しく表現していること、3)グルタミン酸ナトリウムなどのうま味調味料はサトウキビの糖蜜などの天然材料を用い、醗酵法によって製造されていることがある。

「うま味調味料」という言葉の定着に向けて

 同協会は次のような手順を踏んで、うま味という用語の周知を図った。

1)データベース作成:加工食品、飲食店、メディア、教科書副読本、雑誌、単行本など、どのように用語が用いられているかのデータベースを作成し、それをもとに行政関係と辞書類への働きかけを始めた。

2)行政への働きかけ:日本標準産業分類で「うま味調味料製造業」とするには数年を要した。04年に経済産業省「工場立地に関する準則」、06年に厚生労働省「労働安全衛生法施行令」と環境省「水質汚濁防止法・総量規則基準」、07年に特許庁「商標法施行規則・類似商品役務審査基準」で、「化学調味料製造業」の削除または「うま味調味料製造業」への改定告示がなされた。

3)辞書類への働きかけ:98年、広辞苑に「うま味調味料」の項目が加わり、07年、大辞林には「旨み調味料」と表記された。Oxford Dictionary of EnglishやGENIUSなどにUMAMIが記載されている。行政の公用語変更に伴い、現在も出版社への要請が地道に続けられている。

4)メーカーや飲食店への働きかけ:ネガティブな表記のある商品の影響力を考え、02年ごろから同協会の活動は、「化学調味料無添加」表示を行うメーカーや飲食店に、変更・修正をお願いする活動に注力する。

5)09年、7月25日を「うま味調味料の日」とすることが日本記念日協会より認定された。

「化学調味料」という言葉は今でも残るものの、「うま味調味料」という言葉は着実に定着してきていると筆者は感じている。同協会や食品添加物協会のメンバー企業の方が、「化学調味料」という言葉を使っている企業対して意見書を送るなど、本当によく努力を続けておられることにも敬服する。読者の皆さんは「うま味調味料」という言葉の定着の状況をどうように認識されているだろうか。

バイオテク作物・食品という用語の導入

「うま味調味料」という言葉と同様に、バイオテク作物・食品という言葉を、気長に定着させ、バイオテクノロジーは我々が培ってきた食料の安定供給の歴史そのものであることを一緒に伝えることはできないだろうか。「うま味調味料」の周知のための歩みを振り返ると、バイオテク作物・食品の周知・定着を目指すならば、並々ならぬ決意、よく練られた対策、多くの関係者の協力が必要となることも想像できる。果たして、そのような組織だった動きが、現在のバイオの関係者にできるだろうか。

 FoodScienceに執筆されている毎日新聞の小島正美氏は、事故米の報道において、新聞社によって汚染米、事故米という言葉が使い分けられていたと指摘されている。汚染米と書いた記者には、このコメに対するネガティブな価値付けがより強かったこと、汚染米と書いた記事を読んだ読者がネガティブなイメージを抱いたことが想像される。逆に、「豚インフルエンザ」という言葉に対し、厚生労働省が早々に「新型インフルエンザ」という呼び方に変えたことで、豚肉の不買などがある程度、回避されたのではないかとも、同氏は述べておられる。このように、言葉のイメージは、消費者の行動に影響を及ぼすほど威力があることが分かる。

 不適切な言葉の使い方から引き起こされたイメージは、誤った考え方を市民の中に促し、市民のリテラシー向上を阻害するものとなる。私たちは「言葉は言霊」という文化を持つ国民である。遅々として進まぬ遺伝子組換え作物・食品の理解のための一手段として、適切な用語の活用を採り入れるならば、日本うま味調味料協会のように、細心の注意を払い、覚悟を持って取り組まなくてはならないと教えられたと思った。

 うま味調味料関連資料を提供して下さった日本うま味調味料協会の中村盛次氏に御礼を申し上げます。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

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About 佐々義子 42 Articles
くらしとバイオプラザ21常務理事 さっさ・よしこ 1978年立教大学理学部物理学科卒業。1997年東京農工大学工学部物質生物工学科卒業、1998年同修士課程修了。2008年筑波大学大学院博士課程修了。博士(生物科学)。1997年からバイオインダストリー協会で「バイオテクノロジーの安全性」「市民とのコミュニケーション」の事業を担当。2002年NPO法人くらしとバイオプラザ21主席研究員、2011年同常務理事。科学技術ジャーナリスト会議理事。食の安全安心財団評議員。神奈川工科大学客員教授。