必要なのはヒーローではない。たとえば緻密な危機管理だ

零戦。戦後民主主義が否定したヒーローたちの得物(筆者撮影・米国カリフォルニアにて)
零戦。戦後民主主義が否定したヒーローたちの得物(筆者撮影・米国カリフォルニアにて)
零戦。戦後民主主義が否定したヒーローたちの得物(筆者撮影・米国カリフォルニアにて)
零戦。戦後民主主義が否定したヒーローたちの得物(筆者撮影・米国カリフォルニアにて)

「Fukushima 50」に贈られる賞賛。しかし、「お国のために死ね」の時代は66年前に終わったのだ。戦勝国アメリカがそれを教えてくれた。彼らは民主主義と技術を教えてくれた。その基本から導かれることは、ヒーローを作らない世界だったはずだ。

戦前のヒーロー像は否定された

 子供のころのヒーローはすべてTV画面で見ることができた。

「空をこえて ラララ 星のかなた♪」と今でも口ずさむことができる「鉄腕アトム」は10万馬力の原子力で空を飛ぶ科学の子だった。

 新幹線よりも弾よりも早く走る鋼鉄の男「エイトマン」の本名が東八郎なのにはびっくりした。

 北海道のテレビでは放映されなかったが、漫画雑誌で読んだ「0戦はやと」の主人公にはあこがれた。敵のアメリカ海軍戦闘機F4をバッタバッタと撃ち落とす姿はスカッとして気持ちよかった。

 小学生だったとき、仲が良かった同級生の父親は日本海軍局地戦闘機雷電に搭乗して活躍した人だった。図工の時間はその同級生と零戦、雷電、紫電改、陸軍の隼が空を縦横無尽にかけめぐる絵を書き、大戦当時の敵アメリカと戦う搭乗員の姿はヒーローそのものだった。

 大東亜共栄圏を目指すという大義の戦いに敗れ、その後、物事の善し悪しは歴史の教科書で判断し、建前では多数決で物事を決めて実行するアメリカ民主主義を日本国民は受け容れた。多数決で物事を決めるのだから、ヒーローの象徴である零戦搭乗員は一匹オオカミのイメージがあるので戦後民主主義社会では活躍できず、漫画で活躍できたことは幸せだったのだろう。

ヒーローをつくってはならない

桜花。機首に大型の爆弾を積んだ人間ミサイル。国のために若者を死なせる目的で開発された(撮影同)
桜花。機首に大型の爆弾を積んだ人間ミサイル。国のために若者を死なせる目的で開発された(撮影同)

 大規模農業を目指し、遺伝子組換え大豆を北海道で作って「大豆を増産するぞ!」などと当たり前のことを吠えても、行政、流通、消費者は、その人をヒーローとは見なさない。いちばん愚かだったのは、「そんな大生産を望むパイオニア精神を持った生産者は北海道にいませんね」と、あるバイオ企業の社長から言われるまで気が付かなかった自分自身である。やはりヒーローをつくらない戦後教育は正しかったとも言えるのか。

 今、ヒーローと言えば「Fukushima 50」というのがある。原発に残った50名が海外メディアやYouTubeでも賞賛されてすごいことになっている。しかし、数百名の米軍、自衛隊、消防、警察、東京電力、各地の電気会社、ゼネコンなどの人たちが命がけで闘っている現実を考えると、グッと来る気持と、同じくらい頭にくる気持ちとがある。

 戦後教育の基本はヒーローを作らないことである。違いましたか?

 もし彼らの身に何か不測の事態があった場合、日本の戦後教育はやはり間違っていたことになる。そのときは日本がすばらしいと言っていた技術や民主主義教育は所詮ハリボテのお飾りで、嘘だったことになる。

「名誉をやるからお国のために死んで来い!」――これじゃ、まるで大東亜戦争末期と同じだ。冗談じゃない。ふざけるな。あなたたちが死んでも、この原因を作った連中は決して涙を流さないぞ!

 強く言いたい。「彼らを死なすな! ヒーローをつくってはならない!」

 ヒーローはどの状況で生まれるのだろうか? ヒーローとは、一定のルールがある中で凡庸な人にはできないことを成し遂げる人? ではルールなしで凡庸な人にできないことを成し遂げる人は、単なるアウトローとでも呼ぶのか。

 我々は戦勝国アメリカから本当の豊かさや危機管理を学んだと言えるだろうか? そのアメリカは今でもアフガニスタンやイラクに駐留し、リビアでは巡航ミサイルをぶち込む戦時下の国である。ではこの戦時下のアメリカで、アメリカ国民はヒーローを望んでいるのだろうか。

危機管理の持ち主が真のヒーロー

 危機管理で思い出されることがある。

 バブル全盛期には日本中のリゾート施設にヘリポートが作られ、多くの(?)利用者が便利な思いをしたことだろう。北海道の中央にある占冠村「アルファリゾート・トマム」にも数億円のヘリコプターが駐機されていた。あるとき、知人の紹介でそのヘリコプターを見に行くことになった。当時から私は航空業界の末席にもいたので、突っ込んで話をしてみた。

「悪天候の場合、着陸のためのVOR(超短波全方向式無線標識)などの無線航行援助施設はないのだから大変ですね?」と聞いてみた。すると、ヘリコプターのパイロットは「そのような状況に陥らないようにしています」と答えた。答えになっているようには思えないので、もう一度「もしそのような悪天候になったらどうしますか?」と聞き直した。彼は「ですからそのように悪天候かどうか判断できる教育を受けています」と答えた。

 個人的な意見だが、これはパイロット試験では優等生だが、現実の対応しては最低部類の回答になる。アメリカのパイロットなら「もちろん緊急事態の訓練を受けています」と答えるだろう。

 固定翼の飛行機の緊急事態の場合でも同じ会話になる。飛行中に緊急事態に陥った場合、ある特定の周波数を使って呼び出せば、日本国内はもとより世界中どこでも対応して援助を与えてくれるシステムが、アメリカの影響で戦後出来上がった。原則としては緊急時にその周波数を使っていいことになっている。ところが日本では、それを使うことは“恥ずかしいこと”“だらしないこと”“かっこ悪いこと”のイメージがある。いや、むしろ「そのような緊急周波数を使うくらいだったらパイロットやめろ」くらいのことを平気で言う航空業界の先輩が多くいた(いる?)のも事実だ。

 今から20年ほど前に実際、私はその“かっこ悪い”経験をした。この緊急周波数は使わなかったが、慣れない東京上空で「迷子になっちゃいました」と横田基地のアメリカ人管制官に泣きついたことがあったのだ。左には羽田から民間機がガンガン飛ぶのが見え、正面からは厚木からアメリカ海軍の戦闘機が飛んでいた。

 機上、操縦教官が隣にいて彼に試されていることはわかったので心配していなかった。そのとき教官から言われたお言葉は「大丈夫か? 本場モンの英語だぞ」だった。もしあのとき、羽田にコンタクトしていたら日本語で対応できた。だが、後で書類の山が待っていることを考えると、苦手な本場モン・イングリッシュの方が結果的に事務処理が少ないことがわかっていた。そして1時間分の燃料を残して、無事調布飛行場に着陸することができた。

 着陸後、日本の管制官から電話があり、嫌味たっぷりの説教をいただいた。そして、私のヒーローはやはり危機管理に対応してくれた戦勝国アメリカであると、シミジミ理解した。

アメリカから学び足りない日本

 マトモな人たちは以前から理解していたが、今回の震災と原発の事故で、アメリカに頼らないで日本の価値を見出すことはやはり出来ないということを証明してしまった。こうなれば、今までアメリカに軽口を叩いたり批判じみたことを言っていた人々にいなくなっていただいても、誰も困らないだろう。

 日本人はもっと素直に勝ち組アメリカから学んでもいいと思う。もしこの国が国民を幸せにできないのだったら、日本国憲法第22条にある「何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない」を実行するだけだ。勝つことを知らなかった祖先に恨まれても、将来の子供たちから恨まれることはないだろう。

宮井能雅
About 宮井能雅 22 Articles
西南農場有限会社 代表取締役 みやい・よしまさ 1958年北海道長沼町生まれ。大学を1カ月で中退後、新規就農に近い形で農業を始め、現在、麦作、大豆作で110ha近くを経営。遺伝子組換え大豆の栽培・販売を明らかにしたことで、反対派の批判の対象になっている。FoodScience(日経BP社)では「北海道よもやま話」を連載。